偏った表現の歌詞が“明るく”機能する『DEAR MY LOVER』
音楽バラエティー番組『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)で披露するロジカルな歌詞解説が話題の作詞家いしわたり淳治。この連載ではいしわたりが、歌詞、本、テレビ番組、映画、広告コピーなどから気になるフレーズを毎月ピックアップし、論評していく。今月は次の6本。
1 “最低なふたりだって最高の恋をしようぜ”(Hey! Say! JUMP『DEAR MY LOVER』/作詞:YUUKI SANO)
2 “目からカラコン”(ぱーてぃーちゃん 信子)
3 “とりあえず生”(『アサヒスーパードライ』CM)
4 “メガ吉”(森永製菓『ハイチュウ』)
5 “本当にそのメール送信する?”(マッチングアプリ『Aill goen』のAI)
6 “6千万”(萬田久子)
日々の雑感をつづった末尾のコラムも楽しんでほしい。
TBS系ドラマ『王様に捧ぐ薬指』の主題歌『DEAR MY LOVER』。悪女と呼ばれるウェディングプランナーの女性と、王様と呼ばれる権力者一族の男性との契約結婚から生まれる愛を描くドラマの主題歌で、ドラマに合わせた攻めた歌詞が素敵だ。特にサビの「最低なふたりだって 最高の恋をしようぜ どんな手を使ってでも 君だけ守るから」が、主人公の関係性を短いシンプルなフレーズでキャッチーに描き出していて良い。
ドラマの設定自体はかなり突飛なので、それに合わせた歌詞となると、まるで私たちの現実の恋愛には当てはまらないズレた歌になってしまいそうだが、実際はそうでもない気がする。恋愛中の自分たちのことを「最低なふたり」なんて呼んだ上で、「どんな手を使ってでも君だけ守るから」とストレートに言うのは、響きとしてはユーモアとか照れ隠しみたいなものに近くて、この歌を口ずさんで笑い合える関係はすなわち良い関係で素敵だなと思うのである。
ものすごく特異な関係性における恋愛の歌を、あえて偏った表現で書いたはずなのに、それが逆に世の中の実際の恋愛においては“明るく”機能する、という不思議な広がりを感じる歌だなと思った。
こういう歌詞に出会うと、タイアップがあるからこそ生まれる面白い表現というのがあることに、あらためて気付かされる。
6月3日放送のTBS『有吉ジャポンⅡ ジロジロ有吉』でのこと。起業家ギャルを育成する女子校を特集していた。ひとりの生徒がしていた「柄・色付きのルーズソックスの販売」という新しいビジネスのプレゼンを聞いた、ぱーてぃーちゃんの信子さんが「たしかにー、白が当たり前だから、そういうの、マジで、目からカラコン」と言った。
言われてみると「目から鱗が落ちる」は不思議な表現である。なぜ“鱗”なのだろうと調べてみると、この言葉はキリストの奇跡により盲目の男の目が見えるようになった「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」という新約聖書の一節から生まれた言葉なのだそう。なるほど、勉強になった。
ということは、元が “鱗のようなもの”なのだから、「目からカラコン」でも、間違いではない、ということになる。もし問題があるとすれば、それが落ちたことでよく見えるようにならなければいけないので、正しくは「目から度が合ってないカラコン」、あるいは「目からワンデイなのに何日も使っちゃってるカラコン」みたいなことなのかしら。
アサヒスーパードライのCM。生田斗真さんが「お店行くと、とりあえず生、“とりあえず”って言いません? あれ、何でですか?」と岡田准一さんに尋ね、「美味しいからでしょ」と答える。
でも、私自身振り返って考えてみた時、「とりあえず生」と発したことはあっただろうか。もしかしたら、ない気がする。試しに今、「とりあえず生」と実際に口にしてみても、口が滑らかに動かない感じがする。やはり、普段から言い慣れていない言葉なのだろう。ならば私は日頃何と言って最初のビールを頼んでいるのだろうかと考えたら「生、ください」のような気がする。
家でこのCMを見ていた時、「 “とりあえず生”なんて言ったことないけどなあ」と言ったら、酒をまったく飲まない妻は、意外そうな顔で「みんなそう言ってビールを頼んでいると思っていた」という。妻に「飲まない人からしたら、何で“とりあえず”だと思う?」と尋ねてみると、「別に何でもいいけど、まあビールでいいや、みたいな、適当なオーダーっていうイメージだった」という。少なくとも、「美味いから」だとは思っていなかった、と。
私が思う“とりあえず”の意味のイメージは、そもそも飲みに行くとなった時点で、最初にビールを飲むつもりだし、ビールを置いていない店などほとんどないので、店に入る段階でもう“ビールの口になっている”から、メニューも見ずに“とりあえず生”と頼む人がいるのだと思っていた。
ふと、我が家の長男がまだ3歳くらいの頃、作っていたブロックを壊されたか何かした時に、泣きながら「いつもは、おなかのあたりに、こころがあるんだけど、ぶわーって、あたまのところまであがってきちゃって、あふれちゃって、もう、なにがなんだか、わかんないんだよー!」と言って、怒り散らしていたのを思い出した。彼がどこかで覚えた「頭にくる」という言葉をそんな風に理解しているのかと、驚いたのを覚えている。
私に見えている赤という色が誰しも同じ赤色に見えているかどうかは分からないように、誰もが知っている定型文みたいなフレーズでも、解釈は人それぞれに違うものなのかもしれない。
ある日、我が家のリビングのテーブルの上に子供たちが食べたハイチュウの包みが散らかっていた。空になった包みをつまみ上げると、「メガ吉 思い切って新しいことに挑戦してみよう!」と、おみくじのような文言が書いてあるのが目に入った。
メガ吉。キャッチーな響きである。大吉の上なんてことを考えたことはなかったが、なるほど、この先、ギガ吉やテラ吉なんていうおみくじが登場する日も近いのかも知れない。
心の中で、大通りの上のメガ通り、大絶賛の上のメガ絶賛、大型免許の上のメガ型免許、大統領の上のメガ統領、大阪府の上のメガ阪府なんて言葉が浮かんで、すぐ消えた。
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納得性に富んだ記事、歌詞の威勢のいい印象的批評、いっきによめました。少しばかりの違和感は、「最低なふたり」かな?。ぼくなら、一人称表出にして「最低なぼくだって 最高の恋を生きるぜ」「 どんな手を使ってでも 君だけは守るから」にするかも。