【デンマーク編2】港町に根付く「私たちのパン屋」、そこにずっといたくなった理由/リルベーカリー
切っただけで発酵の香りが漂う
いい街にはいいパン屋さんがある。それまで人気のなかった街に、おいしいパン屋さんができると活気が生まれる。いいパン屋さんはコミュニティを駆動させるのだ。
またとない実例に8600km離れたデンマークで出会った。コペンハーゲン中央駅から約20分。路線バスの終点は、市街地から入江を挟んだ対岸にあたるレフス・ヘレス島。殺風景にも見える港町にレンガの古いビル1棟。
ひと目見たときからずっといたいと思った。店の内外にバザーで買い集めたような不揃(ぞろ)いの椅子やテーブル、食器、そして植物。無造作に積み重ねられたオーガニックの麦の粉袋。お金をかけず醸し出されたあたたかみ。なにより、雄弁に語りかけてきたのは、強火で焼き込んだらしく、焼き目も荒々しいサワードウたち。
サワードウ「クラシックローフ」は、切っただけで発酵の香りが漂った。皮を食べただけでジューシーに旨(うま)みがあふれてきた。そして、モッツァレラのように伸びやかな中身。みずみずしさと、渋みと、甘さと、芳醇(ほうじゅん)な酸味が同居。麦のミルキーな滴りを、牛乳を飲むみたいにごくごくと飲み干した。
コペンハーゲンでは多くの店で、オーガニック生産者から直送される挽(ひ)きたての粉を使う。たとえばサワードウの全粒粉は、不耕起栽培の有機生産者「ブリンクホルム」によるスウェーデンの在来種「オーランド小麦」。
「白い小麦粉をできるだけ使わずにどれだけおいしいパンを作れるかに取り組んでいます。理由は、栄養価が高いこと。あと、農家さんのことを考えると、わざわざ麦からふすまを取り除いて白い粉を作らなくても、このおいしい全粒粉のまま使ってあげたい」
そう語るのは、この店でパンを焼く日本人ベイカー、齋藤朗人さん。言葉の端々に、生産者への熱い思いが垣間見える。
「農家の人が食材を持ってきてくれて、『今日元気?』『収穫が今すごい大変で』『次こんな野菜が来るよ』みたいな会話をしています。僕がこれまで働いたところでは、食材は業者から仕入れるもの。それが、ここでは生産者さんの顔が見える。だから、絶対にパンをロスにしたくないんです。その気持ちはベイカーだけでなく、キッチンチームも、サービススタッフも全員が統一して持っている」
ハフペストリー(パイ)生地の”肉巻きおにぎり”とも呼べるソーセージロール。ざくざくぼりぼりとクロワッサン生地がクラッシュ。すると、中からじゅわ。小籠包(ショーロンポー)のごとく、肉汁の潤いが、りんごの酸味やフェンネルの青い香りとともに飛び出す。
「ソーセージロール」によって、残りもののサワードウがアップサイクルされる。
「多く余ったパンは乾燥させて『ブレッドクラム』(パン粉)にして、ソーセージロールに使います。ブレッドクラムを発酵させて作ったビネガーもソーセージロールに使っています」
ソーセージロールのりんごは冬のあいだはフレッシュなもの、オフシーズンはコンフィチュールにして保存されたものを年間通して使用。フェンネルもフレッシュハーブから乾燥させたもの。外国産や既製品に頼らず、生産者から届けられた素材を冬に備えて保存するのだ。
卵のスモーブロは、ライ麦100%のパン「ロブロ」の上に、そぼろ状のオムレツがのったもの。たっぷりのオリーブオイルの草のような香りに誘われて、卵とチーズ、マヨソースが渾然(こんぜん)一体となりながらミルキーに溶けていく。ロブロの中の大小さまざまなライ麦の粒が、かみ締めるたび次々と炸裂(さくれつ)。そのコク深さゆえに、健康的な卵の香りがより活きる。
「地球にやさしい飼い方をされた鶏の卵なんで、殻の色がひとつひとつ違います。青だったり白だったり黄色だったり。黄身の色も日々ちがう。ロブロに使うモルト(発酵を助けるための麦芽)も自分たちで作ってるんですよ。『買えばいい』っていう考え自体がない。ないんだったら、自分たちで作ろう。いまある食材の中でできることってなんだろう? っていうのが常に問われている。だからこそ、僕らもめちゃくちゃやりがいがあるんです」
そもそも、リルベーカリーはどのように誕生したのか。世界ナンバーワンレストラン「noma」傘下の高級レストラン「108」で、料理人ザラ・ボレアスさんとミア・ボランドさんが出会ったことがきっかけ。レストランのような堅苦しい場所ではなく、働く人もお客さんも楽しく過ごせるパン屋を志した。
2人が選んだのは、コペンハーゲン中心部ではなく、パンを買いにいくにもバスに乗らなければならない辺鄙(へんぴ)な場所。そんな勝算の立たないビジネスに協力する投資家を見つけられず、あらゆる備品を中古でそろえるとともに、その初期費用も近所の人たちに投資してもらった。だから、常連さんたちはリルベーカリーのことを「私たちのパン屋」と呼ぶそうだ。
地元の人たちと連帯するとともに、オーガニック生産者とも連帯する。公式サイトにはこう書かれている。
「現代では、小麦は高度に工業化されて生産される作物です。私たちは、それをひっくり返したいと願う情熱的な人たちといっしょに働いています。この絆がリルを形作るものです」
9月1日、その日は、デンマークの農場が一般市民を迎え入れ、農場の作物を振る舞う収穫祭。コペンハーゲンから車で1時間強の場所にあり、リルベーカリーに全粒粉を届けている「ブリンクホルム」でも収穫祭が行われ、リルベーカリーのベイカーたちが駆けつけた。
多様性を育む環境再生型農業
前日から泊まり込みでサワードウを焼いたのはイタリアからやってきたパン職人、通称ペペさん(ジュゼッペ・ベニーニョさん)。
「どうしてもオーランド小麦全粒粉100%で焼きたいと思ったんだ」
ペペさんがそう語るのは、この小麦に惚(ほ)れ込んでいるからであり、ブリンクホルムへのオマージュのためでもあっただろう。ブリンクホルムで栽培されたトマトをのせてオリーブオイルと塩をかけまわしたオープンサンド。全粒粉100%ゆえにサワードウのふくらみは弱い。そんな弱点を、ペペさんの思いが上回っていた。あふれるような小麦の香り、甘さ。トマトから滴る液体は、パンを彩る最高のソース。オープンエアでこのパンを食べていると、自然との一体感を感じるのだ。
仕事終わりに合流した、齋藤さんらリルベーカリーの同僚たちがペペさんのパンを食べ、うれしそうに口走る。
「おいしい!」
「最高だよ!」
公式サイトで謳(うた)われる「絆」が目の前で可視化されていた。海の向こうにも、パンと小麦へのこんなにも熱い思いを持つパン職人たちがいることに感動を覚えた。
農園主のニコライ・ゾーイさんが農場内を案内、真剣に聞き入るリルベーカリーチーム。麦はサイロに貯(た)められ、手作業で自家製粉される。最初に金属のローラーがナイフのように麦の皮を剥(む)くロール製粉機に通し、その後、熱のかかりにくい石臼製粉機ですりつぶされる。
畑へと出ると、自然の豊かさに舌を巻いた。森と隣り合い、小川が流れ、畔(ほとり)にはさまざまな草花が育つ。プラムまで自生し、いくらでも取って食べることができるのだ。収穫後で麦はなかったが、日本の畑が土を剥き出しにしているのと比べ、ブリンクホルムはどこでも植物に覆われ、広々とどこまでも緑がつづく。
ブリンクホルムが行うリジェネラティブ農業=環境再生型農業。土壌の健康を改善し、農場の自然環境も回復させる。不耕起栽培とも呼ばれるが、ブリンクホルムではまったく耕さないわけではなく、5センチだけ耕す。これによって、微生物などからなる、土の中の多様な生態系を守り、温室効果ガスの発生も防ぐ。
「(一般的な農法では)25センチぐらいの深さで耕して土をひっくり返します。地下で成長している生命のネットワークを破壊し、炭素を酸化させた結果、CO2が大量に排出されるのです」
麦の収穫後の畑が緑に覆われている理由。それはカバークロップ(被覆作物・緑肥)によるものだ。ゾーイさんがしゃがんで小さな植物を指さし教えてくれる。
「オーツ麦、ライ麦、ソラマメ、ウマゴヤシ、マスタード、オイルラディッシュ、いくつかのクローバー、ファセリア。約8種類の異なる植物がそれぞれ土壌に異なる働きをします。草には、光合成で作り出された糖を根を通じて放出し、土壌の微生物に栄養を与えるというすぐれた能力があります。反対に、微生物は土の中のミネラルや栄養を化学的に変化させ、作物が吸収可能な形にします。カバークロップは土壌の微生物を耕しているのです」
農薬を使う一般的な農法の場合、植物と微生物の相互作用は弱くなってしまうだろう。それによって、土の中に本来あるはずの栄養素は少なくなり、作物の健康を奪ってしまうのだ。
木が茂り、花が咲き、小川が流れるうつくしい光景。これも、農業に役立つのだという。
「地上に目を向けると、花を咲かせる植物があります。これらの植物は、有益な虫を引き寄せ、作物を助けるだけでなく、私たち以外の生き物のためにも食料を育てることになります。昆虫が花の蜜を餌とし、鳥がその昆虫を餌にし、糞(ふん)をしてくれる。食物連鎖が広がっていくのです。つまり、多様性が鍵になります。多様性が豊かなほど、効果的です」
私たち日本人は、雑草が1本もなく、整然と同じ作物が並んだ光景をうつくしいと思いがちだが、デンマークの人たちはちがっていた。草も花も木も動物もいるこの多様性にみちた光景こそうつくしいと感じている。それはブリンクホルムだけでなく、デンマークを旅してずっと感じられたことだ。
リルベーカリーというパン屋のあり方もまた多様性に立脚していた。地元のお客さんも生産者もスタッフも、残りもののパンさえ見捨てられず、コミュニティの一員となって、みんながパン屋を作る主人公になる。ひと目見たときからずっといたいと思った、その空気感の正体に気づけた気がした。
リルベーカリー(Lille Bakery)
Refshalevej 213B, Copenhagen 1432
8:00~17:00
月火休
www.lillegrocery.com