コシャマインの戦いと道南十二館・志苔館 北海道の歴史と城①
北海道にはさまざまな種類の城がある。アイヌ民族の「チャシ」、今回紹介する「館(たて)」、〈五稜郭 幕府の威信と戊辰戦争終焉の地〉〈特例で築かれ十数年後に落城、波乱万丈の松前城〉で紹介した五稜郭(北海道函館市)、松前藩の松前城(北海道松前町)、同じく幕末に築かれた「台場」や東北諸藩の「陣屋」などだ。その背景には、本州とは異なる民族や文化、社会体制の違いなどがある。今回は、中世以降の道南地域の歴史をたどりながら、ゆかりの城を紹介したい。
独自に発展した北海道の歴史
北海道には、独自の時代区分がある。日本史では〈原始・古代(縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代)〉〈中世(鎌倉時代、室町時代、戦国時代〉〈近世(安土桃山時代、江戸時代)〉〈近代・現代(明治以降)〉とするのが一般的だが、北海道は民族の違いもあり弥生時代から江戸時代まで発展の仕方が異なる。
本州では、米の伝播(でんぱ)によって縄文時代が終わり弥生時代へ突入したが、北海道には稲作文化が伝わらず7世紀ごろまで「続縄文文化」が続く。前後して5世紀、古墳時代後期〜飛鳥時代ごろには道北・道東を中心に「オホーツク文化」、飛鳥時代後期から奈良時代には「擦文(さつもん)文化」の時代が訪れ、本州が鎌倉時代を迎えた12世紀ごろに両文化の影響を受けた「アイヌ文化」の時代へと移り変わっていった。
アイヌ民族やアイヌ文化を端的に語ることはとても難しいが、アイヌなくして北海道の歴史は語れない。
中世以降の北海道は「蝦夷島/夷嶋(えぞがしま)」「蝦夷地(えぞち)」などと呼ばれる。古代の史書『日本書紀』に登場する「蝦夷(えみし)」がアイヌを含むかについては定かではないが、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産登録されているように、かつて北海道と北東北は同じ文化圏で、とくに津軽海峡を挟んで北東北地方と向かい合う道南地域は密接につながっていった。
9世紀前半までに律令国家体制に組み込まれた陸奥(むつ)・奥羽(おうう)の蝦夷「俘囚(ふしゅう)」は各地に移住し、前九年の役で滅亡した俘囚安倍氏のように交易で力を持った豪族もいた。こうした人々とも、交易を通じて関わっていったのだろう。
北海道と北東北地方の間では、遅くとも11世紀には人や物が往来していたらしい。交易ルートも恒常的に機能し、奥羽地方一帯に勢力を張った奥州藤原氏が100年をかけて築き上げた平泉の栄華も、その経済的基盤は東北の豊かな物産だけでなく北方社会との交易にあったと考えられている。
1189(文治5)年に奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝もまた、交易権の掌握を目的とした説がある。