小笠原諸島12泊13日 ひとりロングワーケーション
船で片道24時間。飛行機なら地球の裏側まで到達できる時間をかけて移動した“都内旅行”の目的地。それが「日本の秘境」といわれる小笠原諸島です。亜熱帯にある小笠原諸島は冬でも暖かく、「ボニンブルー」と呼ばれる青く透き通った海と、ジャングルのような植生があり、ユニークな動物や昆虫と触れ合える美しい島でした。心身共にぐんぐん充電されていく。そんな不思議なパワーを感じた、2020年11月のロングワーケーションをご紹介します。船中2泊を含め、小笠原諸島12泊13日の旅です。
(文・写真:江藤詩文)
なぜ小笠原諸島でワーケーション?
旅と食文化について執筆することをなりわいとしている私は、そもそも移動が日常生活に組み込まれていました。ここ10年近く、20日以上連続して自宅にいたことはなく、コロナ禍以前は、少なくとも月に1度は国外に出かけていました。ライター業とリモートワークは相性がよく、ワーケーションというスタイルには慣れていたのです。
そんな暮らしの中で気づいたのが、身体を置く場所を変えることの大切さ。何だか煮詰まったり、流れがよくないとき、無理にでも移動してみると、滞っていたものが動き出す。旅先でよく、そんな経験をしていました。
コロナ禍の中、2020年春の緊急事態宣言を経て県を越えての移動ができるようになり、どこかでちょっと休みたい。そう思ったものの、私の生活拠点は東京。医療機関の脆弱(ぜいじゃく)な地域に迷惑をかけたくない。
考えたすえ選んだ旅先が、小笠原諸島でした。島への唯一のアクセス手段である定期船「おがさわら丸」乗船にあたり、PCR検査を無料で受けられることが決め手になりました。同じ東京都内とはいえ、移動や滞在にある程度の日数が必要な小笠原旅行は、海外出張がないためまとまった時間が取れる状況下でないと難しい、という事情もありました。
私が訪問した時点では、出発の1週間前くらいまでに、郵送で自宅にPCR検査キットが届き、前日の午前中までに検体を竹芝ふ頭に提出しに行き、陰性であれば翌日出発できるという仕組みでした(2021年1月18日現在、PCR検査の検体提出は持参に加え、返送による提出が試行されています)。
太陽と共に無理なく過ごすヘルシーライフ
小笠原諸島で人が暮らしているのは、父島(人口約2200人)と母島(人口約460人)のふたつのみ。島への移動は、前述した「おがさわら丸」で約24時間。船内1泊になります。「おがさわら丸」は父島に入港し、母島へ行く場合は、父島で「ははじま丸」に乗り継ぎ、さらに2時間南下します。私が乗船した時は、「おがさわら丸」は乗客数を定員の半数に制限して、船内での密を防いでいました。
私は、小笠原での前半3泊を母島で、後半7泊を父島で過ごし、父島では3軒の宿泊施設に泊まりました。
海外の、特にリゾート地などでは、1カ所に連泊するスタイルが定着していますが、宿泊施設と相性が悪かった場合の長期滞在はけっこうつらいもの。これまでの経験と、せっかくならいろいろなホテルを知りたいという職業的習慣もあって、初めて訪れる土地では、2、3泊ずつに分けて泊まるようにしているのです。
島での暮らしは、朝が早い。6時を過ぎると鳥のさえずりや波の音、父島の場合は、早朝から焼き立てのパンを売るベーカリーや手作りのお弁当屋さん、朝の波を楽しむサーファーの声などが遠くにかすかに聞こえてきます。そのぶん夜も早く、特に医療機関の脆弱さをじゅうぶん理解している飲食店や観光客向けのショップは、徹底的に感染対策を行ない、営業時間も短縮していました。
つまり飲みに行く場所もなければ、お酒を夜まで売っているショップもない。一応、自販機はありましたが、お酒の種類が少なく、3日もすればラインナップに飽きてしまい、結果的に滞在中はお酒の量が激減しました。
そうなると眠りが深くなり、早朝にすっきりと目覚められるという好循環が生まれます。普段は明け方に眠りお昼過ぎに起きることもあるし、海外では時差もあり生活リズムはめちゃくちゃ。そんな私が意識しなくても、自然と島のヘルシーなライフサイクルに組み込まれました。
滞在の後半では、夜もカーテンを閉めるのをやめました。どこまでも続く漆黒の闇がおもしろく、時には月や星を眺めたり、朝は太陽の光で目覚めたりする方が、ずっと快適なことに気づいたのです。
ただ、この旅の目的は、ヘルスコンシャスなリゾートではなくワーケーション。ワーク=仕事が最重要課題です。
私の仕事であるライター業は、取材したい対象を定めたら、まずリサーチして資料を読み込み、取材対象や寄稿したいメディアと連絡を取り、取材(と私の場合は撮影)を行います。じゅうぶんに取材ができたら、写真と取材メモを整理して原稿にまとめ、寄稿するメディアと推敲(すいこう)を重ねて、読者のみなさんにお届けするというのが一連の流れです。
つまり「取材と撮影」の部分(これが最大の柱ではあるのですが)を除けば、これまでもリモートで作業をしてきました。また、これまでは取材対象のもとに伺って対面で行うのが当然だった「取材」の一部が、今回のコロナ禍で、オンラインで行われるようになりました。
この流れから生まれた私のルーティーンは、以下のような感じになりました。
まず、朝早く起きたら、海辺をちょっとお散歩して朝食。「ワーケーション」なので、半分仕事、半分休暇を目標に、午前中か午後、どちらかは仕事。夕方は夕日を見ながらうだうだして、外で食事をしたり、島グルメをテイクアウトして部屋で食べたり。
せっかく小笠原まで来たので、2回くらいは終日休業にして、観光ツアーにも参加しました。
半日のデスクワークで行ったのは、原稿をまとめる作業と推敲、オンラインインタビューを1度だけ。仕事先との連絡は、カフェやビーチ、村営バスで移動中にちょこちょことスマホで。以前のような取材旅行であれば、朝から夜までスケジュールがびっしり入っていることも多かったのですが、今回は休暇を兼ねたワーケーションなので、本格的な取材は入れませんでした。
何より、日常から切り離されて島時間に組み込まれたことで、時間の使い方が変わりました。具体的には、島にいるため宅配便などの訪問がなく、知人から突然のお誘いや呼び出しがあってもすっぱりあきらめ、都心で起こっていることをチェックするためにSNSを見たり、メールを開いたりすることが、極端に減ったのです。
島の人たちの多くが、できることを仕事にして、自然に副業を持ち、あまりあくせくと働かずにのんびり暮らしています。そんなところにも影響されたのかもしれません。
デスクワークという点では、宿にはインターネットが完備され、容量の大きなファイルの送信はもちろん、音声での通話も、ZOOMでのミーティングも、まったく問題ありませんでした。島にはきちんと通信網が行き渡っていました。
サーフィンやダイビングをする人なら、毎日がもっと充実すると思います。また、島内の美しいスポットをジョギングしながら観光する「OgasawaraRun」を提唱する矢嶋和歌子さん(父島在住)によると、朝焼けの小笠原の美しさは、また格別だそうです(運動が苦手な私はパス)。車が少なく、空気がきれいで、冬も暖かい小笠原は、ランナーにも魅力的な旅先になりそうです。
それからもうひとつ。私の滞在時、父島での感染者はゼロ、母島は、なんとそれまでの累計感染者数がゼロ。マナーとしてマスクは着けつつも、人々はとても穏やかに暮らしていました。私も、やっぱりどこか常に緊張感を抱えていたのかもしれません。誰かとちょっとしたコミュニケーションが気軽に取れる。たったこれだけのことで、心が軽くなったのは、予想外で自分でも驚いた「小笠原ヒーリング効果」でした。
小笠原旅行で覚えておきたい“お役立ち用語”
小笠原旅行の初心者が知っておくと便利な言葉がいくつかあったので、ここでシェアします。
まず、小笠原の生活は、週単位ではなく「おがさわら丸」の出入港日によって回っています。おがさわら丸が到着する日は「入港日」、停泊(通常3泊)している間は「入港中」、出発する日は「出港日」、おがさわら丸がいない間は「出港中」。
入港日は生鮮食品などが届くため、夕方のスーパーはごった返します。レストランやショップ、ツアー会社は入港中のみ営業の場合もあり、出港中や、「入港日前日」を定休日としているお店も多く、出港中の島はとても静かです。そのぶん、できることが限られるというデメリットも。出港中は朝食のみで夕食の提供は不可という宿泊施設も多いです。
このおがさわら丸の往復を「一航海」と数え、私のように出港中も滞在するケースは、「二航海」と言われます。また、本土は「内地」(またはそのまま「本土」)、島はそのまま「島」と呼ばれます。
いつかは行ってみたい旅先として名前が挙がることも多い小笠原諸島で、「国境が閉ざされた時代」のロングワーケーション。可能な時期になったら、この心が解放される感じを、みなさんにもぜひ体験していただきたいです。
ただ、くれぐれも事前のPCR検査を受けてください。島の医療は脆弱です。
そうそう、もうひとつうれしかったこと。ヘルシーなライフスタイルのおかげか、1日3食しっかり食べたのに(内地では夕食+夜食の1日2食)、なんと体重2kg減のおまけつき。が、内地に戻ったらすぐリバウンド(涙)。次回は小笠原で“ダイエットケーション”したいと思います!
【取材協力】
小笠原村観光局
https://www.visitogasawara.com/