プロ野球を声で支える鈴木あずささん アナウンスでつながり感じる瞬間
プロ野球の2024年レギュラーシーズンは残すところあと少し。熱戦が続く試合を支える裏方として、AG世代が活躍しています。株式会社西武ライオンズ(埼玉県所沢市)で場内アナウンスを務める鈴木あずささんは、現在は主催試合でビジター球団の選手紹介などを担当。数年前には、元北海道日本ハムファイターズの杉谷拳士(すぎやけんし)選手への「いじりアナウンス」で注目されました。観客や、周りの人たちのつながりを大切にしているという鈴木さんに、アナウンスへの思いを聞きました。
――アナウンスの仕事を始めたきっかけを教えてください。
子どもの頃から野球観戦が好きで、休みの日にキャッチボールをしたり、テレビの野球中継を一緒に見たりする家族でした。東京で大学を出た後、札幌ドームで働きたくて、オープンに合わせて北海道に戻りました。当時はいろいろな球団の主催試合があって、ドームの職員としてお手伝いする中で、ライオンズの職員の人たちがとても楽しそうでいいなあ、と思ったんですね。アナウンスの仕事を初めて公募すると知って試験を受け、2003年12月に入社しました。
アナウンスは、札幌ドームで少し手伝ったぐらいだったので、入社後は猛烈に勉強しました。まず、一日に4試合ぐらい草野球のアナウンスをさせてもらって、年が明けてからはファームの教育リーグでアナウンスをやりながら先輩に教わって、とにかく必死に練習しましたね。
――初めて1軍の試合でアナウンスをしたときのことは覚えていますか。
2004年5月下旬の千葉ロッテマリーンズ戦で、4時間を超える延長戦で負けました。CMも全て私が読み、延長戦のお知らせや終電案内を含めて全部一通り、最初の試合で経験しました。突発的なこと以外はほとんど全て起きたような、凝縮された試合だったので、終わったときはぐったりしましたけど、一通りやったことは自信になりました。
――自分のペースでアナウンスできると感じたのは、いつごろですか。
今も迷いながらやっていますが、ドキドキしないで放送室に座れるようになったのは2008年ぐらいでしょうか。2004年と2008年にライオンズが日本一になって、どちらも日本シリーズでアナウンスしました。2008年のCS第2ステージで優勝して、「MVPは涌井投手です」と言ったとき、普通にアナウンスできているな、と感じたことを覚えています。
――特に印象に残っている試合はありますか。
2005年、西口さん(現埼玉西武ライオンズ ファーム監督の西口文也氏)のノーヒットノーラン未遂と完全試合未遂の2試合とも、たまたま私が担当したんです。1試合目は初めてでしたし、試合中にノーヒットノーランを話題にしないという不文律みたいなものがある中で、ドキドキしました。七、八回に準備を始めて、結局ダメでしたが、次の完全試合未遂のときは余裕がありました。2試合とも、よく覚えています。
「確実に安心して聞けることが大事」
――現在はビジター球団のアナウンスを担当されています。
最初は選手紹介やCM、場内の案内など全部を、ひとつの試合は一人でアナウンスしていました。2009年ぐらいからビジター球団だけを担当するようになったんですね。2011年と12年は男性のDJさんだけで全部やって、2013年から再びビジター球団の担当に。今は、ライオンズに関すること以外は私がやっています。
午後6時からナイターがある日は、出社の定刻は午後1時ですけど正午ぐらいには来て、その日の試合の詳細や出場する選手を確認します。アナウンスは業務のひとつなので、契約書の作成や経費精算もやっています。開門する午後4時の30分前には、遅くても放送室に入ります。ビジター球団の遠征用バスの受け入れや送り出しもしています。
――普段のアナウンスで意識していることはありますか。
DJさんが話すときはみんな一緒にワーッと盛り上がればいいですけど、いつもの私のアナウンスは、あまり印象に残らず、確実に安心して聞けることが大事なんです。違和感があったり耳にずっと残ったりせず、自己主張し過ぎない。主役は選手なので、試合の進行を止めないこと。ビジター球団のアナウンスでライオンズの投手のリズムを崩さないようにとか、相手チームの打者がテンポよくバッターボックスに入れるようにとか、微妙なタイミングも計りながらやっています。
6連戦の1試合目だと声が出づらいときがあって、4試合目ぐらいになると、体が疲れていても声の調子はいいです。体のどこかが悪いと、のどにすぐ出てしまうので、手洗い、うがい、マスクをするとか、なるべく人混みに行かないようにしています。
――やりがいを感じるのは、どういうときでしょうか。
試合でスタメンを発表するときや、「大変長らくお待たせいたしました」とアナウンスしたときに、観客のみなさんの「待ってました感」が伝わってきたり、拍手をいただいたりすると勇気が出ます。試合が盛り上がって終わって、みなさんがお帰りになった後は、「ああ、よかった。次回も頑張ろう」と。大勢のライオンズファンが球場に来てくださって、アナウンスでつながったな、と感じる瞬間は、本当にうれしいです。
杉谷選手への「いじり」、言葉が降りてきた?
――数年前には、元北海道日本ハム・杉谷選手への愛ある「いじりアナウンス」が話題になりました。
当時は放送室がグラウンドレベルにあって、窓を開ければそこに選手がいる状態でした。2014年7月の日本ハム戦で、「杉谷選手、バッティング練習あと10分です、と言ってください」と、杉谷選手本人から頼まれたんです。決まっていない言葉は話しづらくて、その日は言えなかったんですけど、「なんで言ってくれないの?」みたいなリアクションをされて、「やればよかったかな」と悩みました。
次に杉谷選手が1軍に上がったのが9月で、モヤモヤを吹っ切りたくて当時の上司に相談したら、「ちょっと言ってみれば」と。軽めに言ったら、グラウンド中の人が振り返って、びっくりしました。それがきっかけですね。
グラウンドにいた(北海道日本ハム元監督の)栗山英樹さんや(当時コーチの)白井一幸さんからは「次、何を言うんですか?」とか、「やってるよ、言わないの?」「もう終わり?」と聞かれるようになって。本人とのやりとりだけだったら、すぐやめたと思うんですけど、相手球団の首脳陣から言われたので続けた面もあります。
――「大泉西中学校出身の杉谷拳士選手がバッティング練習を行っております」「シーズンオフをもしのぐ活躍で、シーズン中にもかかわらずとっても目立っています」「内野も外野もベンチも守ります」「人気も検索数も上昇中の杉谷選手のバッティングに、皆様どうぞご注意ください」など、さまざまな「いじりアナウンス」が今もYouTubeに残っています。2022年秋に杉谷選手が現役を引退するまで続きました。
ちゃんと考えて言ったのは1、2回で、あとはネタだけ用意して、その場の様子を見てしゃべっていました。勝手に言葉が降りてくるときもあって、引き出してくれるような不思議な選手でした。
――ほかの選手から頼まれて、アナウンスをすることはありますか。
基本的にないですね。ライオンズの選手から冗談で「いつになったらやってくれるんですか?」と言われたことはあります。ビジター球団のコーチ陣から「この選手をいじって」と言われたときは、「本人は?」と聞きます。本人もOKだったら考えますけど、いったんは「杉谷さんの許可を取ってください」と言うことにしています。杉谷さん自身が他の球場では頼まなかったそうで、ちょっと浮気できないな、と(笑)。
「自分で限界を決めないで」
――普段はどのように気分転換をしていますか。
気分を解放したいので、なるべく外に出て歩きます。高い建物を見に行くとか、広い空を漠然と見ることもあります。趣味は一人旅で、時間があって元気で予算もあれば国内を旅します。
――年齢を重ねて、変化を感じることはありますか。
今49歳ですが、ここ2年ぐらいは自分の抵抗力、免疫力が変わってきたかな、と感じています。今までと同じことをしても体力が戻らないとか、「あれ、今日おかしいな」と感じることが増えました。
今年は途中から体調があまり良くなくて、初めてスタメン発表が終わってから医務室に行ったことも。アナウンスに支障はありませんでしたが、ひとつ良くなっても次に別のバランスを崩して、周りに助けてもらうこともあるので、放送室で一緒に仕事をしている人たちには体調のことを話すようにしています。ここ2カ月ぐらいは少し落ち着いているので、シーズンが終わるまでは無理をしないように頑張ります。一生に一度しか試合を見ない方がいるかもしれませんし、誠意を持ってアナウンスしたいので。
――これからやってみたいことはありますか。
いろいろな球場を巡りたい。MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島やエスコンフィールドHOKKAIDOにはまだ行ったことがないので、お客様の気持ちを忘れないためにも、プロ野球の試合を見に行きたいです。交代のタイミングとか、絶対に気になるんですけどね(笑)。
――同じAG世代に伝えたいこと、「いちばん話したいこと」は何でしょうか。
ここから先は今がいちばん若いから、自分で限界を決めないでほしい。できないと思っても、もしかしたらできるかもしれないし、毎日を面白がって一緒に生きていきましょう、と伝えたいです。周りのいろいろな人とつながっていけたら、人生が豊かになると思いますし、私も疲れているときや忙しいときに人と接するのが煩わしくなることがありますけど、煩わしいと思うのは、つながりがベースにあるからなんですよね。
球場では、笑顔で来てくれた方には笑顔で帰ってもらうように、疑問に思ってきた方には興味を持って帰ってもらうようにしたい。お客様にも、ビジター球団の方たちにも、そういう場所にできたらいいな、と思っています。
――9月15日に開催された、ライオンズ・金子侑司選手の引退試合では、第2打席で登場する際のコールを鈴木あずささんが担当。「金子選手のたっての希望ということで」と、試合中継で紹介されました。プロ野球の試合を支え続ける「声」に、これからも耳を傾けたいと思います。
取材&文&写真=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー/編集長 坂本真子
写真=西武ライオンズ提供
鈴木 あずさ(すずき あずさ)さん
1975年8月19日生まれ、北海道出身。2003年12月、株式会社西武ライオンズに入社。翌04年5月から1軍の試合でアナウンスを担当。現在は事業部リーダー兼事業推進グループのゲームオペレーション担当として、主にビジター球団のアナウンスを担っています。
◇株式会社西武ライオンズ 公式サイト https://www.seibulions.co.jp/
◇埼玉西武ライオンズ 公式サイト https://www.seibulions.jp/
◇西武ライオンズ 公式note https://column.seibulions.co.jp/
40代と50代、Aging Gracefully(AG)世代の日本の女性たちの生き方は、どんどん多様化しています。最も多いライフコースは「専業主婦」だという調査結果がありますが、それでも4割に満たず、家族の形も働き方もさまざまです。
「AG世代がいちばん話したいこと」は、そんなAG世代の女性たちが、いま最も伝えたいこと、生の声をお届けします。