「続ければ失敗にならない」水球日本代表、荒井陸さんがTikTokで見据えるゴール
世界的人気を誇るショートムービープラットフォーム「TikTok(ティックトック)」で活躍中のクリエイターに迫る本企画。今回は、水球選手として日本代表も務める荒井陸さんに、水球の魅力を伝えるべく始めたTikTokへの思いとこれからについて語っていただきました。
PROFILE
あらい・あつし 水球選手。兄の影響で小学校3年生から水球を始める。2016年リオ、2021年東京とオリンピックに連続出場。2017年までは水球大国ハンガリーの名門クラブ、HONVEDに所属。現在はパリ五輪代表を目指し、2022シーズンから強豪国ギリシャリーグ所属のIlisiakosでプレーする。
「水球の知名度を上げるために、まずは僕を知ってもらおうと思った」
今回の取材が行われたのは、2022年10月10日。荒井さんが目覚ましい活躍で日本での所属チームのIKAI・Kingfisher74を優勝に導いた、「第98回日本選手権水泳競技大会 水球競技決勝」の翌日でした。そんな彼がSNSやTikTokでの情報発信を積極的に行い始めた理由は、「水球というスポーツを、もっと多くの人に知って欲しい」という思いからなのだとか。
「そのためには、まずは僕を知ってもらおうと。体がかっこいいとか、筋肉がすごいとか、理由は何でもいいんです。そうやって知ってもらった僕が水球選手だということが伝われば、“ちょっと水球、見てみようかな”と思ってもらえますし。水球の大きな大会は年に一度しかないので、そこに見に来てもらえればって思ったんです」
そう考える荒井さんがTikTokを始めたのは、練習場所としていた大学で勧められたのがきっかけでした。
「“陸さん、TikTokやった方がいいですよ。多分、めちゃめちゃバズると思いますから”って言われて。それまであまり見たことなかったんですが、TikTokってほんの数秒からでも発信できる画期的なプラットフォームだと知りました。しかも、思いもよらない動画がおすすめフィードで目に入ってきますよね。たとえば、水球選手の筋肉がわかる動画を上げたら、筋肉が好きな人におすすめされたり。僕が動画を上げるだけで、そうやっていろんな人に届くから、これはやらないわけにいかないかなって」
続けるうちに、手応えが実感できるようになっていったという荒井さん。先日の日本選手権でも「TikTokで荒井選手を知ったので」と会場に来てくれたファンもいたそうです。確かに、荒井さんのTikTokではその筋肉に、そして水球選手ならではの技の数々に、思わず目が留まってしまいます。
「僕は商売柄、水着でいる時間が長いので、やはり目に付くと思います。水球をすることで付いた筋肉は、筋トレとは違ってなんというかナチュラルに感じられるようで、そこにも好感を持っていただいているみたいですね。最初のころは練習風景の動画を上げていたんですが、“水球選手って、意外とかっこいい”って思ってもらって。あと、“水球って足が付かないんだ”とか、巻き足を見て“ヒザの動きがすごいけど、大丈夫?”ってコメントもありました」
巻き足とは、体を水面から出し、そのままキープする立ち泳ぎで使う足さばきのこと。動画を見てみると、確かになかなか実践することのない動かし方です。
「僕らからしたら泳ぐことって、サッカー選手で言うところの走っている状態と同じだし、浮くことも立っているようなもの。サッカー選手が立っていられないなんてあり得ないので、浮くのは当たり前のことなんです。何なら3時間、立ち続けるより浮き続ける方が楽なくらい。でも、一般の人には当たり前じゃないし、そういうことを発信する場や知ってもらえる機会も今までなかったんですよね」
「続けていけば失敗にならない、成功するまでやればいいってだけ」
日本代表にも選ばれる水球選手であり、TikTokクリエイターとしても名をはせる荒井さん。フォロワーを増やしながら着実に水球の知名度を上げていますが、最初のころは「僕が発信したところで誰が見るんだろう」という気持ちもあったそうです。
「マイナーで何も知られていない水球選手が、って。野球やサッカーのように花があるスポーツでもないですしね。周りにも同じように感じている人はいて、“発信して意味あんのか”って言われたこともあったし、“荒井選手、がんばっちゃってるよね”みたいに鼻で笑われたこともありました。でも、TikTokで普通の人たちがバズって有名になるのを見ているうちに、僕は“まあ、見てろよ”って気持ちになっていたんです。そして、“俺もああなろう”って決めて」
そんな思いからTikTokでの発信を続けた結果が、現在の16万人を超えるフォロワー数。他のTikTokクリエイターらとのコラボも多く行い、周囲の見る目も変わったと言います。
「本当なら絶対交わらない世界の方と関わることができるようになったのは、やはり発信し続けたからだと思います。続けていけば失敗にならない。成功するまでやればいいってだけなんで。僕は身長が低くて、決して水球に向いた体格ではないし、ジュニア時代も僕よりうまい選手なんていっぱいいました。でも、水球を続けているのは僕だけ。だからこそ、水球選手として今の立ち位置にいられるのだと思います」
発信し続けているなら、もうゴールが見えて来ているのでは? 荒井さんのお話を聞いているとそう感じますが、本人にとっては「まだまだかな」という段階だそう。
「それこそ、試合が終わったら人が集まって帰れないくらい。もうアイドルみたいな状況にならないと、ゴールとは言えないですね。そうなることが、僕のできる水球への恩返しだと思っているので。今回の日本選手権のように、“実際に見るとおもしろい”って言ってもらえることも多くなったけど、やっぱり会場に足を運ぶのは結構ハードルが高い。ライブ配信もしているから行かなくても見られるけど、実際の会場と映像は雰囲気も迫力も全然違うので、そういったことも知ってもらいたいですね」
「いずれは水球だけでなく、他のスポーツのおもしろさも伝えていきたい」
ゴールはまだまだ。そう感じながらも荒井さんはこの先、どのようになっていきたいと思っているんでしょうか?
「5年後、10年後も僕が競技を続けているかはわからないんですけど、どんな形であれ、“水球と言えば荒井陸だよね”って言われていたいですね。水球=吉川晃司さんというイメージが強いですが、そんな存在になれれば。TikTokクリエイターとしては、水球のことを知ってもらいつつ、他のスポーツのおもしろさも伝えていけたらTikTokをやっている意味もあるかなと思います。今後、僕の下にもTikTokで水球のことを伝えていく子が出てくるかもしれないですけど」
先のことを考えたとき、荒井さんが思うのはその後の水球界とファンの存在です。この先、自分が競技から離れることで、せっかくファンになってくれた人たちが離れてしまうようなことは絶対あってはならない。それが荒井さんの思い。
「僕は今、日本代表ではベテランの域に入っていて、水球+何か、を常に考えていかなくちゃと思っています。もちろん、今、勢いのある若い子たちは水球だけ頑張ればいい。でもその子たちが上に来たときに、“陸さんみたいに発信していかなきゃな”と思って欲しいですね。極論、僕のファンがその子たちのファンになるくらいでないと。僕がいなくなってもファンは残るようにすることが、僕の使命のようにも感じますね。
水球選手って体もかっこよかったりするんで、僕を入り口にいろいろな選手を好きになって応援してくれたら、選手のモチベーションも上がるもの。いずれファンの子たちがそれぞれの推しメンをつくって応援してくれる競技になれば、水球ももっと発展するんじゃないかな」
TikTokでの発信で多くのファンが生まれ、その応援が選手のモチベーションを高めて良い試合ができる。その試合でまた、選手に魅了される人が増えていく……。そんな素敵なサイクルを、荒井さんのTikTokはつなげています。
その他の荒井さんのTikTok動画はこちら
文:石川由紀子