万能なイカ 刺し身で煮物で塩辛で年中活躍
東北地方の三陸沖は、世界有数の漁場として知られます。沿岸の漁港に水揚げされた新鮮で豊かな魚介を味わうことは、この地域を訪れる楽しみの一つです。そんな三陸地方の四季折々の海の幸を、全国すし技術披露会で金賞を受賞し、盛岡市で予約制の店「すし心明(しんめい)」を経営する下屋敷明美さんが紹介します。今回はイカです。
三陸産、夏はスルメイカで秋から冬はヤリイカが主役
お刺し身はもちろん、煮たり焼いたり、万能な「イカ」。食卓に登場する機会も多いのではないでしょうか。
「すし心明」でも、1年を通してイカを仕入れます。握りの定番のスミイカ。アオリイカや赤イカも。三陸産では夏はスルメイカ、秋から冬はヤリイカが主役です。
お刺し身や握りは、塩やおしょうゆでも良いのですが、ユズやスダチで香りをつけたり、おろしショウガでお出ししたりすることもあります。カラスミをおろし金で削ったものを添えるのも、お酒と相性が良く人気です。
少し涼しくなる秋には、イカのふわた(内臓)に脂がのってくるので、この時期に塩辛を仕込むと濃厚な味に仕上がります。冬になると大根もおいしくなるので、イカのふわたをたっぷり入れたイカ大根も最高ですね。
青森・八戸が有名なスルメイカ。日本料理の世界では、縁起の悪い言葉を嫌います。「スル」が窃盗の「スリ」を連想させるため、縁起の良い「当たり」に言い換えます。干物の「スルメ」が「アタリメ」と呼ばれるのは、そういう理由からです。
ゴマをする「すりこぎ棒」「すり鉢」も、日本料理では「あたり棒」「あたり鉢」に。包丁で「切る」も、刀で「斬る」を連想させるため、野菜などは「打つ」と言い換えたりします。
お祝いの席やハレの日のお品書きに、縁起の悪い言葉は使えないという、日本料理ならではの素敵な心配りです。
「イカ字引」が語る始まりと今
イカの水揚げ日本一を誇る青森県八戸市を朝日新聞の三浦英之記者が訪ねました。
太平洋に臨む八戸市の岸壁に日曜日の早朝、巨大な市場が立ち上がる。
国内最大級の「館鼻岸壁朝市」だ。新鮮な海産物や農産物に加え、コーヒーやパン、韓国食材など約300店が出店し、全国から数万人が押し寄せる。
人混みの熱気の中で、笑いの輪が広がっていた。
朝市を練り歩く謎のキャラクター「イカドンファミリー」だ。「パパ」「ママ」「長女」がいると言い、関係者によると、2015年ぐらいから朝市に出没している。運営する任意団体の栗林志音さん(22)は「八戸の観光に大きく寄与してくれています。八戸と言えば、やはりイカですから」。
八戸は1972年から50年連続で、イカ水揚げ日本一を誇る。しかし近年、温暖化の影響で水揚げ量が激減している。八戸漁業指導協会によると、昨年の水揚げ量は6695トン。最盛期(1988年)の約15万トンの4%に減ってしまった。
「さびしい限りです」。同協会の熊谷拓治会長(86)は嘆く。船主として半世紀以上、イカ漁を見続けてきた。「生き字引」ならぬ「イカ字引」だ。
熊谷さんによると、八戸でイカ漁が盛んになったのは戦後。「米軍のグラマン戦闘機の空襲で、八戸の漁船はジャンジャン沈んだ。戦後、戦地から戻り、途方に暮れた男たちが、残った木造船で細々と近海でイカ漁を始めたのです」
冷凍技術が未発達だった時代。漁師たちはイカを天日干しにし、内臓を使って塩辛を作った。以来、加工業や流通業が発達し、大型漁船で遠方からイカを取ってくる時代になっても、多くが八戸に水揚げされた。
「だから、平和が何より大事だと思うのです。戦争になれば、イカ漁もできず、八戸もやがて衰退してしまう。それはイカがなものか、と」
照れ笑いの中に、戦争体験者の願いが光る。
文・写真:三浦英之(朝日新聞記者)
ついに烏賊の登場です!、生で良し、煮て良し、焼いて良し、身だけでなくワタも良し、足なんかも更に良し、粗塩を振って酢橘を垂らす、サッと鼻に抜けていく香りがしたと思ったら、きっと烏賊の甘味が口腹を一杯に満たしてくれるんでしょうね🎵