新刊『約束の地 大統領回顧録Ⅰ』から読み解く、管理職が学ぶべきオバマ元大統領の意思決定法
北米で空前の売れ行きを達成したオバマ元米大統領の回顧録『約束の地 大統領回顧録Ⅰ』(集英社)が2021年2月、いよいよ日本に上陸しました。世界で最も注目され、批判の的にもなる米大統領の意思決定法は、悩めるビジネスリーダーの心の拠(よ)り所になるはず――。こう太鼓判を押す、複数のスタートアップ企業の戦略アドバイザリーを務める荒木博行さんに、その神髄を読み解いてもらいました。
アメリカ大統領は意思決定の連続
現在、多くのビジネスリーダーたちは、コロナという想定外の外的変化を目の前にして、難しい意思決定を迫られているのではないだろうか。
オンラインを前提としたビジネスモデルを根本から変えるべきなのか、それとも対症療法的なアプローチでしのぐべきなのか? 社員の働き方はどこまでの変化をさせるべきなのか? それに伴うマネジメントのあり方は?
このような正解の見えない意思決定の連続に、日々頭を悩ませている人は多いはずだ(かく言う私もその一人だ)。
そのような予測のつかない環境下でどのように意思決定をしていけば良いのか、悩める私たちにとって最良の教科書になりうるのが、この『約束の地』に描かれるオバマ政権のアプローチだ。
アメリカ大統領ほどその意思決定が注目され、そして批判される立場もないだろう。
オバマ政権はその在任期間において、リーマン・ショック後の金融危機対応やイラクやアフガニスタンへのアプローチ、医療保険制度の改革、気候変動問題への対応、ギリシャ危機など、次から次へと前例のないインパクトの大きさの意思決定を迫られた。
当然のことながら、意思決定の段階で先行きは誰にもわからない状態であり、しかもいずれにおいても「あっちが立てばこっちが立たず」という類の難題ばかりだ。そんな究極の場面において、『約束の地』に描かれるオバマの意思決定は、私たちにヒントになる原則を与えてくれる。それは、「プロセス」、「現実直視」、そして「理想」の3つである。
「プロセス」を定義し、そして重んじる
1つ目のヒント「プロセス」というのは、どんな時にもブレない意思決定の手順を定義する、ということだ。具体的には、専門家チームを組成する、リスクファクターを洗い出してワーストシナリオを理解する、成功の確率を客観的に把握する、うまくいかなかった場合のプランBを考えておく……といったことだ。
意思決定には常に個人的な感情がつきまとう。どれだけ理性的にあろうとしても、所詮(しょせん)は人間の行うことだ。打算や妥協、バイアスからは逃れることはできない。それを防ぐためには、常に踏むべきプロセスを定義することしかない。
オバマは本書内で「健全なプロセスがあれば、自分のエゴを空っぽにして聞く側に専念できる。(中略)誰が私の地位にあったとしても、手持ちの情報が同じであれば、それ以上に優れた決定などありえなかったことだけは疑いようがないのだ」ということを大統領になった際に国内外の問題に対処するなかで悟ったと述べる。プロセスがあるからこそ、予想のつかない事態にも意思決定に落ち着きと自信を持つことができる、ということだ。
そして、そのプロセスを無力化しようとする関係者には直接的に圧力をかけることも忘れてはならない。アフガニスタンへの増派を検討している時に、国防長官と統合参謀本部議長がメディアを活用して世論を誘導しようとしたことが発覚した際は、直接本人たちを呼び出し、プロセスを守ることの重要さを冷静に語りかける。
「私は宣誓をしたその日から、力を尽くしてみんなの意見に耳を傾ける環境をつくってきた。それに、我が国の安全にとって必要であると判断すれば、たとえ世間から嫌がられる決断でも進んで下す姿勢を見せてきた。そうは思わないか、ボブ?」と。このように、プロセスを定義するだけでなく、それを重んじる姿勢を地道に作っていくことが重要なのだ。
あらゆるスタッフからの情報を取り込む「現実直視」
しかし、当たり前だが、プロセスがあれば意思決定がなされるわけではない。大事なことはそのプロセスの中にどのような情報を取り込めるか、ということだ。
そのためにオバマはあらゆるスタッフからの情報とアドバイスを取り込むように心掛けていたことが理解できる。最も地位の高い閣僚から新人のスタッフまで、そして左寄りから保守寄りまで含めて情報収集を行った。多面的な角度から現状をきちんと把握すること、これが2つめのヒント「現実直視」だ。
可能な限りの情報を把握することに努め、そして集めた情報の中から最適解を見いだそうとあがいているのだ。時に清濁併(あわ)せ吞(の)みがらも前進する姿は、むしろ「リアリスト」としてのオバマの姿を垣間見ることができる。
ここぞという場面で立ち戻る「理想」
しかし、リアリストでありながらも、重要な場面では3つめのヒント「理想」を大切にする。ここがオバマのリーダーとしての最大の魅力だ。
現実的な側面に目を向けつつも、自分はなぜアメリカ大統領に立候補したのか、自分はどういう国家を目指しているのか、自分は誰のために働いているのか、ということに立ち戻る。
本書の中では、難しい意思決定に直面する度に自分にとっての理想は何かを自問するシーンが登場する。この姿はとても印象的だ。
たとえば医療保険改革(通称オバマケア)における共和党との攻防の場面で、このように内省するシーンがある。
「縮小された改革法案では、グリーンベイで出会ったローラ・クリツカのように絶望の中で生きている何百万人もを救うことはできない。政治の雑音を断ち切り、正しいとわかっていることを実現するだけの勇気や、能力や、説得力が大統領である私に欠けていたばかりに、そうした人たちを失望させ、自力でなんとかしてくれと放り出すことになるなど――そんなことは耐えられなかった」
このように、気を抜けば「政治的妥協」の強い引力にのみ込まれそうになる瞬間こそ、理想の国家の姿を、そして自分は誰のために働いているのかを自問するタイミングなのだ。常に理想を問い続ける「甘い理想主義」ではなく、ここぞという場面に限って理想に立ち戻る「厳しい理想主義」。そのようなオバマの姿に学ぶべきポイントはある。
最後に必要な「これ以上の意思決定はあり得ない」という自負
もちろんこのような過程を経て決めた意思決定をすれば政治は終わるわけではない。決めた後、どうやってそれを実現に導き、そして成果を出すかが重要になる。
特に意思決定後に出てくる数多くの交渉のシーンはしびれるものが多い。温暖化交渉の現場で、温家宝がいるホテルの部屋にアポなしで飛び込んで妥結を迫るシーンは、この本の見どころの一つだろう。
この温暖化交渉の時もそうなのだが、八方塞がりの逆境の中で、ここまで粘り強い行動ができるのはなぜなのか。それは、自分自身が下した意思決定に曇りがないからではないかと考える。
もし意思決定に多少でも疑問が出れば、交渉の現場で動揺が出る。説得の言葉にも弱さが混じる。オバマが先述の通りの意思決定の方法にこだわるのは、「これ以上の意思決定はあり得ない」と自負を持ち、交渉現場でブレない姿勢を見せるためでもあるのだろう。
さて、以上が様々な難題に向き合った時のオバマの意思決定アプローチだ。それと比較して、改めてビジネスの現場にいる私たちの意思決定はどうだろうか?
私たちにどのような意思決定であっても踏むべきプロセスは用意されているだろうか? 偏った情報源から意思決定をしていないだろうか? 反論を提示する立場の人間を意思決定から阻害していないだろうか? そして、その意思決定の都度、私たちの理想、言い換えるならば企業や組織の理念、存在意義(パーパス)を自問しているだろうか?
オバマは「意思決定は確率論だ」と言う。どれだけ手を尽くしても外す場合もあれば、適当な意思決定でも当たる時もある。大事なことは、その意思決定を後悔しないでいられるか、ということだ。
私たちがこれからも続く先の見えない意思決定の中、「ベストを尽くした」と胸を張って前に進むためには、オバマの姿勢から学べることはまだまだ多い。『約束の地』は、悩める意思決定者にとっての心の拠(よ)り所になるはずだ。
バラク・オバマ『約束の地 大統領回顧録Ⅰ』(上下)
(原題『A Promised Land』)上下巻 各2,200円(税込み)
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