飛鳥Ⅱの旅で味わう秋の味覚と名月 鳥羽・高松クルーズ
真珠養殖の島で先人の精神を思う
イルカ島を堪能した後は、再びフラワーマーメイドに乗り、二つ目の島・ミキモト真珠島へ。
真珠王と言われた御木本幸吉(みきもと・こうきち)が真珠養殖に成功した島は、今や真珠博物館、御木本幸吉記念館、パールプラザなどがあるレジャー島となり、国内のみならず世界各国から来た人々に真珠の美しさや知識を伝えています。
特に博物館内の真珠工芸品は見事なものばかり。1939年ニューヨーク万博に出品した「自由の鐘」には12,250個の真珠と366個のダイヤモンドを使用。12,541個の真珠、377個のルビー、373個のダイヤモンドを使用した地球儀は、常に世界を見据えていた御木本幸吉の精神を彷彿(ほうふつ)とさせます。
実は、御木本幸吉の生家は「阿波幸」といううどん屋でした。島内パールプラザの中には同名のレストランがあったので、伊勢うどんやアコヤガイの貝柱しょうゆ煮がついた「真珠うどん」を注文。海を見ながら名物うどんに舌鼓を打ちました。
ところで、真珠養殖において、アコヤガイを採取する等、かつて海女(あま)さんたちの存在はとても重要なものでした。その活躍を記念するため、真珠島では海女の実演も行われていました。昔ながらの白い磯着を身に着けた海女さんが海に潜り、貝をとり、時おり鳴らす磯笛の音は、命がけの仕事の証し。世界に知れ渡るミキモトパールの原点で、真珠を学ぶ良い機会となりました。そして、再びフラワーマーメイドで鳥羽マリンターミナルへ戻りました。
夕方5時の鳥羽出航の時、見慣れた船が飛鳥Ⅱに近づいてきました。本日お世話になった遊覧船フラワーマーメイドが、今度は赤いハンカチを振る地元の人々を乗せてお見送りに来てくれたのです。
鳥羽港では大型客船が出航の時「リメンバー赤いハンカチ」を行うことがあります。その昔、御木本幸吉が横浜港から渡米する際、ステッキに赤いハンカチを結び、見送りの人々に応えたということが由来のイベントで、互いに振りあえるよう飛鳥Ⅱでは乗客に赤いハンカチを配布。見送りの人にむかって私も一生懸命ハンカチを振り、名残惜しく、ちょっと切ない旅情をかみしめました。