「悟り」と「迷い」。二つの窓を通して見つめる、紅葉と自身の心「源光庵」
三方を山に囲まれた京都。洛外に向かうほど高低差があり、紅葉の見頃も、東西北の山から洛中へと降りてくるように進みます。京都タワーよりすこし高い、標高約160mに位置する鷹峰(たかがみね)エリアは、市内でも少し早く紅葉が始まる名所の一つ。今回は、二つの窓に切り取られた紅葉の庭を眺める、鷹峰の古刹(こさつ)「源光庵」を訪ねました。
■京都から毎月、季節の便りを出すように。連載「京都ゆるり休日さんぽ」では、いま訪ねたい今昔の人気店、季節の味覚や風景を、さんぽのみやげ話とともにお届けします。
言葉ではなく形で、向き合う人それぞれに感じて
「源光庵」は1346(貞和2)年に開創された、約680年もの歴史を持つ曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院です。慎ましい隠居寺であったこの寺院が、洛北の名刹(めいさつ)として知られるようになった理由は、本堂にある二つの窓。「迷いの窓」「悟りの窓」と名付けられた二つの窓は、互いの存在を認め合うように対に並び、庭園の景色を四角と丸に見事に切り取ります。
四角形の「迷いの窓」は、「生老病死」の四苦八苦を表し「人間の生涯」を象徴する形。一方、円形の「悟りの窓」は、欠けることなく循環する宇宙や真理を表現し、「禅と円通」(円通:真理が広く行きわたっている状態)の心を伝えています。窓の前に立ち、二つの形を通して草木の姿を見つめると、いつしか思考は自らの心の内へと向かっていく。シンプルな形と自然の風景が、自身を省みることに作用すると意図しての窓だったのでしょうか?
「本堂の創建は1694(元禄7)年。金沢の富商・中田静家(なかた・せいか)の寄進によるものですが、誰がどのような意図でこの窓を作ったのかはわかっていません。ただ、古くから、言葉で表せないものを形で表すことを、禅の世界では大切にしています。窓の前でご自身を振り返り、自然に生かされていること、迷いも悟りも両方を持ち合わせていることを感じてもらえたらと思います」
そう話すのは、鷹峰啓明(たかみねけいめい)住職。江戸の中期から代々「源光庵」に住持してきました。「とはいえ、難しく考えず、ただ癒やされていただくだけでも十分なんですよ」と微笑みます。頭ではなく感覚にはたらきかけ、見つめる人の心に変化をもたらす。二つの窓の伝えんとすることは、見る人の中にこそ答えがあるのかもしれません。
歴史を伝える「血天井」。四季折々の庭園も
もう一つ、見逃せないのが400年以上前の壮絶な歴史を伝える、伏見城の遺構「血天井」です。1600(慶長5)年、徳川家康の忠⾂・⿃居彦右衛⾨元忠⼀党1800人は、⽯⽥三成率いる4万人の軍勢と伏見城で交戦。10日以上に及ぶ攻防戦ののち元忠⼀党は討ち死にし、残った380余⼈も自害しました。凄惨(せいさん)な戦いの痕跡を残す伏見城の床板は、供養のため京都府内の複数の寺院に移築されます。その一つがここ「源光庵」本堂の天井でした。よく見ると足跡がくっきりとわかる箇所もあり、戦国の世を生きた武士たちの魂が偲(しの)ばれます。
本堂裏の庭園は「鶴亀庭園」と呼ばれ、石組で表現された亀が鎮座しています。鶴と思しき木組みもあり、こちらは長い年月が経過し作庭時の姿が不明になっているところを、近々復興予定だとか。取材時、ちょうど作業に来ていた庭師の方と鷹峰住職が話していました。今夏の猛暑の影響で弱った庭木を丹念に手入れして、まもなく始まる紅葉に向けて、コンディションを整えているそう。幸い、「源光庵」のモミジは枝先まで元気な木が多く、自然の樹形を生かした紅葉の庭が期待できるそうです。
丸と四角、二つの窓が映し出す、紅葉の庭。切り取る形や、それを見つめる私たちの心持ちで印象は変わりますが、窓はどちらも同じ庭に向けて開かれています。まずは感じるままに、二つの窓と自然の色に向き合ってみてください。
【取材協力】源光庵
BOOK
大橋知沙さんの著書「もっと、京都のいいとこ。」(朝日新聞出版)が2024年1月に出版されました。「京都のいいとこ。」の続編。ひとり旅でも、満たされる、自然体の京都の楽しみかたを提案。定番からひみつの場所まで、選りすぐりの約100軒をご案内します。&Travel「京都ゆるり休日さんぽ」の中から厳選、加筆修正、新たに取材しました。「京都のいいとこ。」に引き続き、この本が京都への旅の一助になれば幸いです。1430円(税込み)。