第9回
人工知能学会とは
What is JSAI?
野田 五十樹 産業技術総合研究所人工知能研究センター
Itsuki Noda National Institute of Advanced Industrial Science and Technology.
Keywords: JSAI, academic society, review process, research, falsifi ability, reproducibility.
1.人工知能学会の概要
人工知能学会は,人工知能を対象とする研究者の集まりです.堅ぐるしく書くと,「人工知能に関する研究の進展と知識の普及を図り,もって学術・技術ならびに産業・社会の発展に寄与することを目的」(定款第3 条より)とした法人です.1986 年に設立され,2020 年9 月時点では約5 400 人の個人会員と289 の賛助会員(主として企業)から構成されています.
主な事業としては以下のものを行っています.
● 全国大会:年1 回,日本各地で開催.人工知能の全分野をカバーする研究発表の場.
● 研究会:個別の研究テーマを中心とした研究集会.研究会ごとに年数回開催.
● 機関誌:新規論文を編纂した論文誌と,各種解説や企画記事を掲載する学会誌を編集・発行.
● イベント:セミナーやシンポジウムなど,学会員や一般向けに情報発信や理解促進のために企画.
● 表彰:優れた研究や学術に対する功績を表彰し,学術活動を奨励.
● 各種委員会・タスクフォース等:財務や広報などの定常業務に加え,研究倫理や標準化・国際交流など,研究者が組織として取り組まなければならない課題に中心となって取り組む.
これらの事業を進めていくために,2020 年度は,29 名の理事と2 名の監事が理事会を構成し,月1 回の会合で学会の方針を決めていっています.また,各理事は各種委員会やタスクフォースの中心メンバとして実際の事業の運営を行っています.理事・監事の構成は,大学・研究機関所属と企業等所属がほぼ半々となっています.漫画のほうにも描かれていますが,理事や委員会の役職は基本的にボランティアであり,給料が出ているわけではありません.
2.学 会 と は
一般の方は,学会にどんなイメージをもっているでしょうか? よく小説や漫画などでは,象牙の塔のようなところで,会長のもつ権限をめぐって,学者達が権謀術数を駆使しながら熾烈な権力争いをしている様子が描かれたりします.真理を悟った長老の学者達が奥の院に集まって,宇宙の神秘について語り継いでいる,というイメージもあるかもしれません.ただ幸いなことに,筆者はそういう学会に関わったことはありません.
学会とは,単純に言ってしまえば同じ分野を追究する研究者の集まりです.ある対象が研究に値するものであり,それに賛同する研究者が複数人いれば,すぐにでも学会を設立することができます.ただ野放図に学会があっても混乱するだけなので,日本では,日本学術会議という国の機関に登録されている学術団体を公的学会として扱っています.もちろん,人工知能学会も日本学術会議に登録されています.日本学術会議では,以下の条件をもって学術団体と認めています.
● 学術研究の向上発達を主たる目的として,その達成のための学術研究活動を行っていること.
● 活動が研究者自身の運営により行われていること.
● 構成員(個人会員)が100 人以上であり,かつ研究者の割合が半数以上であること.
● 学術研究(論文等)を掲載する機関誌を年1 回継続して発行(電子発行を含む)していること.
学術団体が必ずしも日本学術会議に登録されていないといけないわけではありません.例えば,ロボカップ日本委員会は純粋に研究者の集まりであり,ロボカップの大会を開くことで研究者の交流を促進している学術団体といえますが,今のところ,日本学術会議への登録は行っていません.さらに海外に目を向ければ,学会の有様はさまざまであり,学会の基準もそれぞれのようです.各国・各分野ごとに学会が必ずあるというものでもなく,小さな国で対応する学会がないところもあれば,大きな国では同じ分野で複数の学会が並立しているところもあります.
現在のような学会は17世紀頃(ニュートンが活躍した時代) に始まったといわれています.日本での学会は,1877年(明治10 年)設立の東京数学会社,あるいは,1879 年(明治12 年)設立の工学会あたりにさかのぼれます.これらからすれば,人工知能学会は30 年の歴史しかもたないまだまだ若い学会です.
3.学会の役割
学会の役割は,日本学術会議があげている条件にもあるように,学術研究の向上発達のための活動を行うことにあります.具体的な活動としては,以下のようなものがあります.
● 論文誌などを編纂・発行して,査読した研究論文を公表し,記録にとどめる.
● 研究集会を開催し,研究者の情報交換・交流を促進する.
● セミナーを開催するなど,研究成果を社会に広く普及させる.
これらのなかで,査読した研究論文を論文誌で公表する,というのが,最も学会の役割を特徴付けているといえるでしょう.研究というのは,これまで誰も解いていない問題を解くことです.研究論文というのは,その解法が書いてあることになりますが,試験問題と異なり,どこかに解答集があって正解が書いてあるわけではありません.その代わり,同じ分野の別の研究者が,論文に書かれている解法が間違っていないかチェックするのが「査読」というものです.書かれている解法はチェックする研究者にとっても初めて見るもののはずであり,また,難解なものもあるので,多くの場合,この査読は複数人で慎重に行われることになっています.中には,数学のABC 予想の証明のように,何年もかけて査読し,それでも正しいかどうか結論が出ないこともあります.
査読では同時に,同じことがすでに知られていたり発表されていないか(新規性)や,役に立ち価値のある成果なのか(有用性)という点もチェックされます.これは,できるだけ研究として重要なものを選ぶことで機関誌の価値を高めるためです.例えば「3 152+2 413は5 565 である」と主張する論文があったとすると,この主張は間違ってはいませんが,足し算としてあたりまえ(新規性がない)であり,この数字の組合せが歴史上初めてであったとしても役に立つ場面はなかなかない(有用性がない)でしょう.こんな論文で機関誌があふれかえらないよう,新規性・有用性の審査は査読の要素として大事になってきます.
4.学会の存在意義
学会の役割をより明確にするために,学会がない世界を考えてみましょう.話を簡単にするために,インターネットもないとしておきます.
このような世界で,科学的に正しいことをどうやって知り,さらに新しい研究を進めていけばよいでしょうか? 上でも書いているように,研究というのは,まだ誰も取り組んだことのない問題を解こうとしています.なので,正解が載っている解答集も解き方を解説してくれる教科書もありません.もし取り組んだ研究で答えにたどり着いたとして,その答えが正しいのか,他の人もちゃんと納得できるものなのか,を確認する必要があります.また,自分がそれを解いたことを知ってもらうことも必要でしょう.その一番の方法は,他の専門家に論文を見てもらうことです.学会がなかった時代(17 世紀以前)には,自分の所属する大学などの先生に見てもらったり,高名な研究者に手紙を送って評価してもらったりしていたようです.研究のコミュニティがまだ小さかった頃は,何とかこのような方法で進めることができていました.しかし,研究に携わる人が増えてきたり,分野が拡大していろいろなテーマが細分化してくると,異なる意見の間での論争の決着がつかなかったり,ある重要な発見が認知されずに忘れられたりなどが増えてきます.議論を成り立たせるためには,論争する相手との間で知識や論理の組立て方の共通基盤をもち,公平に討論を進めていく必要があります.インターネット上での議論でもありますが,こういう共通基盤がないと,水掛け論ばかりで建設的な結果が得られないことになりがちです.
学会というのは,この共通基盤を提供するのが一番の存在意義になります.共通の前提知識のもとに万人が納得する体系を組み立てられるよう,どのように正しさを示していくのか,新しい発見はどう記録し,どう皆に示していくのか,ということの共通基盤が,学会活動なわけです.
5.厳格さと寛容さ
査読の説明のところで,論文の正しさを確認するために行う,と説明しました.この正確さの確認をどこまで厳密に行うのか,ということが,実は難しい問題だったりします.
学術論文は正しさが命ですから,査読者はおのおのの知識を総動員して厳格に論文をチェックし,明らかな間違いはすべて指摘するよう努力しています.一方,査読者が知っている範囲では正しいかどうか判別しきれない問題も出てきます.もちろん査読者は,その論文が扱っているテーマに詳しい人が割り当てられるわけですが,研究というのは今まで誰も解いたことのない問題に取り組んでいるので,完全に正しいと言い切れるかどうかわからないところが出てくることもあります.このような場合,まず査読者は著者に質問(一般に「照会」と呼びます)して論点や論理構成を整理してもらうといった修正を依頼するなど,論文の正しさが明確になるようにしていきます.
ただ,この厳格さを追求しすぎることが望ましくない場合もあります.例えば,新しい理論などはいきなり完全な形で出てくるのではなく,最初は荒削りな形であったりします.あるいは,今回のCOVID-19 のような状況では,症例報告の速報などで多少不確かな分析が残っていることもあります.このような場合に,厳格さを追求して疑義のある部分を全部なくそうとすると,重要な科学的知見をタイムリーに世に知らしめることができなくなってしまいます.それを避けるために,査読ではある程度の寛容さが求められます.もちろん,論文の根幹をなす論旨で疑義があるのを許容することはありませんが,瑣末な部分については,そういう疑義を将来課題とするなどして採択とすることがあります.
そういう寛容さを認めるうえで重要なのは反証可能性と再現性です.疑義が残っている論文を許容する,ということは,場合によっては,のちのちその論文が否定されたり,修正が必要になったりする可能性があるということです.その手順を明確にするのがこの二つの概念です.
反証可能性とは,論文の主張を否定する方法がちゃんと用意されている,ということです.例えば「すべては神の思し召しである」と主張されても,自然科学でそれを論破(反証)することはできません.一方,ニュートンの運動方程式は,それに従わない物理現象を示せば否定(反証)できます.科学では,後者のような反証可能な主張のみを対象とし,前者のようなものは扱わない,ということになっており,査読においても,反証不可能な主張がなされないよう留意されます.
再現性とは,論文で主張される結果について,別の人がやっても同じように得られることを保証する,ということです.実験条件が複雑な生物学などの分野の論文では,この再現性が問題になることが多いようです.人工知能の分野では,論文で示されたアルゴリズムを計算機で動かせば比較的容易に再現でき,再現性が問題になることはあまりありませんでした.ただ,最近では膨大なデータセットや高性能な計算機が必要な研究成果もあり,再現性の確認が容易でない例も少なからず出てきています.このため,論文と同時にその結果を示すプログラムやデータも同時に提出することが求められるようになってきています.
このように,研究の完成形である論文を査読するところでも,試行錯誤が行われているのです.
6.学会のこれから
研究者の集まりである学会の役割について,駆け足で説明してきました.ただ,学会というものが生まれた17 世紀や明治の時代から世の中は変化し,学会に求められる機能や形も徐々に変わってきています.特に最近では,インターネットと国際化が,学会の形に大きく関わってきています.
インターネットは,学会に限らず社会全体での情報発信に大きな変革をもたらしてきています.学会の存在意義のところでわざとインターネットを外したのは,学会に求められる機能の一部がインターネットで置き換えられる可能性があるからです.学会の成り立ちは,研究者のコミュニティが広がり,バラバラのままでは研究成果などの情報の共有もままならないので,コミュニティをまとめる組織をつくることから始まったと書きました.この情報共有のうち,情報発信についてはインターネットでかなり手軽にできる環境ができてきたことになります.実際,人工知能学会では論文誌はすでにオンライン化されていますし,COVID-19 対策のための緊急避難とはいえ,2020 年の全国大会を曲がりなりにもオンラインで行うことができました.もしかしたら,学会というまとまりをもたずとも,将来的にこれらは実現できてしまうかもしれません.
ただ,研究を集め選別する査読についてはまだ難しそうです.Wikipedia のようにみんなで寄って集ってチェックし合えばよいのでは,という意見もあるかもしれません.しかし,ネット上での議論が往々にして発散したり炎上したりする事例を見ると,意見を集約する必要がある査読プロセスをこのように開放するのは時期尚早のようです.この点ではまだまだ学会というまとまりが大きな役割を担う必要があるでしょう.
国際化も悩ましい問題です.研究の分野では国際的な発信力というのは非常に重要です.自然科学では国際的に認められて初めて研究成果といえるところがあります.そのためには研究成果を英語で書いて発信するのが一番です.ならば,学会の活動もすべて英語で,という意見もあります.一方で,人工知能の研究対象である「知能」は人間の使う言語に依拠する部分が少なくありません.人が思考の際に使う概念は母語の語彙にかなり影響されるでしょう.人工知能はそういう思考を計算機の上で実現しようという試みですから,英語という単一言語だけで論文として研究成果をまとめることに限界があるかもしれません.また,研究成果の社会への還元の面でも,言語の問題がつきまといます.人工知能学会ではトップカンファレンス報告会というイベントを企画しています.一流の国際会議で発表される最先端の成果を,それを聴講した若手研究者に日本語で解説してもらうものです.この企画はかなり評判が良く,日本語で研究を語るニーズがかなりあることがわかっています.この問題については,学会では引き続き悩みながら付き合っていくことになるでしょう.
このように,学会というのはいきなり天から降りてきた組織ではなく,必要に応じてボトムアップに設立され変化していくボランティアな組織です.さらに,このシリーズで解説されてきたように,人工知能という分野は「知能」というまだ見ぬものを追いかけている学問です.人工知能学会もその捉えがたい「知能」を追いかけられるように,柔軟に変化しながら役割を果たしていくことになるでしょう.