1800年代から今も変わらずフランスを拠点に、農家のための長靴を生産し続けている「AIGLE」が”SOIL=TOI”(土とあなた)という理念のもと、国内の“土”と共に生きる様々なスタイルをもった農家の方々を紹介します。大地と共に生きる、地球人として自然と共生する、そんな大きなテーマを考えるときのヒントやきっかけがそこにはあります。
今回、取材させて頂いた、坂本耕太郎さん、梨恵子さんご夫妻が営む「桜の山農場」は広島県三原市の人里離れた山奥にある。まず、この取材先を選んだ経緯と彼らのプロフィールにについて少し触れておきたい。僕の愛読書であり、数少ない国内の農業専門誌「現代農業」に掲載された「桜の山農場」の取材記事に衝撃を受けたところから、坂本ご夫妻への興味と、いつか機会があれば直接に農場へお邪魔して、お話を聞いてみたい!という気持ちが沸いたのが、始まりで。
その記事というのが“養豚を中心に、無農薬のお米、自家消費の野菜、麦、大豆を栽培し、しかもエネルギーの自給もしながら、広島の山奥で7人のお子さんを育てている愛農高校出身のご夫妻がいる!”というような内容だった。
この時は自分が興味あるトピックが多すぎて、ただただすごい人がいる!という興味関心でしかなかったが、その後、ご夫妻の出身校である「愛農高校」の掲げる”三愛精神”やその過程で大事にしている自立思考型の人材育成のことなどを知る機会があり、これは今会いに行くべき人だぞ、農業論だけではなく、そこにはきっとオリジナルな哲学があるぞ、聞かせてもらいたい、その考えをー、ということで、今年中にやっておきたいコトにノミネートされた、っていうのが流れです。そして、タイミングよく、本連載の仕事が舞い込んで、これはもう絶対に坂本さんのところへ行こう!ってことで、今回のこの熱量の高い質問攻めな取材記事が出来上がったという訳でございます。
養豚だけに留まらない、坂本さん流の哲学の一端が垣間見えると思いますので、ご一読くださいませ!
*農業をやろうと思ったのは、いつ頃ですか?
耕太郎さん)
父親が有機農家で、有機農業研究会の立ち上げのメンバーでした。子どもの頃は自分の家が有機農家って、すごくネガティブなイメージでした。河川に対して影響があるからって、汚れがよく落ちる市販の洗剤は使わなかったから、僕だけ体操服がどんどん黄色くなっていったり、お弁当も冷凍食品とかを使わずに全部手の込んだものにするけど、そうすると見た目が不恰好でみんなにからかわれたり、「休みの日は何してた?」という会話になって、僕が「畑で芋を植えてた」って言うとクラスのみんなが爆笑するとか、その”周囲と違う”っていうことが恥ずかしくて、どうしてもポジティブには受け取れなかったんです。だから、農家であることを隠してましたし、そうじゃない形で自分を評価して欲しかったからやたらと部活に打ち込んでました。
ただ、その後出会った愛農高校に救われました。そこで“農業”のイメージが180度変わったんです。中学3年の夏休みに体験入学に行ったんですが、その時に在学中の一年生がホストをしていて、年齢が一つしか変わらないのに自分の考えをしっかりと言葉にできていて、その姿が本当にカッコよかったんです。今まで自分が抱いてきた農業のイメージと全然違うし、私もそういう人間になりたいと強く思いました。その後、愛農高校に進学し、みんなで同じ屋根の下で暮らして、農場で働きながら勉強しました。その生活は、これまで引け目に感じてきたことを一切感じなくて良かったですし、むしろその経験がすごく肯定された気持ちになりました。心に蓋をしていたものがポンっと一気に弾けたような。僕は、3男1女の4人兄弟の長男なんですが、結局男兄弟は3人とも愛農高校に行きました。妻もその時の同級生です。僕の子どもも、みんな愛農高校に行ったらいいなと思っています。ちなみに長男は、昨年愛農高校に入学して下宿生活中です。
高校二年になると野菜や果樹や酪農など6つの部門に分かれて専門的な勉強をしていくんですが、養豚はやっぱり臭くて汚いイメージだから人気がなくて、「それなら俺がいってやる」って、男気的な感じで養豚を選びました。そこではコンクリートの上で豚を飼っていたのでとにかく臭いし、糞出しという作業がとても大変で。でも調べていくうちに、臭くなくて糞出しがいらない飼い方があることを知り、このやり方で農業をやりたいと思い、高校二年生の時に今の“養豚を中心とした農業の形”をイメージしました。
よくよく調べてみると豚って面白い生き物で、噛み付いたり、攻撃したり危害を加えようという気がない生き物で、しかもなんでも食べるんです。愛農高校で与えていた餌は普通にとうもろこしでしたが、そこも変えられたらと思っていました。今の日本の畜産の形は輸入穀物があって初めて成り立つ形なんです。酪農でも、養鶏でも養豚でも。それは戦後の政策でそういうふうになってしまって。従来、近郊で出た資材や使い切れなかったまだ食べられるものを餌にして営んでいたんです。今で言うフードロスですけど、その形を取り戻してみたいと思い、うちでは輸入穀物に頼らず、100%地域のフードロスだけで豚を育てる形をとっています。本来捨てられるものが、豚という新しい価値になって循環する。さらに、本来、養豚場に行くと10分もいたら一日中臭いが取れないような感じなんですが、養豚場の床に自分や地域の田んぼで出た籾殻を敷いて一年豚が生活することによって、豚の排泄と籾殻が攪拌を繰り返し、発酵して良い堆肥になるんです。だから、堆肥の発酵の香ばしい匂いしかしない。さらにその堆肥を、堆肥舎で再発酵させて水分飛ばして、田畑に使用する。だから肥料も外から買っていません。全部この地域やうちで出たもので循環させて、それがいずれ米になり野菜になり、豆になり麦になり、さらにそれが味噌、醤油、小麦粉になりと、様々な形で食卓に戻ってくる。地域から溢れたエネルギーを回収して、しっかり使い切って、うちからこぼすエネルギーは無いという状態です。豚が60頭と、畜産農家としての規模としてはかなり小さいのですが、この循環の形態でうちの家族9人がちゃんと暮らしていけています。豚を飼うことで、全てのピースがハマったんですよね。
ここの場所は、祖父が買った山で、そこに親父が仲間や職人さんと一緒に建てた家なんです。僕も駆り出されて手伝ってました。親父が有機農業を始めた頃が、「有機農業」という言葉ができた時代で、農薬や化学肥料が生まれる前はみんなが有機農業だったから有機農業の定義付けが必要なかったけど、農薬化学肥料が中心になってから”そうではない農業”という意味で「有機農業」って言葉が生まれたみたいですね。自分は、有機農家の二世としてすぐに戻ってきて農家を始めたってわけではなく、都会の暮らしもいっぱい楽しみました。その時、奥さんが北海道に住んでいたので2年くらいはいましたが、しっかり働いて経済的にも時間的にも余裕があってだいぶ満喫しましたね。でも、大人になって、子どもができてずっと都会にいるって言うのがイメージできなかったんです。でも、農業ならイメージできた。その後、こちらに戻ってきて、週3回アルバイトをしながら、お米や野菜、麦や大豆を作り、親と建てたこの家を自分たちでリフォームし、養豚小屋も祖父が植えた山の木を使ってセルフビルドしました。
*養豚のお話を聞かせていただけますか?
耕太郎さん)
うちは、デュロックという品種のお父さんと、純粋黒豚のバークシャーという品種のお母さんを飼育していて、その掛け合わせが僕的には一番肉質がいいと思ってます。日本で飼育されている約9割が三元交配豚で、ランドレース、大ヨークシャー、デュロックの三つの品種の掛け合わせで三元豚って言うんですけど、そのデュロックっていう最後の止めオスの肉質が割といいんですよね。そして、純粋黒豚のバークシャーは、生産性がちょっと低いし飼育時間も長くかかるけど上質な肉が特徴で、温厚な性格なので飼いやすいんです。うちは放牧もするので、温厚じゃないと中々難しくて。昔、三元豚を飼って放牧していた時もありましたが、すごく扱いにくくて。「今日こそは脱走行けるんちゃうか」って、ずっと電気柵を睨んでるんです。(笑)
何年か経ったら順次お母さん豚やお父さん豚を更新するのですが、その更新する豚が我が家の自給豚になります。ペースにすると毎年一頭か二頭くらい、冬にいただいてます。販売したらみんなは喜んでくれるんですけど、逆にうちらが食べるものがなくなってしまうので、親豚は売らないと決めていて、贅沢に自分たちで加工品にしています。ソーセージにしてみたり、ハムや焼き豚にしてみたりしてストックしておくんです。豚一頭を余すことなく自分の家で食べられるって、本当に贅沢なことなんですよね。しかも、自分たちの暮らしのために作る行為ってめちゃくちゃ楽しい。ビジネスとしての畜産や農業も、もちろん楽しんではいるんですが、自分たちのためだけにする農業ってすごく格別なんですよね。「農」の楽しい部分だけを贅沢に味わえる農家の特権です。
*エネルギーも自給していると聞きました。その辺りを聞かせていただけますでしょうか?
耕太郎さん)
家の電気は自作のソーラーシステムで自給して、お風呂のお湯は太陽のエネルギーを利用して沸かす真空管温水器、車の燃料は地域でもらった天ぷら油を自作の濾過システムで綺麗に濾過して使用しています。自然エネルギーだけで暮らしているとすごい気持ちがいいんですよ。太陽のエネルギーで沸かしたお風呂も気持ちいですし、初めて天ぷら油で車を走らせた時はなんとも言えない高揚感がありました。それと、ガスはないので食事はかまどで火を起こして調理します。子どもがかまどでご飯を炊けるって結構な技術だと思うんです。火を起こすこともそうだし、水加減だったり、炊く時間だったり、その辺りの感覚を暮らしの中で毎日当たり前にできることは、一つの大きな経験じゃないかなって。それに、火を起こす為には薪が必要で、薪を割るのも子ども達の仕事です。米炊きはみんな小学四年生からやっているので上手ですよ。
耕太郎さん)
高校生の時にイメージしていた、養豚を中心にした農業の形に、エネルギーの自給と、食の自給、そしてそれらを地域と循環させる形を少しずつ作ってこれたことは、自分の中ですごく達成感はあります。一番直近で自給できたのが電気なんですけど、それをやってる時は特に楽しかったですね。とにかく自給率が上がっていくのが面白い。「平和について考えると、エネルギーにたどり着く」という言葉があって、世の中の争い事の多くはエネルギーと食料の奪い合いが原因で起きていて、自分たちでエネルギーも食料も自給できる暮らしこそ争いをなくす平和活動なんだと思って、この農場や暮らしを営んでいます。
あとは、唯一残っているとしたら塩の自給ですね。塩作りは何年か前からずっとやりたいなと思っていて。海も近いので、その海水を炊いて塩を作る。それができると、味噌、醤油も自分が作ったものだけでまかなえるので。日常を回してくのにまあまあ時間はかかるので、今の生活をしっかりとやりながら、塩作りに挑戦できたらと思ってます。
興味の赴くままに様々な質問をして、全てに真摯に答えてくださった。お子さん達は、学校から帰ってきて、まずはゆっくり家の仕事を始め、その後に自分の時間や下の子の世話をしていた。夕暮れになると、慣れた手つきでみんなで夕飯の準備をして、お祭りのような、屋外での大家族の夕飯に混ぜていただいた。耕太郎さんに何が嬉しい瞬間ですかと聞くと「もちろん、育てた豚やお米を美味しいって言ってもらえることも嬉しいけど、”自給率”が上がることが一番嬉しい。」との返答。これまで取材してきた農家さんとまた違った角度の答えがとても印象的だった。 「みんなが100%自給するってことは難しいと思うんですよ。でも、1割でも2割でも自給していくマインドを持って、みんながちょっとずつやっていけば、あっという間に社会って変わると思うんですよ。」これだけ実践している方の“平和”や“自給”の言葉は、すごく説得力があった。世の中が良くなるために自分が何をできるかとの問いは、みんなが考えていることだけど、一人一人が少しでも”自給する”と言う選択はとても現実味のある一歩だと感じました。
写真・取材記事 : SHOGO
モデル業の傍ら、自身でも農地を借り、時間が許す限り、 作物を育て、収穫し、食す。農家見習い兼モデル。
IG https://www.instagram.com/shogo_velbed/