情緒の言語化
日ごろ感じている事でも
何でもかんでも誰かに話すわけではない。
感情はポジティブなことだけとは限らない。
ネガティブなものも含めて
それが自分の情緒のすべて。
日常生活で、家族間で、仕事で
嬉しいこと、楽しいことも有るけれど、
イラつくことや、ムカつくこともたくさん有る。
そういう感情を言語化することで
客観的に見ることができる。
自分が何についてストレスを感じているのか。
なぜそんな風に感じるのか。
それから脱するためにはどうしたらいいのか。
ストレスを可視化することができる。
言語化する場所
誰かに話す、日記に書く、
色々な方法が有りますが
人に話すには相手を選ぶ。
なぜなら解決策を求めているわけではないから。
それは違うと思うよって
間違いを正されたり、
望んでもいないお節介なアドバイスをされたり
相手によってはストレスの増幅になってしまう。
書く瞑想と言われるジャーナリング
本来ジャーナリングは
頭に思い浮かんだことを書いていく作業です。
これならいつでもできるし相手も不要。
不特定多数に向けたSNSや
身近な人に言葉で伝えると
体裁を繕ったり、言葉を選びます。
自分の思いを紙に書くジャーナリングの方が
本心を吐露できると言われています。
誰に見せるものでもないので
かっこつける必要もないし
どう思われるかを気にする必要もない。
日記の場合、それは人によりますが
何日か後、何年か後に読み返しす人もいます。
ジャーナリングの解説によると
書いたものを読み返したら
丸めて捨てるというものも有ります。
日記の備忘録とはちょっと意味が違います。
ジャーナリングはブログでこそ
本来は紙に書くことで自己解決、
自己消化していく作業ですが
私はブログが最適なツールだと思います。
X(旧ツイッター)の方が
手っ取り早かったりしますが
文字数が少ないし
下書きして読み直して・・・というより
衝動的にパッと書いて送るイメージ。
それよりもう少し整理されて
文章として成立したものが
ブログだと思います。
確かに自分だけが読むものとは違い
脳内に浮かんだ言葉を
一旦よそ行きと言うフィルターを通してから
発信することになるけれど
そのフィルターを通すことで
ちょっぴり独りよがりな考えを
客観視できる気がする。
ブログには読まないという選択肢もある。
読んだことにしておくという選択肢もある。
だから愚痴やボヤキを綴っても
迷惑をかけることはない。
ジャーナリングと共通しているのは
反省や悔い改める必要が無いこと。
ただし、ブログの場合は
共感を得られたり、
時には励まされたり
得るものも有る。
ブログは現代版
王様の耳はロバの耳の進化版だよ!
すっきりするだけじゃない。