坂本真子の『音楽魂』
麻倉未稀さんインタビュー〈後編〉
年齢を積み重ね「今が一番楽しい」
50代で乳がん、早めの検診呼びかけ
麻倉未稀さんは歌手デビューして40年余り。これまでに歌った楽曲は約200曲に上ります。今年2月、その全ての曲がストリーミングサービスで聴けるようになりました。2017年に乳がんの手術を受けた後は、がん検診の受診率向上をめざす活動に力を注いでいます。そんな麻倉さんに、歌うことや年齢を重ねることへの思いを聞きました。インタビュー後編では、がんの闘病体験や日々の過ごし方などについて語ります。
麻倉さんにとって40代は大きな転機になりました。
「自分がやりたいことがまだ少しぼやっとしていて、探っていた時期でした。40代半ばで再婚して、東京を離れたのがとても良かったのかな、と思います。夫は鎌倉で生まれ育った人で、彼が東京に来ることは想像がつかなかったので、私が鎌倉に住居を移したんです。その結果、仕事とプライベートを切り分けることができるようになったことが良かったと思いますね」
引っ越した当初は、友人たちから「飲みに誘いにくい」と言われたそうですが……。
「横須賀線の終電がすごく早くてタクシーで帰ったこともあって、みなさんが『もう悪いから』と誘わなくなって、ちょっと寂しかったんですけど、その分、有意義に自分の時間が使えるようになっていきました。例えば『これからちょっと湘南行きます』『じゃあ会おう』みたいに、こっちに来るときは気軽に声をかけてもらえるようになって、それがすごくうれしくて。仕事とは違う、みなさんといられる時間が私にとっては非常に居心地が良かったんです。歌にもいい影響があると感じることがありますね」
それまでは仕事とプライベートにあまり区別がなく、趣味もほとんどありませんでしたが、自分の時間ができたことで変わりました。
「たまたまカンツォーネを歌うことになってイタリア語の先生に発音を習って、その方の友人が鎌倉で『ボタニカル・クレモラート』の教室を開いていたんです。一度体験してみようと思って行ったら、私がハマっちゃって何年か習いました。忙しくなって行けなくなったんですけど、最近、通信(講座)があるとわかって、また始めようと思っています」
「ボタニカル・クレモラート」とは、日本で(アトリエ・クレモラァタの小島典子さんによって)商標登録されたオリジナル技法「クレモラート」で、植物を精密に描いた作品のことです。ステンシル(西洋型染め)の一種で、型を複数重ねて繊細に描かれます。
「先生が描く下絵をトレーシングペーパーに写して、花びらなら1枚ずつ番号を入れて、その花びらをどう切り分けていくか、図画工作みたいな感じで版画の版を作っていくんですね。色も、例えば白く塗る分と赤く塗る分を別のトレーシングペーパーで作り直して、切って重ね合わせてアクリルで塗っていく。それが非常に楽しくて、私の性格にめちゃくちゃ向いていると思っています」
集中すると気配が消える?
何かに没頭すると一気に集中する――。麻倉さん自身、子どもの頃からそういうところがあったと振り返ります。
「遊びに集中すると気配が消えていたみたいで、そういえば母がよく私を探していた気がします。自分ではそんなつもりは全くないんですけどね」
「今も、没頭すると誰にも入れない枠があるらしく、誰かに話しかけられても答えられないんです。話の内容はわかっているんですけど、答えられなくて、電話がかかってきても無視。歌を覚えるときも集中力が切れるまで没頭しちゃう。協調性がなくなってしまうので、以前は一生懸命合わせるようにしていたんですけど、60歳を過ぎてからは、合わせられなくても大丈夫だと思うようになりました」
現在62歳の麻倉さん。年齢を重ねることは前向きにとらえています。
「私は若い頃、年をとってからじゃないといろんなことをやるのは難しいと思っていた時期があったんです。19歳ぐらいでモデルをやっていたとき、初めて私を見たプロデューサーが『あなたは28からよね』と言って、『私もそう思います』と答えたこともあって。年齢がいかないと難しい性格だとその当時から思っていました」
そう話して、麻倉さんはにっこりと笑いました。
「一日一日を楽しく」
麻倉さんは2017年春、56歳のときにテレビ番組の企画で人間ドックを受け、乳がんが見つかりました。
「少し前から左胸にひきつる感覚があったんです。でもその頃、父親が入院してICU(集中治療室)に入っていたので、自分の健診は後回しにしていました。そんなときにテレビの企画があって、見つかったという……。10年ほど前に乳腺症の所見はあったんですけど、高濃度乳腺で、マンモグラフィー検査でがんは写らなかったんですね。その後、機械の性能もよくなって、がんが見つかったんだと思います。同じ左側の胸でした」
その年の6月に左の乳房全摘と再建の手術を受け、7月には音楽活動に復帰しました。
「今も経過観察中で、ドキドキしながらも毎日生活しなきゃいけない部分もありますが、それが逆に私にとってはいい刺激になっていると思います。やっぱり経験してみないとわからないことがたくさんあるんだな、と正直思いました。がんという病気は、命に関わる部分もあります。今は治る確率が高いですけど、私はいつどうなってもいいようにちゃんと生きていこう、一日一日を楽しく過ごそうと思っています」
前向きに語る麻倉さんですが、がんとわかったときは、死を意識したと話します。
「告知された時点で死と真正面から向き合わなければいけないと考えました。それまでは少し遠いことのように感じていたので、実際に自分が言われたときに、かなり冷静に向き合っていたことには、私もちょっとびっくりしたんです。仕事もあって、早く決断しないといけない立場上、泣いてばかりでは先に進めないと思いました。死というものとちゃんと向き合う時間ができたことは、すごく良かったと思います」
現在は3カ月ごとに診察を受け、半年ごとに検査を受けています。ホルモン治療のため、更年期の症状が出るように。
「もともと更年期の症状はあまりなくて、ホットフラッシュが多少あるぐらいだったんですけど、乳がんになってホルモン治療を始めてからは波があって、一時はホットフラッシュが激しくて困りました。番組に出演したときに照明が熱くて汗だくになってしまって、『麻倉さん、どうしたんですか、そんなに汗を』と言われて、『これは副作用なんです』と説明せざるを得ない状況が何回かありました。保冷剤を背中に入れてもあまり効き目がなくて。関節がひどくむくんだ時期もありました。今はだいぶましになりましたが、ずっと同じ姿勢をしていると固まっちゃうので、すぐに立てない。これも副作用の一つです」
体調を整えるために、普段はどんなことをしているのでしょうか。
「月に何回かパーソナルトレーニングに行くようにしていたんですけど、昨年から忙しくて、ちょっとお休みしています。体を適度に動かすのは非常に大切で、一番いいのはお散歩です。ただ、朝早いと体調に波があって、元気だと思っても1時間後にドーンと来るときがあるんですね。晴れているから大丈夫だと思っても、翌日が大雨になりそうなときは、気圧のせいで全然使いものにならないぐらい。そんなときは、何もなければいったん寝て、仕事に行く前だったらお風呂に入って体を温めます。以前は全然なかったことで、病気をして初めてわかりました。こんなに差があるのかとびっくりしましたね」
睡眠にも気を配っています。
「忙しくてなかなか睡眠時間がとれないときに、睡眠不足を1週間ぐらい続けちゃうと、ガクーンと『もう起きられません』という状態が来るんです。だから、その手前で止められるように、今は努力しています」
感じたことを吐露できる場所を
乳がんを患ったことで、麻倉さんの生活は大きく変わりました。
「それまでは私、歌以外のことは一切やらないと思っていました。本業を大切にしたいので、誰かがやっていらっしゃるのを手伝う程度のことはあっても、まさか私が手を上げてピンクリボンを始めるとは、想像もつきませんでしたね。それが、ちょっと手を上げてみたら、すごいことになってしまったという」
2018年、元「PRINCESS PRINCESS」のドラムス富田京子さんと一緒に「ピンクリボンふじさわ」の活動を始めました。歌と講演を通じて乳がんの正しい知識を広め、早期発見の大切さを呼びかける啓発活動を行っています。
20年にはNPO法人「あいおぷらす」を設立。がん検診の受診率向上を呼びかけ、患者や家族、遺族の支援にも力を入れています。
「私がSNSなどで発信することで、つながる人もいます。また、私が通院している病院にかかっている同じ乳がんの患者さんで、手伝っていただいている方もいます。やっぱり一歩一歩進めていくことが大切ですね。この活動で感じることと自分の歌で感じるものが、感情的にとてもリンクする部分があるので、勉強にもなります」
歌手としての活動とピンクリボンの活動が、最近は半々ぐらいになっているという麻倉さん。
「3月は特に、月末にチャリティーコンサートがあるので忙しくて。中心メンバーでプロのミュージシャンは私と富田京子ちゃんしかいないので、制作はうちの事務所にも手伝ってもらっています。少し前までは私がいないと成り立たないこともたくさんありましたが、今はみなさんに振り分けるがことができるようになってきたので、できないときはできないと言うようにしています。もちろん本業の歌が大切なので、そこには影響が出ないようにしています」
こうした活動を通じて麻倉さんが今、最も伝えたいことは何でしょうか。
「まずは早めに検診を受けるように、みなさんに伝えたいですね。乳がんは今、9人に1人の女性がかかるといわれる身近な病気ですが、がんと告知されたときに一人一人が感じることは全然違うので、それを吐露できる場所は非常に大切だと思っていて、ようやく3月からそういう場を設けることができるようになりました。ピアサポーターや医療関係者、がんに特化した看護師さんといった方々を集めて仲間を作って、少しいい感じになってきたかな、と思います。今のところまだ月1回ですけど、これから広げていきたいと思っています」
シングル曲の「WHAT A FEELING〜フラッシュダンス」「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」「RUNAWAY」をはじめ、「THE NEVER ENDING STORY」「THE POWER OF LOVE」「運命のいたずら(TWIST OF FATE)」「TAKE A CHANCE」「NEVER」など、麻倉さんがカバーした洋楽は1980年代の大ヒット曲ばかり。50代の私にはどれも懐かしい作品です。
その中の1曲、「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」を通して、麻倉さんはずっと、私たちを勇気づけるメッセージを発信し続けています。
3月30日夜、神奈川・藤沢市民会館大ホールで開かれた「あいおぷらす」のチャリティーコンサート「さぁ!ここから ~音楽で愛を繋ごう~ ONE LOVE FUJISAWA」では、歌手の木山裕策さん、タレントのつるの剛士さん、TUBEのベース角野秀行さんをゲストに迎え、1000人超の観客で盛り上がりました。その熱気に「感動しました。言葉を失うってこういうことなんですね」と思わず声を上げた麻倉さん。テレビ番組の中で乳がんと告知された思い出などを語り、富田さんのドラムスに合わせてパワフルな歌を聴かせました。
最後はもちろん「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」。伸びやかな高音を響かせ、豊かな声量で歌う麻倉さんは、とても生き生きと輝いて見えました。
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクト編集長の坂本が、音楽の話をお届けします。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefully プロジェクトリーダー/編集長 坂本真子
写真=山本倫子撮影
麻倉未稀40周年記念アルバム
「人生はドラマ これからも続く私のヒーロー物語」
3000円(税込み)
◆麻倉未稀さん全200曲楽曲配信特設サイト https://cnt.kingrecords.co.jp/miki_asakura200/
◆麻倉未稀さんオフィシャルサイト https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=11319
◆麻倉未稀さん公式ブログ https://ameblo.jp/mikiasakura/
◆麻倉未稀さんツイッター https://twitter.com/mikiasakura821
◆NPO法人「あいおぷらす」サイト https://aioplus.net/
◆ピンクリボンふじさわ オフィシャルサイト https://www.pinkribbon-fujisawa.com/