ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる異国食文化を紹介します。今回は、イスラム教の「ラマダーン月」期間中、日中の厳格な断食を終えた後の食風景です。
静寂を破るアザーン、最初のひと口はデーツ
一面にブルーシートが敷かれた室内には、集まった大勢の男たちが横一列に並び、無言のまま時が告げられるのを待っていた。彼らの前にはイフタールと呼ばれる、断食後に最初に食べるデーツ(ナツメヤシの果実)と数切れのフルーツ、簡単な揚げ物がのった紙皿と、水の入った紙コップが置かれている。
やがて静寂を破るように、「その時」がやってきた。スマホに接続したスピーカーから日没を告げるアザーン(礼拝を告げる呼びかけ)が鳴り響くと、皆いっせいに、まずデーツを噛(か)み、次いでコップの水を飲み干した。一心不乱に軽食を食べる男たちから聞こえてくるのは、かすかな咀嚼(そしゃく)音のみである。
2024年のラマダーン月のある夜(4月初旬)、私は友人のムスリム(イスラム教徒)の案内で、東京都江東区大島にある巨大団地群の1階にある集会所を訪ねる機会を得た。インド系住民の多いここ大島団地では、ラマダーン月になると週末の日没前後、ムスリム住民たち有志が集会所を借りてムサッラーの場として使う。ムサッラーとはモスク以外の礼拝する場所を指す。例えば空港内に併設された、簡易的な礼拝室もムサッラーである。日本国内にはこのムサッラーがたくさんあるが、多くの場合、その近くにモスクを建立予定で、完成までのあいだだけ使う仮の礼拝設備といった性格が強い。
イフタールとは前述のとおり、狭義には断食後に食べる最初の一皿を指すが、その後の集団礼拝や集団共食まで含めて用いられることも多い。その最初の一皿で最も重要なのがデーツである。古代エジプトの記録にも登場し、コーランだけでなく旧約聖書でも言及されているデーツはカロリーが高く、糖分だけでなく多量のビタミンや食物繊維を含み、一日の断食明けの最初のひと口目はデーツからと決められている。ただそれ以外のイフタールの内容は、同じイスラム教徒でも出身地や民族によってまちまちらしい。
「僕のところではクグニ(豆の煮込み)を食べます」
「私のところではケバーブが欠かせないですね」
いずれにしても、このイフタールを腹に収めてようやく長い日中の断食から解放されるのだ。食後、談笑する姿からは、目標を共に達成した人たちが持つ強い連帯感のようなものが感じられた。
急増する団地のインド系住民、今では80家族に
「2011年にここでラマダーン月の集団礼拝をはじめた時、集まったのは我々含めて3家族だけでした。それが今では約80家族に増えたんです」
南インド、タミル・ナードゥ州出身のハミードさんは感慨深そうにいう。日本在住23年、IT技術者として都内の企業に勤めているハミードさんは当初、千葉県の市川市に住んでいたが、ほどなくして大島団地に移り住む。
「子供の学校があったからです。IISJという、インド人が経営する学校ですね。やはり子供の教育が一番大事ですから」
2004年、同区森下に設立された日本初のインド人学校、インディア・インターナショナル・スクール・イン・ジャパン(略称IISJ)は開校後すぐに手狭となり、2007年には大島の旧第三大島中学校跡地に移転。子供を通わせるために都内各所からインド人家族が周辺に集まるようになった。その多くを収容したのが大島6丁目と4丁目にある巨大団地群である。新たに団地の住民となったインド人の中には、自治会の役員になったり、夏に開かれる納涼祭りでインドカレーのブースを出したりと、地元にとけ込もうとする人が少なくなかった。
その中にはムスリムもいた。法務省の資料によると、インドのムスリム人口は14.2パーセント。全体からするとマイノリティーのように感じるが、人口14億のインドだからおよそ1億9000万人。日本の総人口をはるかに上回る数なのだ。もちろん、来日するIT技術者の中にも、少なからぬインド人ムスリムがいる。
当初、めいめいの自宅で礼拝していた彼らは、やがて集まって礼拝をする場を求めるようになる。集団礼拝はムスリムの男性にとって義務とされ、仕事や食事同様、生活に不可欠なものである。と同時にその場は、子供の学校や仕事、病院といった異国で生活する上で必要な情報交換の場にもなる。
「長年、見知った人たちと一緒だと安心するんですよ。通うのは遠くなりましたけど、やっぱりここに来てしまいます」
流ちょうな日本語でそう語るのは、バングラデシュ出身のラナさんだ。NHKのドラマ『おしん』を見て日本に興味を持ったというラナさんは、1990年代はじめに来日。日本語だけでなく堪能な英語スキルも買われて某国大使館に勤務している。そしてこのラナさん、もともと大島団地に住んでいたのだが、数年前に江戸川区篠崎町に引っ越した。その新居近くにモスクがあるにもかかわらず、わざわざ大島まで通ってくる。
「昔は礼拝しに行こうにも、代々木上原の東京ジャーミイぐらいしかありませんでした。今では仲間内でお金を出し合って、たくさんのモスクが出来ました」
ラナさんは翌日、埼玉県三郷市にあるモスクにムスリム同胞からの寄付金を募りに行くのだという。こうして仲間内で集めた資金で中古の戸建て住宅や店舗、工場物件などを取得し、モスクにする流れが1990年代ごろからはじまり、2000年代以降加速している。大島のモスクもほぼ目標金額に達し、建設予定地も決まっている。どれくらいの募金が集まり、目標達成まであとどれぐらいか、といった詳細情報は逐一ホームページで確認できる。見やすくスタイリッシュな作りは、さすがIT技術者の多いインドという感じである。
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バングラデシュは、ほかのイスラム圏とはじゃっかん異なるムスリムの慣習がある。
サウジアラビアやまたインドネシアとはことなるほかの宗教やかれらの文化・食生活のまざった感がある。
日本をとりまくアジア圏の多様性が語られる昨今の情勢の中でバングラデッシュ出身のかれらがわれわれの社会にひろく受け入れられる用になれたらと思う。