不朽の名作に新風を吹き込む 録音エンジニア・オノ セイゲンの仕事
ここ数年、『ニュー・シネマ・パラダイス』や、映画の巨匠、ヴィム・ヴェンダースによる名作などの音を最先端の技術でよみがえらせるオノ セイゲン。世界に名をはせるアーティストの作品のマスタリングを1980年から行う一方で、コレクション用に制作されたアルバム『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』をはじめ、数々の作品を発表してきた音楽家でもある。目には見えない「音」を磨き上げるマスタリングの世界についてうかがった。(文・草深早希 写真・間部百合)
ヴィム・ヴェンダースとの接点
――今回、ヴィム・ヴェンダース(以下、ヴェンダース)のニューマスターBlu-rayシリーズの12作品を手がけられました。『パリ、テキサス』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などの名作ばかりですが、74年の初期作品『都会のアリス』を音の基準にされたそうですね?
オノ 最初に12本流して見てチェックしていったんです。どの作品も公開した当時は今みたいなサラウンド(立体音響)ではありませんが、時代とともに音も進歩していきます。87年の『ベルリン・天使の詩』辺りから空間全体を使う効果音を使い始めますが、それ以前の作品はもちろんそこまでやってない。ヴェンダースは音楽が好きで、なかでもロックが好きで、センスがいいですよね。『都会のアリス』は、サラウンドなんかない70年代にスピーカー一つのモノラルで作られていて、車のポータブルプレーヤーで聞く音楽とか、車から飛行機、モノレールまでの乗り物とか、音の質感を大事にしていたのでそれを磨きたかったのがあります。
70年代にこの作品を見ていたことも大きい。そもそも「ヴェンダースの本質ってなんだろう?」と思った時に、印象に残る作品が『都会のアリス』でした。劇中にでてくるポラロイドカメラ「SX-70」を持っていたけど、ポラロイドって見たまま同じように写真が撮れないというシーンに共感したり、70年代のNYのシーンがよく出てくるけど、僕が84年〜92年に通っていたNYの記憶を思い出したり、重なるところがいっぱいあって。
派手ではないのに映像にも洗練されたセンスを感じていて、構図のデザイン、1カットに流れるストーリーがすごくいいですよね。何も知らずに見た若いころの僕は、無意識のうちに影響を受けていたんです。シリーズ12本を見終えて、「やっぱりコレだ」と思いました。基準にしたい音として『都会のアリス』を軸に、『ベルリン・天使の詩』、『パリ、テキサス』。そうやって12本全部が紐(ひも)づく。トーン(音の質感)やボリュームの基準にしています。
――制作はどのように進められましたか?
オノ まず、自分の見たいようにしたいのがあります。作品全部を見た時に、音も映像も、それぞれ状態の良しあしがあって。4Kにするために映像を修復しているんですけど、その過程で入ってしまうパチッという物理的なエラーやデジタルのノイズ音を簡単に取り除いていきます。何よりも、撮影された場所、時代ごとに使われた機材によって違う音がするので、それぞれの作品に合わせて繊細に音の質感をよみがえらせることに神経を注ぎました。
ダイアローグ(台詞〈せりふ〉)が聞こえるセンタースピーカーと左右のスピーカーはそれほどダイナミックレンジ(音量)を変えてはいけないけど、せっかくいい状態で作られていても後方の音が全然聞こえなかったりするので、『都会のアリス』を基準に「こうあるべきだった」と思う音に一つひとつのカットを丁寧に磨き上げていった感じです。後方の音っていうのは空間の反射音のことなんですけど、反射音があるのとないのとでは音の聞こえ方が変わってきて、反射音をやわらげることによってダイアローグが引き立つので「この人の声いいなあ」なんて聞こえるんですよ。
映画音響システムの進化
――92年に初めて「ドルビーデジタル」が導入されて以来、今日の映画館では、通称「サラウンド」と呼ばれる立体音響が標準に。「ch(チャンネル)」とはスピーカーの数を示し、五つのスピーカーと一つのウーファー(低音域スピーカー)を使い、音に包まれるように会場を囲って設置された環境を「5.1chサラウンド」と言います。ニューマスターBlu-rayにもステレオとサラウンドが収録されていますが、音響について教えてください。
オノ 今回の作品が作られたのは7、80年代が中心なので、公開当時は、モノラルかステレオで、まだサラウンドが普及していない時代。映画館の始まりはスクリーン後ろのセンターにスピーカーが一つあるだけの「モノラル」だったのが、70年代後半にはスクリーンの左右にスピーカーを配置する「ステレオ(2ch)」に。ステレオになったとはいえ、映画にはダイアローグがあるので従来通りセンタースピーカーからダイアローグ、ステレオからサウンドトラックが聞こえる仕組みになっています。
さらに映画館後方に左右のスピーカー、ウーファーが加わったのが「5.1chサラウンド」。前方のスクリーンを見ているのに、ピュンッ(物が飛ぶ音)、ボンッ(爆発音)、ヒュ〜(飛行音)などの効果音を後方のスピーカーから出し始めたのが初期のサラウンドで、空間に広がりを作っていったんです。スクリーンに映像が映らなくても、最初に音が聞こえてきて、徐々にスクリーンに映像が入って、スクリーンから映像が見切れても音がわずかに残っている、そういった効果音やサウンドトラックによって映像が映らなくてもストーリーが作れるようになりました。だんだん普及してきて、2000年くらいにはサラウンドが映画館の標準になったんです。
映画とシンクロする音楽
――ベルリンの街を見守る天使、ダミエルのロマンスを描いた『ベルリン・天使の詩』では、アーティストのニック・ケイヴ本人が登場し、ライブパフォーマンスをしていましたね。
オノ ライブ演奏しているクラブのダンスフロアから併設されたバーへ役者のソルヴェーグ・ドマルタンが移動するそのシーン、あんなに格好いい音が入っていて、もともとの音がサラウンドになっていたのにちゃんと生かされていなかったんです。後方の音が聞こえづらかったので、しっかり聞こえるように磨きました。上映イベントでこの作品を見たみなさんは、ベルリンが東西に分かれていた当時の西ベルリンのクラブにいるような独特のリアリティーを感じられたそうです。
映画館にもマスタリングスタジオにも、音を機械で計測して均等にする「音の基準」があります。自分の耳でその基準と同じように聞こえることが大事で、スピーカーの音が正確な環境でマスタリングしないとダメ。もし正確でない環境で音の高域が強く聞こえていたら、高域を抑えますよね? それをほかの環境で再生すると、こもった音になってしまいます。映画館もスタジオも正確に調整されていれば、互換性が取れるんです。今回のシリーズは、基準に合わせたスタジオで作業しているので、正確な音に仕上げることができました。
――会場の広さや人々の密度、反響音など空間における音響は、ギタリストのライ・クーダーが制作に関わり、キューバのミュージシャンたちが憧憬(しょうけい)するアメリカの地で公演を果たすまでを描いた、99年のドキュメンタリー『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が一番わかりやすいと思いました。NYカーネギーホールでの圧巻のパフォーマンスはもちろん、ピアノ奏者、ルベーン・ゴンザレスがバレエスタジオでピアノを弾くシーンも印象的でした。
オノ カーネギーホールでライブ演奏するシーンは、観客の拍手や歓声など後方から聞こえる音がシリーズのなかで一番わかりやすい。楽器も、会場自体の響きも。コンサートホールと、ハバナにあるレコーディングスタジオのシーンの切り返しが多くて、それぞれ結構作り込んだんですけど、音の臨場感はイメージしやすかったです。シリーズのなかでこれが一番音楽よりの作品で、僕が日頃やっている音楽のマスタリングの仕事と近いものがありました。
バレエスタジオのシーンは、撮影カメラと距離が近いマイクでしか録音されていなかったようで、近くの音、遠くの音と、音に遠近が出ていますが、実際の響きに近づけるように、空間全体の大きさやディレイ(音の遅れ)を計算しながらストーリーに入り込みやすいように作りました。ライブ演奏ではない、こういうちょっとしたシーンで没入感をつけるのは、最近研究している音の技術が役立っています。
――『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』がライブミュージック作品であることに対して、ヴェンダースのなかでは異色の287分に及ぶSF作品『夢の涯てまでも』(91年)はサウンドトラックが名曲ばかりの作品。主題歌にはU2、さらにオープニングのトーキング・ヘッズからルー・リード、R.E.M.、パティ・スミスまで、音楽好きのヴェンダースらしい作品でしたね。
オノ 『夢の涯てまでも』はサウンドトラックが豪華。もとから前方の音(センターと左右のスピーカー)がしっかりできていました。今回のシリーズでは、「真空管アンプ」というカスタムメイドした音楽のマスタリング機材で音の質感をアップグレードしていて、よりわかりやすく後ろの反射音を作りました。シリーズのなかでは割と近年にできた映画で、一番技術が進んでいて、最も音質がいい。『夢の涯てまでも』が一番、音楽の要素も含めて映画のいろんな技術を取り入れていますよね。
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ベルリン天使の詩 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 素晴らしい映画をまた見たくなりました。ぜひBlu Rayで見たいですね…