「バカリズムは人知を超えている!」ヒャダインが語る天才論
ももいろクローバーZやでんぱ組.incなどへの楽曲提供で知られる音楽クリエーター、ヒャダイン。希代のヒットメーカーとして音楽のジャンルの垣根を超えて活躍するかたわら、近年はテレビやラジオで視点の鋭さを生かしたトークを展開し、タレントとしても注目を集めている。
京大出身の明敏な頭脳の持ち主で、その豊かな才能をたたえる声は少なくない。そのヒャダインをして「嫉妬の感情すら湧かない」と言わしめた天才がいた。本人の言葉を借りれば、「人知を超えた」アウトプットをする人らしい。
天才は「発達しすぎた脳」の命令で動いている人?
――作品や作者に触れたとき、天才だなと思うことはよくありますか?
ヒャダイン いや、めったにないです。この人すごいな、さすがだな、この発想は自分にはないな、というようなことはよく思いますが、天才となると、また話が違ってきます。圧倒されるような能力なり作品を目の当たりにしても、ほとんどの場合は、たくさん努力したんだろうな、プロのなせる技だな、っていう感じですね。
――ヒャダインさんの考える、天才の定義とは?
ヒャダイン 人知を超えたものですかね。ロジカルに考えてもたどり着けない領域といいますか。元の才能が8割で、プラス努力や経験が2割でもいいですし、逆に元が2割、努力と経験が8割でも、その過程は問題ではなく、結果として人知を超えたところにたどり着いた人は天才だと思います。野球は詳しくないですが、たとえば大谷翔平さんは天才なんだろうなと。あの成績は、凡人が出せる結果ではないでしょう。自分に引きつけたところでいうと、椎名林檎さんは天才ですね。根幹となる楽曲制作能力はもちろん、衣装や映像のディレクションなど、あのトータルのプロデュース能力は、「人知超え」しています。
――では、今まさにヒャダインさんが天才として注目している方は?
ヒャダイン ここは即答で、バカリズムさんです。バカリズムさんのコントに僕が音楽をつけさせてもらった縁もあり、ずっとライブも見ていますし、テレビに出演している姿も見て、ここ何年かは連続ドラマの脚本も書かれて、今年ついに向田邦子賞(編注:東京ニュース通信社が主催する、優れたテレビドラマの脚本作家に与えられる賞)も受賞されて。そういった一連の仕事を見るに、いよいよ人知を超えてきたなと。
バカリズム
1975年、福岡県生まれ。95年、お笑いコンビ「バカリズム」を結成し、05年よりピン芸人として活動。現在は芸人、タレントとしての番組出演のほか、単独ライブ、ナレーション、俳優、脚本、イラスト、書籍執筆など多方面で活動中。18年4月、原作・脚本・主演を務めた『架空OL日記』の脚本で「向田邦子賞」を受賞。
――それぞれの仕事の質はもちろん、バカリズムさんの場合はアウトプットの量が圧倒的ですよね。
ヒャダイン 僕が天才だと思うポイントとして、量は重要かもしれません。いろいろなことが重なって、生涯で一度くらいは天才的なことを成し遂げられる人はいますが、そのレベルを量産できる人に対して僕は天才性を感じるんでしょうね。人が生涯で一度でも出せれば御の字の大きな成果を、途切れずに出し続けるって、天才にしかできないことですよ。
――バカリズムさんは、才能の幅広さもあります。
ヒャダイン そうなんです。年に一度のライブにすべてをかけて、ひたすらコントだけに向き合っている人にも勝るクオリティーのコントライブをやりながら、バラエティー番組でも第一線で活躍して、同時に連続ドラマの脚本を書いて、向田邦子賞まで受賞するって、天才にしかできないですよ。専業の脚本家の方が受賞するのとはわけが違う。
たとえば、アイドルや駆け出しのタレントが、一芸を身につけようと和太鼓に挑戦するとします。それで和太鼓の腕が日本のトップクラスになる人って、まずいないですよね。それは和太鼓の演奏で人を楽しませることが目的ではなく、挑戦することが目的になっているから。ファンの人に頑張った姿を見せることさえできれば、結果はそこそこでもいい。結果よりも挑戦したこと自体に意味がある。それは決して悪いことではなく、当然といえば当然のこと。
でもバカリズムさんの場合、テレビドラマの脚本を書くことは、あくまで手段であって、目的は人を楽しませることにある。その目的意識は、専業の脚本家と同じなんです。ご本人のスタンスはあくまで芸人のまま、ドラマは手段にすぎない。
――偉大なことを成し遂げているのに、本人はいたってひょうひょうとしています。
ヒャダイン それも大事なポイントですね。いかにも人生かけてます、自分にはこれしかないんです、っていう姿が見えてしまう人は、僕の中では天才とは言えません。これはバカリズムさんにしても、椎名林檎さんにしても同じですが、彼らの行動をメタ的に捉えると、ご本人の脳内にやりたいことのアイデアが次々と浮かんできて、身体はそれをこなしているだけっていうイメージがあるんですよ。もはや主体的に動いているというよりは、発達しすぎた脳の命令によって動かされているというか。だからこそクールに振る舞える。
笑いの才、文才、歌唱力、腕力……バカリズムのありあまる才能
――バカリズムさんの発想や着眼点でうなるところはどこですか?
ヒャダイン コントによく見られる、既存のシステムや固定観念を壊しにかかるようなトリッキーな発想がまず素晴らしいです。それに加えて、ドラマ『架空OL日記』が象徴していたような、人間を見つめる視線が冷静なところ。バカリズムさんの視線は、常にドキュメンタリー的なんですよね。そのうえで、特定の誰かをくさしたりする表現にしないところがすごい。いわゆる “あるあるネタ”とか“こんな人いるよね”みたいなネタは芸人さんの定番ですが、ほとんどの場合それは露悪的な表現になります。でもバカリズムさんは、そうはならない。誇張や偏見を入れず、ひたすら人間を見つめて、ありのままを描いている。
――ゆえに、人間の本質に迫ることができる。
ヒャダイン ですね。ドキュメンタリー的な視点でいえば、ドキュメンタリー作家や社会学者にも通じるかもしれない。でも、作家や学者はそれを記録したり研究したりするところまでが仕事ですが、バカリズムさんはその視点を、人を楽しませるためのエンターテインメントとして、笑える“おもしろい”表現にまで昇華させている。しかもそれを自分で演じることも、絵に描くこともできる。普通の人間が持っている才能と努力でまねしようにも、ちょっと無理ですよ。
――「天は二物を与えず」ということわざもありますが……。
ヒャダイン 天才には与えられていると思いますね。だってバカリズムさんは、笑いの才能があって、演者としての才能もあって、文才もあって、愛されるルックスまで持ち合わせているんですよ。そういうバリバリの文化系として完璧なのに、もともとは不良でフィジカルも強い。ちなみに歌もお上手です。
――そういった天才を前に、嫉妬することはないですか?
ヒャダイン まったくありません。人知を超えた人には嫉妬の感情なんて湧かないですよ。だって相手は天才なんですから。
――ヒャダインさんの考える天才に、性格的な特徴はありますか?
ヒャダイン 理屈っぽくて、頑固者ではあると思います。おもしろいこと、新しいこと、クリエーティブなことには寛容でありながら、頑として譲れないところを持っているように思いますね。いい意味で、わがままな性格。でもわがままじゃないと自分のやりたいことが貫けないので、仕方ありません。ただ、バカリズムさんは、社会性はすごくあるんです。突き抜けた才能を持つがゆえに一般社会からはみ出すような人間ではない。そういうところもすごいですね。
――生み出す作品は素晴らしいけど、締め切りとかは守らない、人とコミュニケーションがうまくとれない、みたいなタイプの人もいますよね。
ヒャダイン あ、そういうタイプは天才とは思いません。他人に迷惑をかけたり、何かの犠牲のうえに成り立っている結果は別ものです。どこかが欠落しているがゆえに、生み出すものが圧倒的みたいな人は、ある部分が異常に発達した特殊能力の一種な気がします。それは能力が偏っているだけ。 ――これまでのお話を総合すると、能力を五角形で表したときに、すべての数値が突き抜けている人が天才、みたいなイメージでしょうか? ヒャダイン そうです、そうです。一つだけ突き抜けていても、それ以外が平均以下だったらそれは天才じゃない。天才というからには、5点満点の五角形で、すべての数値が500点オーバーみたいな。「え? 全部の数値が満点の100倍!?」くらいのインパクトとバランスが必要ですね。それこそ“桁違い”っていう。なので、僕の解釈では、型破りな人は天才ではありません。しっかりとした人間性があって、ちゃんと社会生活を送りながら、人知を超えた結果を残す人が天才です。
(文・おぐらりゅうじ 写真・南阿沙美)
プロフィール
ヒャダイン
音楽クリエーター。1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的に作曲家として活動を開始。J-POP、アイドルやアニソン、ゲームなど様々なジャンルでアーティストへ楽曲提供を行い、自身も歌手、タレントとして活動する。