銭湯 いつもそこにあった場所 世代間交流、洗濯、演説会まで
明治の創刊以来、朝日新聞社には国内外の時代を記録した貴重な写真が保存されています。朝日新聞フォトアーカイブから、その時代の街並みや人々の生活、ファッション、風俗などを紹介します。今回のテーマは銭湯です。自宅に風呂がなかった時代に不可欠な存在でしたが、1968年には1万8千近かった一般公衆浴場はいまや10分の1になりました。ただ、熱い湯につかることだけでなく、洗濯する、子どもが遊ぶ、演説会場…….。銭湯は当時の人々にとって身近な交流場所でもありました。
1904(明治37)年、朝日新聞に初めて写真が掲載されました。朝日新聞フォトアーカイブで公開している440万枚以上の写真から紹介します。法人様向け写真利用のお問い合わせ先はメール shashin@asahi.com へ。
番台横のひとさがしのポスター。
やぶれてて押しピンで貼られている顔写真付きは当時を思い出し実にリアルな昭和である。
この頃、袴田さんの冤罪が話題ですが、番台横の指名手配の写真と、左の人が良く似ています。眉や鼻、髪形がぴったりです。勿論関係ないのでしょうが、見方によっては犯人に、結び付けられてしまいます。警察に思い込まれたら怖いですね。職務質問などで目をそらすと怪しまれるそうです。堂々としてると良いですね。気を付けましょう。
大阪の風呂屋政談。昭和34年。小生は2歳。
参加している女性の殆どは和服に割烹着姿。
戦後14年経ってはいるが、当時の服装はまだこんな状況だったのだなぁと改めて認識しました。懐かしい。
葛飾柴又って東京都の最東端の江戸川近辺の下町って言われるけど、徒歩距離で六軒あった公衆浴場が今は一軒しかなくなり住みにくい町になりました。銭湯は都心の方が残ってます❗️
帝釈湯、柴又湯、繁の湯(旧日光湯)、笹の湯、興和浴場、住吉湯♨️ 今では柴又街道沿い新柴又駅近くの鎌倉町の興和浴場しかのこってません😢