東インド出身ITエンジニア 激務の合間に家族と囲む食卓
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インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる異国食文化を紹介します。
食事にも出身地ならではの「コスモポリタン性」
今までご紹介したインド出身の方たちは、(私の)仕事柄、いずれも飲食関係者だった。今回ご紹介するのは、ある意味「現代インド人を象徴する職業」ともいえるIT技術者のお宅である。
とある日曜日の夕方。私は指定された時刻に東京都江東区にある大島団地に到着した。マンモス団地だけあって建物入り口には膨大な郵便受けが並んでいる。その数に圧倒されながら、行き先の棟と部屋番号に間違いがないかを確認していると、背後からタミル語らしき言葉が聞こえてきた。ふり返るとタミル系の男性が携帯で誰かと話している。その脇を、今度はベンガル人らしき親子連れがどこかに出かけようとしている。他にも6機あるエレベーターの前で待っている間、住人らしきインド人たちが互いに挨拶(あいさつ)したり立ち話をしたりしていた。聞きしに勝るインド人密集率である。
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この団地の最上階に、今回訪問するジャールカンド州タタナガル出身のヴィシュ(ヴィシュヴナート・モハパトラ)さんのお宅がある。ジャールカンド州といってもあまり耳なじみがないかもしれない。インドの中でも2000年に出来た比較的新しい州で、それまではビハール州の一部だった。地理的にはインドの東部に位置する。
タタナガルという街の歴史も比較的新しい。街の名になったタタとは、インド有数のタタ財閥のことで、同グループがこの地で1912年に開業した巨大製鋼所、タタスチール社に由来する。いわゆる企業城下町なのだが、それがこの街の独自性を形作っている。
同社で働くため、インド全土から技術者や現場作業員がタタナガルにやって来る。それだけではない。彼らを顧客にしようとする、さまざまな商売人たちもまたインド全土から集まってくるのだ。もちろんその中には多くの飲食業者がいる。かくして街にはインド各地の珍しい商品や食べものの店であふれ、ほかの街にはない、ヴィシュさんいうところの「コスモポリタンな」雰囲気にあふれているのである。
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ドアが開き、ヴィシュさん一家が出迎えてくれた。都内のIT企業に勤めるヴィシュさんのほか、妻のスデーシュナさん、8歳になる息子のマイトレーヤ君、生後2カ月のビョーミンちゃん、そしてビョーミンちゃんに手がかかるスデーシュナさんをサポートするため、ヴィシュさんの姉プルワーティさんが同居している。今日の料理もプルワーティさんとスデーシュナさんが共同で作ったものだ。
「今年から在宅勤務となり、家族と一緒にご飯を食べる時間が持てるようになりました」
流ちょうな日本語でヴィシュさんがいう。
「といっても朝8時15分にはマイトレーヤの学校(インド人学校=IISJ)のスクールバスが迎えに来るので、それまでに食事や準備を済ませなくてはならず、慌ただしいことに変わりないのですが(笑)」
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この夜の料理は、ジャールカンドの名物だというドゥスカ・ピター(米と豆とをペーストにし、発酵させた生地を揚げたもの)とマスタードオイルを効かせたビンディー(おくら)炒め、チャナー・アールー・カ・タルカリ(黒ひよこ豆とジャガイモの煮込み)、プーリー(全粒粉の揚げパン)に野菜たっぷりのテハリ(テヘリ・炊き込みご飯)という内容。
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台所の棚を見ると、そこには蒸し器が置いてあった。少なくとも週に2度は、これでイドゥリ(米と豆の蒸しパン)を作るのだという。イドゥリだなんて東インドではなく南インド特有の料理では?と私には感じられたのだが、必ずしもそうではないらしい。
「ジャールカンドは地理的には確かに東インドですが、南インドの影響も強いところなんです。ドーサやイドゥリなんかの軽食も家で日常的に食べるんですよ。街には南インドからやって来た軽食屋が多く、子供のころから食べ慣れた味です」
それがつまり「タタナガルならではのコスモポリタン性」ということなのだ。
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「こんな風に家族と一緒に食事する時間が持てるのはいいですよね。ボクが初めて日本に来たときには考えられなかったですよ」
そういうと、ヴィシュさんは2008年の初来日のころのことをふり返ってくれた。
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