遠ざかる景色と、迫り来る思い 江ノ電、湘南モノレール
芥川賞作家の大道珠貴さんが、鎌倉を舞台にした旅情や人間模様を描く、毎回読み切りの超短編小説連載「鎌倉の風に吹かれて」。最終回は、江ノ電、湘南モノレールです。車両に乗って運ばれていく「私」は、次々と遠ざかっていく景色を見つめながら、人生への思いを新たにしていくのです。
江ノ電や湘南モノレールに乗っていると、このままどこにも着かないでほしいなあ、着くとしてもこの世のものとも思えない強風の吹く荒れ野のような地がいいなあ、と思ったりする。車窓の向こうの寺や木々や空たちが、うしろへうしろへと遠ざかってゆき、私自身はぐんぐん前に進んで気が遠くなる感覚にさしかかったそんなとき、ふうっと、なんで私はこの世に生まれてきて、なんでなんにも産み出さずに死んでいくんだろう、呆(あき)れるねえ、と笑ってしまう。こんなになんでもない存在になるなんて、いかにも自分の若いころからの理想像であり、私は夢を叶(かな)えたことになるのだけれども。
しかしこのところ、自分の身体のなかに、奇妙な生命の兆しを感ずるときがあるのだ。自分とは別の生き物が私の頭脳の代わりにものごとのよしあしを考えてくれているような、自分はちっとも孤独じゃなくて、その生命体と共に生きているような……。
それが証拠と言っていいか、最近、あちこちで出会う猫たちが、やたらと私のおなかに乗ってくる。猫にとってちょうどいい温かさらしく、へそのあたりにほほをすりつけてくるのだ。私のなかの生命体にささやきかけてくれているのだろうか。私はこれから母になるのだろうか。私はごきげんになり、ぱあっと未来があかるく感じ、ますます自分の世界に引きこもって、あれこれ想像して楽しくなる。
押し入れに布団を敷いて寝たいときってある。クローゼットのなかで膝(ひざ)を抱えてただじっとして、ぶらさがった服たちのにおいを嗅(か)いでいたいときってある。水を張らない状態の浴槽にまるまって、自分だけの世界をつくり、缶ビールをお供に、外の風の音を聴き、耳栓をして本を読み、好きなひとにメールを送りたいときってある。
呆れるほど怠惰な一日を送りたい。裸で横になったまま、ぶらさがっている紐(ひも)を引っぱれば、美味(おい)しいお酒が口に入ってくる装置を発明しようかなあ。
嗚呼(ああ)、五十を過ぎると、どんどん思考が変わってくる。
世の中のだれのことも愛せるような、慈愛に溢(あふ)れた気持ちでいっぱいになるし、五、六人の男性と同時に肉体関係を持つことも平気である。そのうちのだれかの子どもを私は身ごもったのかしら……。
人生、終わりに向かうスピードが速まっているのに、まさかの母に私はなるのであろうか――?
もう、腰が痛いだの風邪ひいただの鬱(うつ)っぽいだの子宮がズキズキするだの、不定愁訴がなくなってきた。
孤独感もなくなった。押し入れにもクローゼットにも、そこから別の出口があり、違う世界の入口へとつながっていると想像すれば、私は寂しくない。横浜に住んでいる男、沖縄に住んでいる男、逗子に住んでいる男、男、男、好きな男たちの部屋へつながっている。
女は灰になるまで女であるのだ。体内に、もう一個の生命体がいるかぎり、私はその生命体のために母として強くあらねば、と思う。歯を食いしばって、生きたい。あちこちの地を旅して、酸(す)いも甘いも吸収したい。一人では億劫(おっくう)だしアクシデントがいやだからあんまりしなかった旅が、この生命体とだったら、積極的に挑みたくなってきた。共感し合い、わかちあって、私の記憶を、この生命体に受け継がせ、世の中に繋(つな)がっていってくれそうな予感がする。
江ノ電の車窓の向こうに見える海に、何度、私は助けられたろう。傲慢(ごうまん)、エゴ、自惚(うぬぼ)れ、思いあがり、叶わぬ望みを、どれだけ捨てたろう。
行く先を決めず湘南モノレールに乗り、適当に駅で降りて散策したときに出逢った猫たちは、なんと愛(いと)しい者たちだったろう。かれらの不思議な力は、私の欠けた部分にぴったり嵌(は)まった。私を未完成から救ってくれた。生き物のあたたかさや黙ってじっと見つめる目、毛の手ざわりや獣特有の匂いは、私の生きる意欲を引き出してくれた。
嗚呼、なんだってそうだった。後悔も反省もする必要はない。私は私が選んでこうなった。だからその罪悪を、その恩恵を、その因縁を、自分で引き受けるのだ。なんて素敵な選択だろう。風の音をただただ聴いている日もあった。好きな音だけを選びとったら、それが風だったのだ。
人生は、自ら選択してできた、私の創(つく)りあげた世界なのだ。良いも悪いも自分次第である。ここまできて、やっとわかったのは、こんなことなのだ。そしてこんなことが呆れるくらい私の人生にはふさわしく、素晴らしい。
私が死ねば、この世界も消える。
なんのわずらいがあるだろう。
終わりがあるから、進めるのだ。
人生の最終駅に向かって、私の未来はあかるい。
(写真・猪俣博史)