扉の向こうに広がる異世界 NYのドリーム・ハウス
現代美術家・伊藤知宏さんがアーティスト目線でニューヨーク(以下、NY)の街をリポートする連載「On the New York City! 」。
前回に続いて、マンハッタン南部の地区「トライベッカ」のアート事情にフォーカスします。今回は、アート・スペース「ドリーム・ハウス」とNY最大規模の映画祭「トライベッカ映画祭」についてのリポートです。
音の洪水がもたらす「砂漠をバイクで疾走するような感覚」
前回はトライベッカのギャラリーを幾つか取り上げた。今回は、まずはトライベッカにある、知る人ぞ知るアート・スペース「ドリーム・ハウス」を紹介したい。
このスペースは、現代音楽で最も重要な人物の一人、ラ・モンテ・ヤングさんらによる音と光のコラボレーション作品が常設されている。ラ・モンテさんは前衛芸術家でドローン・ミュージック(*)のパイオニアでもある。
*ドローン(=持続音)を用いた音楽。長い間音が鳴り続け、それが何層にも重なり、増えたり減ったりしていく音楽の一種。1960年代はドリーム・ミュージックとも呼ばれていた
なぜ僕がこの場所に興味を持ったかというと、ラ・モンテさんが、僕が研究しているNYの前衛芸術運動「フルクサス」の初期のメンバーであったことや、友人にドリーム・ハウスについて調べてみることを勧められたことがきっかけだ。
僕が訪れた時には、ラ・モンテさん、彼のパートナーであるマリアン・ジージラさん、ジャン・ヒー・チョイさんの3人のコラボレーション作品が展示されていた。会場内は撮影禁止。写真は撮れなかった。このスペースがどんな様子だったか、というと……。
ドリーム・ハウスには、廊下を挟んで二つの部屋があり、入り口の扉を開けると、一つ目の部屋がある。すべての展示スペースでラ・モンテさんの音楽が鳴り続け、お香がたかれている。
展示室内は、ライティングによって赤紫色に照らされている(実際はじゅうたんも含めて白色だが、ライティングのため、そう見える)。とても騒がしいNYの街とは全く違う世界のよう。
数歩進むと、紫色に光るジャンさんの映像作品が左の壁面に投影されている。縦2cm、横90cmほどだろうか。長方形の抽象的なビジュアルの映像の中に、何が写っているのかよくわからない。
床に設置されている映像投影装置の中を見てみると、この映像作品はニュース番組を上下逆さまに再生したもので、いわゆる日常のテレビの断片であるということがわかった。「マニフェスト、反マニフェスト」をテーマにしているジャンさんらしい、社会の有り様を反映した作品だ。
部屋の正面の壁面には、ジャンさんの四角いオブジェ作品が紫色の光に照らされうっすら見えた。
大きさは横40cm、縦100cmくらい。形状は長方形の中に、さらに小さな長方形があり、その中にまた長方形があるという作品だった。映像作品、立体作品と続くので、少し調子外れの感がある。美術史の文脈ではミニマリズム(*)の延長線上にある作品とも言えるが、目の前に置かれている作品を見ていると、彫刻作品特有の物言わぬ凛々(りり)しさを感じた。
※完成度を追求するために、装飾的趣向を凝らすのではなく、むしろそれらを必要最小限まで省略する美術・音楽、建築などの表現スタイル(様式)。アメリカでは1960年代に登場した
10メートルほどの廊下が次の部屋へつながっていた。その廊下の天井には、マリアンさんの作品が展示されている。赤紫と青のネオンライトで作られた、左右・上下対称の光るオブジェ「Abstract #1 from Quadrilateral Phase Angle Traversals」だ(下の写真左)。
文字が混ざっているが、文字そのものの意味とは違う。曼荼羅(まんだら)のようだがそうでもない。そんな抽象的な形状をめでる作品だ。ネオンの光の優しい質感と美しい線のシェープは、僕が20年前に初めて訪れた、まだ危険な臭いが漂っていたNYを思い出させ、どこか懐かしい気持ちになった。
廊下を渡った二つめの部屋には、ジャンさんによる、左右対称の有機的な構造体が描かれた大きな絵(上の写真右を参照)が、一点設置されていた。この作品は黒い紙の反対側から映像が投影されていて、絵に開けられた無数の穴一つ一つが輝いているように見えた。この投影されている映像は、揺れる火のようにうごめいていた。
また、この部屋は特にラ・モンテさんの音楽が大きな音で止めどなく鳴り続けていて、座布団も置かれているので、ゆったりと観覧できた。
このスペースで流れていた彼の音楽は2015年につくられたもので、数種類のサイン波(正弦波)を組み合わせることで作られていた。この波形はそれぞれが、互いに違うリズムを持っており、決して交わらないそうだ。
この音楽は、クラシック音楽やポップミュージック、ロックミュージックと比べると、とらえどころがない。しかし、美しく、不思議とどこか懐かしさを感じる音楽だった。頭を右に向ければ音は違ったものに、頭を左に向ければまた違った音に聞こえる。その体験が、このスペースでの非日常な実感をさらに加速させる。
彼の音楽を一言で表現するならば、なんだろうか。30分ほど展示スペースで、音楽を聴き続けていると、あることを思いついた。
この音楽はまるで真夜中に一人でアメリカの砂漠をバイクで走っている時、夜空に現れる流れ星を見た情景を見た感覚に近かった。直接的にバイクの音ではないし、流れ星に音はないのだが、僕にはそう思えたし、そう考えると自分の実感に説明がついた。自分を説得できると、不思議と彼の音楽のコンセプト「永遠に演奏し続ける音楽」の魅力が少しだけわかった気がした。
ラ・モンテさんの音楽と、2人のコラボレーターとのビジュアル作品を同時に堪能すると、この展覧会は少し幻想的で不思議と楽しかった。このコラボレーションは今回に限らず、世界中ではここでしか見ることができないものだ。
2〜3週間で展示作品が入れ替わる一般的なギャラリーと違って、この場所では一つの展覧会が長い間行われることが多い。入場料は$10。
ちなみに、同じビルの中にはラ・モンテさんとマリアンさんの住居スペースもある。それゆえのアットホームさなのか。あるいは、ラ・モンテさんのファンらによる献身的なボランティアによって運営が支えられているからなのかはわからないが、ドリーム・ハウスはいつ訪れても空間全体から不思議なホスピタリティーが感じられる、居心地の良い場所だ。
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