2004年のクリスマス。もうすぐ3歳になる一人息子にサンタクロースから届いたのは、子ども用のチェロだった。音楽好きな母方の祖母のチェロ教室について行き、興味を持ち始めたところだった。
千葉県四街道市の教員、山本昭夫さん(57)が帰宅すると、リビングに飾ったツリーの前でにこにこしながら待っていた。小さな体でチェロを構え、弦の上で7回、弓を左右に動かした。「やまもとかんち」という自己紹介だという。
確かに、奏でる音はまるで話しているようだ。「上手に弾けたね」と声をかけると、うれしそうに何度も繰り返した。
家族旅行のときもチェロを背負い、学校行事で疲れていても、必ず手にした。「1日1回は弾かないと、なんか気持ち悪くて」。もはや体の一部。口数が多くはなかった分、もう一つの言語を手に入れたようだった。
自宅からチェロの音が消えた
小学校の頃から金賞受賞を重ね、特待生として音大に進み、台湾やドイツなど海外でも演奏するように。その音色は言語の壁を超え、涙を誘った。ひとたびステージに上がれば、別人のように堂々としている。我が子ながら「まねできないな」と尊敬すら覚えた。
状況が一変したのは、22年…