#31 ピンチをチャンスに
東京で働き始めて19年。
いいことも悪いこともあるのは当たり前だけれど、
気持ちが落ち込みがちなときでも、
なんとかして自分を奮い立たせるコツは掴(つか)んできたつもり。
それでも年に数回、わけもなくモヤモヤとしてしまうことがある。
明確な理由は自分でもわからない。
たぶん日々の小さなことの積み重ねで、
それが一気に溢(あふ)れてしまうタイミングがあるのだと思う。
今年も秋の初めにそんな時期がめぐってきて、
走っても、友人とにぎやかに食事をしても
どこか霧が晴れないような日々が続いていた。
そんなある日、
スーパーマーケットで立派な筋子を見つけた。
ああ、そろそろ本格的な秋が来るんだなあ。
ぼんやりと思っていたら、いつだったか友人が
「筋子からいくらを手作りしたらすごくおいしかった!」
と言っていたことを思い出した。
どうしても気分が晴れないとき、私は台所に逃げ込む。
長い時間かけて煮込みを作ったり、手間ひまかかるカレーを作ったり。
鍋の具合や調味料の配合に神経を集中していると
無駄なことを考える余裕なんてない。
頭の中をぐるぐると回っている答えの出ない問いや
比べたって仕方のない誰かとの差。
どうしたって見通せない将来への不安。
そんな一切を棚上げして無になれる時間が心地いいから。
いくら作りもまた、この秋新たに仲間入りした
私の「無になれる料理」のひとつだ。
まずは調味液作り。
小鍋にみりんと酒を入れて煮切り、
アルコールが飛んだらしょうゆを加えて数分煮詰める。
調味液を冷ましている間に筋子をほぐす。
筋子を40度くらいのお湯の中に入れて、
何度も湯を替えながら、やさしくほぐしていく。
焦りは禁物。
早く済ませようと思って手荒にすると
皮が破れて台無しになる。
指先で一粒一粒の弾力を確かめながら、
自然と粒がバラバラになるまで我慢強く湯を替える。
ほぐれた筋子をざるにあげて、しばらく水気を切る。
琺瑯(ほうろう)の容器に移して冷ました調味液を注ぐと、
それまで白く濁っていた粒がみるみる透明度を増して
キラキラ輝くオレンジ色のいくらになる。
なんだか化学の実験みたいで、すごく面白い。
1時間以上かけて作った自家製いくらは
小さなタッパーに半分ほどの量。
炊きたての白ごはんに乗せて食べたらおいしくて、
おかずも用意せずに、お茶わんひとつで昼食にしてしまった。
不思議なことに、さっきまでぐるぐるしていた頭は
すっきりともやが晴れたようで、
「よし、仕事行こう」という声が自然と出た。
過去に心を無にしたこともあるけれど、
自分の手で、時間と手間をかけて作った食事は
心と体を整えてくれるような気がする。
どんな状況にあっても、しっかりと地に足をつけて
目の前にあることに誠実に向き合うこと。
私にとって料理は、
そういう気持ちを思い出させてくれるものかもしれない。
投げやりな気持ちで、おいしい料理は作れない。
日々の暮らしだって、人生だって、
きっとぜんぶ本質は同じなんじゃないだろうか。
今日のうつわ
野田琺瑯の保存容器
食材のにおいや色が移りづらい琺瑯は保存容器として使い勝手がよくて、我が家のキッチンには欠かせないアイテム。表面がガラス質なので細菌が繁殖しづらいそうで、いくらの保存にはいつも使っています。冷蔵庫に入れるときは密閉できるフタをして、食卓に出すときはフタを取ってそのまま。食器としても使えるデザインも気に入っています。
(写真 相馬ミナ 構成 小林百合子)