「パンはパン当番が落とすと給食室に持って行って、ガスバーナーで炙(あぶ)ってた」
「炙って?って。昭和だなー」
「クジラが美味(うま)かったな」
「それも昭和。鯨のケチャップ煮」
小学校の同級生がLINEでやりとりした内容が今年2月、学級通信「小さな手その後」に載った。
同級生といっても、50代。学級通信と言っても、紙ではなくメール。配布先は兵庫県尼崎市で37年間、小学校教諭を務めた西野能文(よしぶみ)さん(79)=大阪市城東区=が、かつて担任をした教え子や元同僚、友人ら約150人だ。
この10年間で発行数は650号を超えた。
小学校で教えた当時の学級通信は、子どもたちが書いた作文をそのまま載せてきた。「そのまま載せた方が学校の様子がより伝わるし、何よりおもしろい」
両親も小学校の先生だった。
小学4年の時、父が勤める大阪の小学校に転入した。近所のおっちゃんに「大きくなったら何になるんや」と言われ、「先生や!」と答えたことを覚えている。
だが、間もなく父は病死。2年後、母も後を追うように病気で亡くなった。17歳の長男から小学4年の五男まで、5人兄弟がのこされた。
母の通夜で贈られた寄せ書き
「負けるな、負けるな、負け…