ふたりの往復書簡の中にあったもの、そこから続くもの 野村友里さん×UAさん対談(前編)
東京に暮らす料理家の野村友里さんと、カナダの島に暮らす歌手のUAさん。ふたりが2017年の秋から続けてきた往復書簡の連載『暮らしの音』が最終回を迎えました。もともとソウルメイトと呼び合うふたりが、それぞれの暮らしの中で感じること、考えることを書き綴(つづ)った7年間にわたる往復書簡は、その手紙を互いに向けながらも、この同じ時を、この地球で生きてきた私たちへの投げかけにもなっていました。
特に7年の間にはコロナ禍の中、何を信じていいのかわからないような、さまざまな情報が飛び交った時期もありました。その中で、「暮らし」に焦点を当てたふたりの手紙は、あらためて、読み手の私たちに、自分の心身や感覚を信じることの大切さを教えてくれたように思えます。7年間の往復書簡を終え、連載を振り返るふたりの対談をお届けします。
手紙を通じて感じた、7年間の互いの変化
―7年間という長きにわたる連載となりましたが、あっという間だったのではないですか。
UA:そうね。長かったという感覚はないかな。
―この連載がはじまった頃は、UAさんはカナダに移住しており、テント暮らしをしながら、土地を開墾し、セルフビルドで家をつくりはじめようとしていました。一方、友里さんは東京という大都市でrestaurant eatripを営みながら暮らしていて、それぞれの環境の違いの中でのやりとりも印象的でした。この往復書簡は、最初、毎回ひとつのテーマに沿って書かれていましたよね。
UA:そうだったね。最初は「木」とか「時間」とか「火」とか、テーマを決めてから書いていたんだけど、だんだんもうそれが面倒臭くなってきてね(笑)。
―毎回テーマは話し合って決めていたのですか。
UA:一緒に決めてはいたけれど、でも友里がいつも何か投げかけてはくれていたよね。
野村:うーこはいっぱい引き出しがあるから、何か投げれば、「あ、それね!」って引き出しが開いてつなげられるんです。でも私の場合は、「そこはまだ空なんですけど!」みたいなところもいっぱいあったから、私が投げた方が面白いなと思って。
―お互い7年間での変化は感じますか。
UA:友里は飛躍的に成長していると、私はハッキリと感じます。才能が開いたんだと思う。この人はやっぱりアーティストなんだよね。ひとつひとつ、ここまでこだわるというのは特殊な感性を持っていて、そこに正直に生きていたから、「人と」というところにそこまでフォーカスしてなかったと思うのね。だけどこの彼女の特殊な才能が人を惹(ひ)きつけて、彼女の元にみんなが集まってきて、結果、彼女はいろんな人の話を聞くことになって、人のお話をインプットしているうちに彼女のアウトプットがパーッと開いたんだろうね。特にこの7年間の中で顕著に開いたように私は感じる。それは、「食の鼓動」や、銀座ソニーパークでの「eatrip city creatures」もそうだけど、彼女が主体となって人をリードしていくような立場を何度も経て、なおさらそうなったんだろうと思います。
野村:なんか、子どもになって「UA教育」に入って育てられた心境(笑)。
UA:それに、友里はこういう「場」を提供する人だから、人がほんとうに好きなんだよね。「人と人」、人間という「人の間」というか、そこをつないでいくことが喜びになっているような人なんだと思う。私よりははるかに、そういう人だと思う。
―友里さんはJ-WAVEの番組内で「SARAYA ENJOY! NATURAL STYLE」も担当され、毎週さまざまなゲストを呼んで話を聞くという優れたインタビュアーの面も持っています。また、生産者に会いに行き、ものづくりの現場にも足を運んでいる。多くの人との出会いを通してのインプットも多かったのではないでしょうか。
野村:そうかもしれません。
―それをアウトプットするのに、この「手紙」というフォーマットもよかったのかなと思います。まず、誰かに向かって書くという名目があって、だけど、それが公開であることで、その向こうにいる読者に向かって書いている。
UA:そうね、「YOU」が、「あなたがた」という「YOU」になる。
―東京とカナダ、距離が離れていたからこそやりやすかったというのはありますか?
UA:あると思いますね。カナダの前も沖縄に暮らしていたので、距離的にはもうすっかり離れてはいたんだけれども、さらに海を越えているとね、私自体がUAじゃなくなっていたんですね。あの頃って。
野村:それは感じてた。
UA:もちろん「UA」なんだけれども、覚えてるし、何も記憶を消したわけではないんだけれども、誰も私をUAだと思わないとき、私はUAではいられない。要するに、UAだと思ってるのは私じゃなくて、みんなだっていうか。だから「UAではなかった」という状態からはじまっていたかもしれない。