岩盤を削った堀切と広範囲に残る石垣に驚嘆! 金山城(2)
日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回も群馬県太田市の山城、金山城です。四区域に分かれ山全体を要塞(ようさい)化した城を通路に沿って歩いてみると、城の特徴である堀切や石垣のすばらしさ、曲輪(くるわ)に設けられた緻密(ちみつ)な防衛線が実感できます。
実城、西城、北城、八王子山ノ砦の四区域
金山城は、標高239メートルの金山山頂の「実城(みじょう)」を中心に、四方にのびる尾根にまで城域が広がる。戦国時代の関東地方を代表する、巨大な山城だ。山頂の実城群を中心部として「西城」「北城(坂中・北曲輪)」「八王子山ノ砦(とりで)」の四つの区域までを城域とする、まさに山全体を要塞化した山城といえる。山麓(さんろく)にも、館や屋敷があったとされている。
現在、一般的に金山城として見学されているのは、実城域だ。実城(本丸)を中心として、二の丸、三の丸、御台所(みだいどころ)曲輪、南曲輪などが置かれ、尾根上にも階段状にいくつかの曲輪が並ぶ。実城群だけとはいえ、駐車場となっている西城付近から本丸まではゆっくり歩いて片道約1時間〜1.5時間の道のり。随所に見どころがあるので、たっぷりと時間を取って探訪してほしい。ハイキングコースとしても知られ、どちらかというとハイカーが多い。道のりは整備されているが、ところどころ露出した岩盤もあるため、しっかりした靴をはいていくのがおすすめだ。
尾根を分断するダイナミックな堀切
大きな注目ポイントは二つある。一つは、尾根を分断する堀切だ。岩盤を削り込んだダイナミックさを、まずは堪能してほしい。土塁や竪堀、土橋や喰(く)い違い虎口(こぐち)などを駆使した設計も見逃せない。直線的な尾根をどのようにして要塞化しているのか、高低差の生かし方や複雑な通路の生み出し方などが直感的に理解でき、戦国時代の山城のつくり方を目の当たりにできる。
歩きはじめて最初に見えてくる西矢倉台西堀切、その先にある西矢倉台下堀切を見れば、尾根を分断する堀切のしくみがわかるだろう。おもしろいのは、複雑な通路がつくられていたことだ。現在は歩きやすいよう直線的な遊歩道が整備されているが、かつては迂回(うかい)するよう急斜面に沿って丸太をかけた「桟道」があった。実城と西城をつなぐ尾根上にある連絡路として機能し、もし西城まで攻め込まれた場合は桟道を壊して敵の侵入を防ぐしくみだったらしい。
堀切で大雑把に尾根を断ち切っているだけではなく、緻密な防御の工夫も散りばめられている。たとえば西矢倉台西堀切では、桟道から続く石敷きの通路の西側に土塁上の高まりを設け、堀切内の敵から見えないよう目隠しとしている。一方、北側から敵が侵入できないように柵列も設けられていたようだ。
石垣や土塁駆使した周到な防衛線
こうした設計の妙がよくわかるのが、物見台下虎口の周辺だ。物見台の西側には、岩盤をこれでもかと削り込んだ圧巻の堀切があり、いかなる敵も一度足を止めざるをえない。高さ7メートルの堀切の両端は竪堀となって斜面をざっくりと遮断。幅が狭く通りにくい土橋は斜めに架けられており、城兵から集中攻撃されやすい。渡った先に置かれた間口の狭い虎口は、両側に石垣を積むことで視界を遮っている。よく見ると石垣は岩盤の上に差し込むようにして積まれており、意図的にこの配置で積んだことがわかる。
設計力に驚かされるのは、その先の竪堀付近と馬場下通路あたりだ。竪堀に敵をおびき寄せるためなのか、竪堀に通じる石階段がある。思わず歓声をあげてしまったのは、射撃場になるであろう石垣が、道筋に対して食い違うようにずらして配置されていることだ。こうすることで、城兵は竪堀に封じ込めた敵をあらゆる角度から迎撃できる。高低差だけでなく、縦横のラインも複雑化した設計に感服だ。実際に物見台に上がって見下ろしてみると、この屈曲が死角のない攻撃線となっているのがよくわかる。
馬場下通路は、土塁と石垣を駆使して細い道幅としているのも見逃せない。もともとの地形を生かしてはいるが、岩盤をここまで削り込むのはなかなかの作業だろう。山を要塞化するという戦国時代の山城の真髄を味わえる。木橋の先には行き止まりの曲輪もあり、物見台から馬場曲輪への通路はよく見ると道幅が変化している。
城内最大の大堀切 幅も深さも15m
建物跡が確認されている馬場曲輪の東側に現れるのが、城内最大の大堀切だ。三の丸との間を隔てるもので、大手虎口の前面で中枢部をしっかり独立させる重要な防御線といえる。長さは約46メートル、幅は約15メートル、深さは約15メートルに及ぶ。
興味深いのは、岩盤を掘り下げて平らにした堀底に、石積みにした畝(うね)状の土塁が発掘調査で見つかっていることだ。往時は1.8メートル以上の高さがあったと推定され、制御する障壁として機能していたようだ。
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