現実をのみ込むほどの壮大な虚構と…… 恩田陸さんミステリー長編2作
『鈍色幻視行』
今回は恩田陸さんの二冊をご紹介。まずは『鈍色幻視行』。
豪華客船にあるグループがいる。映画監督、俳優、プロデューサー、評論家、編集者、漫画家、弁護士、小説家。全員をつなげているのは『夜果つるところ』だ。
世間的には忘れられた小説だが熱狂的ファンがついており、一部では「呪い」で知られている。映像化しようとすると人が死ぬほどの災いが起きるのだ。公に知られているだけでも三度の頓挫。積み重なる死者たちの中には、グループにかかわりの深い人物もいる。
そして『夜果つるところ』の著者も消えている。生前から謎の多い人物だったが行方不明になり、今では死亡者扱いだ。
そんな小説と映画について、これほどの関係者が集まる機会はない。小説家はインタビューを試みるが、彼女は気づいてもいる――「ここにいるのは、嘘をつくプロばかりなのだ」。
そう、グループの誰もが「虚構」にたずさわっている。弁護士だって嘘を見抜くプロ。ということは、その逆だって得意なはず。
一見仲のよさそうな一団だが、会話にほとばしる欲望、嫉妬、何人かをめぐるスキャンダラスなうわさ、船にひそかに持ち込まれたもの、意外な人物の登場……。
『鈍色幻視行』の最大の魅力は「ひたる」だと思う。今はサクっと読める本だとか映画を早送りで観るとかが流行りだけど、それだと物語は「日常を消化するための装置」にしかならない。現実を飲み込むほど壮大な虚構の時と空間に身をまかせる。それが読書だ。
本書があえて時間をかけるのが目的と醍醐味の「船旅の話」というのがすごくうなずける、ミステリーロマンの大傑作。
『夜果つるところ』
で、すごいのはここから! 紹介する二冊目は『夜果つるところ』。そう、『鈍色幻視行』にでてくるあのいわくつきの小説を、恩田陸さんが現実のものとして書きあげたのである。
時代は昭和の初期。三人の母を持つ主人公「私」の幼少期の追憶が全体を覆っている。当時、十歳から十二歳ぐらい。ところどころで大人になった「私」も出て来るが、ほとんどが記憶の物語である。
三人いる母親と、何人もの女たち、下働きの者、そしてさまざまな男性客がいるのは山の中の大きな館だ。「私」はお客と顔を合わせることは固く禁じられていたが、常連である作家にでくわした時、彼は笑って「私」を童話のお姫様にたとえてくれた。また招かれざる客に姿を見られた際、そいつは言った。
「ちっちゃい癖に末恐ろしいようなべっぴんだったな。あれならじきにうんと稼げるようになるぜ」
そう、「私」はうつくしい子供だった。そして皆様もうおわかりだろう。この子がいるのは遊郭なのだ。ここでなにがおきたか。
館の名前は「墜月荘」。ツキガオチル、とも読める。誰もが運命に見放される場所。その壮絶な美しさ。
『鈍色幻視行』が豪華客船なら本書は川を下る小舟。流れに身をまかせ、夜が果てるところをめざそう。
こんな二冊。ぜひ併せてお読みください。
まむろ・みちこ
代官山 蔦屋書店 文学コンシェルジュ
テレビやラジオ、雑誌でおススメ本を多数紹介し、年間700冊以上読むという「本読みのプロ」。お店では、手書きPOPが並ぶ「間室コーナー」が人気を呼ぶ。