野村友里さん「東京という街に、これからも住み続けたい?」
「eatrip」を主宰する料理人の野村友里さんと、現在カナダの島で暮らす歌手UAさんの往復書簡「暮らしの音」。UAさんが耕す畑には様々な野菜が育っていて、その多様性を見るのが楽しいのだそう。それに比べ、私たちが食べている野菜は――? 前回、「種」についておもしろい話を聞かせてくれたUAさん向けて、野村友里さんがつづります。
うーこ へ
種についてうーこにいろいろ聞きたくて、話をふったようなところがあるけど、
にしても、あなたって本当にいろんなこと知ってて面白い!
こんな学校の先生がいたらいいな〜と思った。
どう? 社会人のための生態学の先生!
私、サボらず全出席するから。
ためになります。毎回。
そしてまたしても、うーこにぶつけたくなる自分の中のボヤキがあるよ。
聞いて。
あのね。
レストランのお隣の一角で大工事が始まった。
なんでも10年ほど前から計画されていた神宮前6丁目計画。
(本来ならオリンピックがあったはずの今年までに、明治通りも拡張するという話だったようだけど、それは止まっている模様)
築60年ほどの木造のお店の建物は、毎日微震が続く。振動酔いしそうな勢いでね。
そして、クレーン車がビルを解体するガガガーという不穏な音が鳴り響く。
それでも窓に目をやれば、木蓮の木が風にゆれて、
その向こうにはキリンのように長い首の解体車がひっきりなしに動いている。
青空にはぽっかり白い雲。
夕方になれば、ムクドリの群れが一斉にどこかへ帰っていく。
昨日はね 、うーこもよくご存知、毎週日曜朝の番組、J-WAVE “SARAYA ENJOY! NATURAL STYLE”(もう16年目になるのよ! びっくり)のゲストにいらしていただいた、八ヶ岳の麓(ふもと)でパーマカルチャーを実践して暮らしている四井真治さんと話していたの。
すると、後ろからバックミュージックのようにヒグラシの鳴き声がカナカナカナ……と聞こえてくる。
そしたら、音楽家の高木正勝ことかっちゃんが、自宅のある里山で窓を開けっ放しにして、たくさんの生きている音に耳を傾けながら『Marginalia』を作っていた光景を思い出してね。
異物でない音を、暮らしている世界と共鳴し合う音、って言ってたな〜と。
暮らす場所によっては、毛穴を、鼻の穴を、耳の穴を、目を、
ぜーんぶ開いて開いて開いて、全身でたくさんのものを感じようとするのに、
都会ではその逆で閉じようとするねっと、四井さんにも言われたのがズシッときたの。
騒音を遮断したくてイヤホンするし、
キョロキョロして歩くと人にぶつかっちゃうし、
携帯の中の小さな画面に囚われの身になってる時間多いし、
では自分と向き合っているのか〜と思いきや、外に振り回されてるだけ??
なんてね。
新型ウイルスによって
人々は家の中で一日過ごすことを余儀なくされ、
それが新たな生活の気づきになった人も多い。
不安もある一方、安堵(あんど)を感じる部分もあったと思う。
住まうということ。
無くてもいいもの。
絶対的に必要なもの。
心地いいもの。
大事にしたいこと、物。
新しいものより、今あるもので、新しい発見や、新しい気持ちを持つ。
そんな新しい自分にも出会えた人がいるのではないかと思う。
それを持ち続けるには、どうするべきなんだろう。
湧いた疑問や新しい気持ちに目をつぶらずにね。
オリンピックが延期になり、
経済にあきらかな歪みがたくさん生まれた中、建物は”予定通り”壊されていく。
東京に住みながら、何かしらの恩恵を受けている私。
土地に根ざして代々住むことが難しくなった昨今、
特に東京で代々同じ場所に住めるなんて難易度高しであるけれど、
東京という街に愛着をもって暮らし、住み続けたいと思える可能性はあるのかなと、つい頭を巡らせてしまう。
帰りたい場所を守るのか、作るのか。
帰りたい景色を守れるのか、作れるのか。
同じ時代に生きている人々の共通認識で作り出せるものなのかしらね。
食べ物で争う時代なんて絶対来てほしくないし、
できれば私は昆虫食べて栄養とりたくないし、
ウイルスももちろん去ってほしいけど、
一日で何十万人の命がなくなる戦争なんて、どうやったって繰り返してほしくない。
会社に行かなくても家で仕事できるようになったり、様々な変化が起こるこの状況下で、
“ねばならなかった”常識を見直す。
縄文時代の暮らしには戻れないけど、
過去の例を見て進化できたら
”過去”からの”新しい暮らし”はあるのかもな、とか思ったりしてしまう。
種の話も当てはまるだろうし
物ではなく、見えない継承も多々あるけれど。
という訳で、最近また
『イマジン』ってすごい歌だな〜と思ったわけ。
想像してごらん
どういう暮らし、世の中を想像しようか。
うーこ、
ここらでうーこの『イマジン』の歌お願いします︎。
友里