Aging Gracefully フォーラム 2023
「女性の自分らしい生き方とは」〈セッション2〉
長山洋子さん、乳がんと診断されて
「50代で一番大きな決断が手術」
朝日新聞社と宝島社の月刊誌「GLOW」による「Aging Gracefully」(以下、AG)プロジェクトは、40代、50代のAG世代の女性たちを応援することをめざし、一般の方向けのセミナーや企業向けの勉強会、コンテンツ発信など、さまざまな活動を行っています。
3月5日は、歌手の長山洋子さんらをゲストに迎え、Aging Gracefully フォーラム 2023「女性の自分らしい生き方とは」を開催しました。東京・築地の浜離宮朝日ホール・小ホールには約150人が訪れ、ZoomウェビナーとYouTubeのライブ配信は計約600人が視聴しました。
セッション2は「長山洋子さんと語る AG世代の自分らしい生き方」と題して、長山さんご自身が乳がんで闘病した体験や、自分らしい生き方について聞きました。司会は朝日新聞社Aging Gracefullyプロジェクトの坂本真子が務めました。
今回の出演を前に、長山さんにインタビューしました。AGフォーラムでは、この記事にないお話を聞きました。
>>長山洋子さんインタビュー 演歌転身から30年、今もレッスン第一 「たった一人だけに向けて歌うと届く」
長山さんは現在55歳のAG世代です。長山さんにとって、40代はどんな時間だったのでしょうか。
「私の人生でもいろんなことがあった10年間ですね。結婚も出産も子育てもあり、高齢の初産で大変な思いをしました。若い頃からずっと歌謡界で過ごしてきて、一人の女性としてどう生きるかは常に悩んでいましたね」
ライフステージが大きく変わった40代を経て、2019年、51歳のときに乳がんが見つかりました。
「私は年に一度必ず人間ドックを受けていまして、2019年の人間ドックで、お医者さんが『ちょっと気になる』ということで、もう一度検査したんですが、小さすぎてわからなかったんですね。私がいつも行っている婦人科の先生に検査してもらってもわからなくて、さらに紹介してもらった病院に行って検査してもわからず……。人間ドックの先生のところに戻って『どうしたらわかりますか』と聞いたら、『細胞組織をとると、ほぼ100%がんかどうかがわかる』というので、シャープペンの芯ぐらいの細いものを胸の脇から刺して細胞をとりました。専門の先生が顕微鏡で見て、がんとわかったんです」
乳がんとわかった長山さんは、すぐに手術を受けることを決めました。
「私は、がんとわかった段階で、先生からいろいろな話をしつこいぐらいにうかがって、自分でもいろいろ調べて、温存という方法についても考えました。でも、温存したために転移してしまったという話も多いと聞きましたし、私は絶対に体から悪いものを全部とってほしいと思ったので、いさぎよく(乳房の)全摘を選びました」
8月1日にがんとわかり、30日に手術で乳房を全摘出するという超スピード治療を受けた長山さん。術後は約1週間で退院し、抗がん剤治療を4クール受けました。
「大きな病気をしたとき、お医者さんはいろいろ提案してくれるけど、決めてはくれないじゃないですか。人が生きていく上で、人生において何度か自分で決断しなきゃいけないときがあると思うんですけど、私は50代で一番大きな決断が手術、そして、どういう方法で治療をしていくか、ということでした。決断するのにとても勇気がいりましたね」
「乳がんにもいろいろなタイプがあって、私の場合は、しこりが何センチというものではなく、小さい粒みたいながんが広い範囲に散らばっていたので、小さいがんが残ると嫌だったので乳房全摘を選びました。術後は3週間に1度の抗がん剤治療を4クールやって、その後は私の乳がんに合う治療を1年。飲み薬で『一番弱い薬』というホルモン剤を先生が出してくれたんですけど、私は副作用で関節が痛くなりました。『私に合わないから変えてください』と先生に言ったら、『変えたらもっと強くなるよ』と言われて。でも結局、何カ月か飲み続けたら、関節の痛みも気にならなくなりました。このホルモン治療は5年と言われました」
退院後は、5カ所ぐらいのコンサートをキャンセルしただけで仕事に復帰。抗がん剤治療を受けながら、ステージに立っていたそうです。
「9月7日ぐらいに退院して、10月1日からステージに立っていました。今考えるとたいしたものだと思いますね(苦笑)。とにかく気分が悪いので、本当はずっと寝ていて、仕事も落ち着いてから復帰した方がいいと言われたんですけど、私は出産したときも1カ月で復帰したんです。家で休んだり寝ていたりするとよけい具合が悪くなって、よけいなことを考えちゃうので。無理のない範囲で復帰してステージで歌わせてもらった方が私の体には合っていると思って、すぐ復帰しました」
最近は半年に1回、検査を受けているという長山さん。乳がんと診断される前と後では、時間の使い方や生活に変化はあったのでしょうか。
「無理をしないで、自分のやりたいことをやり、楽しい毎日を送るように、さらに心がけていますね。自然にそういう風になってきている気がします」
「精神的には、治療中はものすごくつらかったですし、最初に告知されたときは、『私、死ぬんだな』と思いました。でも初期のがんで、治療をしっかりすれば、という話だったので、切り替えられました。うちは明るい家族なので、それが一番救いになりましたね。現場のスタッフさんにも迷惑をかけましたけど、本当に支えになってくれたと思います」
「いろんな出会いをもっと広げたい」
ここで、今回のAGフォーラムに申し込む際に参加者のみなさんに書いていただいた、「女性の自分らしい生き方というテーマについて思うこと」の中から、いくつか紹介しました。
長山さんは「肩に力を入れずに、というのはすごく難しいと思います。どうしても自分の力以上のものを出したいと思って空回りしてしまうので。私も年齢と共に、そして病気がきっかけで、少し肩の力が抜けてきているかな、と自分で感じています。無理に頑張らなくていい、自分らしさが出ていればいいのかな、と思いますね」と話しました。
続いて、同じく申し込みの際に参加者のみなさんに書いていただいた、「自分が望む自分になるために実践していること、心がけていること」の中から紹介しました。
読み終えた長山さんは「深いですね」と一言。「そうありたいですけど、自分が望む自分にはいつまでたってもなれない気がします。私自身は、自分を無理に高めようとしても、力が入ったり空回りしたりして逆に失敗してしまうこともあります。周りの意見を聞くことも大事だと思っています」
長山さんが考える「自分らしい生き方」とは、どのようなものでしょうか。
「私は、はっきりした性格で、ステージに立つとお客様に絶対に喜んでもらいたいので、自分でも気づかないぐらいがんばり過ぎちゃうところがあるんですね。のどを痛めたり、後で『やっちゃった』と反省したりすることもあります。でも、『気楽にやろう』というと、私ではなくなってしまうので、手を抜くのは絶対に嫌ですね」
ポジティブに年齢を重ねていくために、長山さんが大切にしていることは何でしょうか。
「私は物心ついた頃からずっと歌一本で人生を歩んできているんです。歌の世界でも幼い頃は民謡をやって、アイドル時代が10年あって、演歌歌手に転身して、といろんなジャンルを歌ってきました。もうちょっと幅広く、角度を変えてみると、同じ歌の世界でも新しい発見や新しい出会いがあるんだな、ということが最近少しずつわかってきたので、いろんな出会いをもっともっと広げられたらいいな、と思いますね」
食事はバランスよく、早寝早起きに
質疑応答のコーナーでは、まず、AGフォーラムに申し込む際に寄せられた質問から二つ紹介しました。
最初の質問は「年齢を重ねても、変わらず美しい秘訣を知りたいです。欠かさず食べるものや毎日の習慣があれば教えてください」。
長山さんは「そんなにないんですよ。食べ物はなるべく偏らないように、バランスよく食べるように心がけていて、早寝早起きで6時半ぐらいに起きます。以前は、芸能界は不規則だから、というのを言い訳に夜更かししていましたが、病気を機に、なるべく早くベッドに入るようにして、ゆっくり睡眠をとって、早起きをして、家事などはできるだけ午前中に全部終わらせてしまうことを習慣にしています」。
次の質問は「50代で変わったこと、違いを感じることはありますか。どのように対処していますか」。
長山さんは「あります」と即答。小さい頃から体を動かすことが大好きで、足の速さはリレーの選手だったほど。今も冬はスキーをしているそうです。
「でも、50代になって一気にガクッときた気がして。最近は踏ん張りがきかなくて転んだり、こけたりすることが増えたので、私は55歳だと自分に言い聞かせるようにしています」
続いて、会場の参加者から質問を受けました。
最初の質問は39歳の女性から、「40代で出産されて育児をされたとのことですが、40代に向けてアドバイスはありますか」。
長山さんは「女性の40代はとても楽しいと思います。お仕事をされているかどうかはわからないですけど、お仕事は絶好調だし、女性としても。私は結婚が遅かったので、絶対に子どもを作ると覚悟を決めて、42歳までに妊娠しなかったら諦めようと思っていたら妊娠して、自然分娩で17時間かけて産みました。あの思いは忘れられないな、というのが私の中では財産になっています。40代はまだ体力もあるので。新しいことをたくさん経験してほしいと思います」。
次は長山さんと同じ55歳の女性から。「睡眠の質について悩んでいます。睡眠をどう考えているか、眠れないときはどうしているのかを教えてください」という質問でした。
長山さんは「私も、ベッドに入ってもなかなか寝つけないんですよ。寝ようとするとよけい眠れないので、ネットフリックスを見るとか、好きなことをしてリラックスした状態で寝るのが一番だと思います。たまに睡眠導入剤も飲みます」。
三つ目の質問は歌について。「ずっと歌ってこられて、好きなことを仕事にしてもネガティブに感じた時期があったのでしょうか。そして、どんなボイストレーニングをされているのかを教えてください」
長山さんは「歌手をやめようかと悩んだ時期はありました。デビューしたのが16歳で、新人の1年間は寝る時間もないぐらい忙しかったんですけど、2年目のジンクスで、スケジュールがほとんど白紙になったんです。同期の子は田舎に帰ったり、志半ばでやめたりする人が半分以上いました。でも私は両親と『芸能界に入るなら絶対に続ける』という約束がありましたし、絶対にやめないと決めたんです。ボイストレーニングは普通に、一昨日も行ってきたばかりです。のどを使い過ぎるのはよくないですが、ほどほどにトレーニングをしています」。
最後に長山さんが、この日の感想を話しました。
「自分の病気の話をどこまで話したらいいのかな、と悩みました。でも、女性にとって乳がんは絶対に心配なことだと思ったので、できるだけ参考にしてもらえるように、今日はお話ししました。この前、私のコンサートに、乳がんの手術をした先生が来てくれて、『すごい声量。すごい迫力』とびっくりして帰っていかれたんですけど、病気をしてもこうやって元気な姿をみなさんに見ていただいて、同じ病気で苦しんでいる方がいたら、少しでも、大丈夫ですよ、という気持ちを伝えたいと思いました。今日は本当にいい時間をいただきました。みなさん、ありがとうございました」
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取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefully プロジェクトリーダー/編集長 坂本真子
写真=伊ケ崎忍撮影
◆セッション2の動画をアーカイブ配信しています。
長山洋子さん
1984年4月、16歳のときに「春はSA-RA SA-RA」でアイドル・ポップスシンガーとしてデビュー。86年にユーロビートの代表曲「ヴィーナス」をカバーし大ヒット。88年、映画「恋子の毎日」に主演。歌手・俳優としてキャリアを重ねる。デビュー10年目の1993年、25歳で演歌歌手に転身し、「蜩-ひぐらし-」を発表。演歌界に新風を吹き込み、年末の各賞受賞をはじめ、NHK紅白歌合戦の初出場も果たす。その後も“でもねポーズ”が話題になった「捨てられて」、将棋界のレジェンド、羽生善治氏をモチーフにした「たてがみ」などヒット曲を連発し、“演歌の長山洋子”を確立。幼少期に所属していたビクター少年民謡会での経験をきっかけに習得した津軽三味線と民謡においては、澤田流の名取でもある。2003年、激しい津軽三味線の立ち弾きが話題となった「じょんから女節」を発表。演歌・民謡ファンのみならず、J-POP/ROCKファンにも注目された。2022年9月に出した最新シングルは、長年連れ添った夫婦愛をテーマにした「今さらねぇ」。好きなものは、シャンパン、カニ、塩分入り炭酸水、ネットショッピング(衣装より派手な普段着)。趣味は、子どもとサイクリングしながら公園を探すこと。好きなスポーツは、テニス、スキー、スピードミントン。レギュラー番組は、テレビ東京系「洋子の演歌一直線」(毎週日曜日5:30~6:00)。