第108回『山藤章二先生 逝く』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93

高田文夫のおもひでコロコロ

2024.10.07

第108回『山藤章二先生 逝く』

本当の恩師が亡くなった。
私の生き方、メディアでの見せ方 等すべてアドバイスしてくれたのが山藤章二先生だ。
私にとって先生であり 俳句の宗匠であり 「爆笑王・立川藤志楼」の生みの親だ。芸能活動における私のプロデューサーである。
「落語・芸」の師が談志なら「メディア・著作物」の師が山藤章二。  
子供の頃から心の師は永六輔。
みごとに皆な亡くなった。
山藤先生のことは『週刊ポスト』『月刊Hanada』の連載にも色々書いたので そちらの方もよろしく。

左が日刊スポーツ、右が朝日新聞。10月1日付けの記事。
「週刊朝日」で45年間「ブラックアングル」をつづけた。
名人芸であった。日本の宝であった。“歩く江戸文化”だった。
来年の大河ドラマは「蔦屋重三郎」だというのに。
見たかったろうに・・・。

目黒に生まれたスマートな都会人で野暮(田舎くささ)を嫌った私と同じキャラ。私は渋谷に生まれたので気が合った。江戸ッ子と思われるが東京人で山の手の子。下町のベタベタした人間関係は好きではなかった。
享年87。お世話になりました。
大好きな談志と今頃もう会ってるかな。

若い、若い日々。
80年代中頃。山藤章二企画プロデュース「立川藤志楼VS高田文夫 ひとり時間差落語会」の打ち合せなどしたあと、TVで私の15分の落語を見ただけでいきなり訪ねてきて「2時間も3時間も高田さんの落語をききたいから。いま新宿紀伊国屋ホール押さえてきたから。紀伊国屋ぐらいじゃないとプライドが許さないでしょ?」
(かつて談志がここでずっとひとり会をやっていたのだ)
結局この会はGWの新宿の風物詩となり10年続いた。
とんでもない熱狂に包まれた伝説の会となった。

 

数ある談志の書、山藤の書の中でも最高傑作といわれるのが下の本。名著。森繁久弥、志ん生の昔から談志が百人を選んだ大好きな芸能論。
それにすぐ応える山藤画伯の画も みごと。
当時 週刊誌に連載してたので いつ自分が選ばれるか芸人共は みんなドキドキして次週号を待った。
100人に選ばれしこの栄誉。
談志が高田文夫を書き、画伯が私を描き下ろす。芸能界に入ってよかったと思った瞬間。

 

ある雑誌で「落語」の座談会をやったら、こんな素敵な色紙を。

イラスト同様なにしろ文字が素晴らしい。
有名なところでは映画にもなった「居酒屋兆治」(山口瞳)。
高倉健である。当人達(山口と山藤)もカウンターに座り客として飲んでいる御愛嬌。
こういうシャレっ気が江戸の人なのだ。

 

御冥福を御祈り致します。
先生に愛された事を一生の宝にします。

談志と山藤章二と永六輔に愛されたという事実とプライド、これだけは誰にも汚せない。

 

 

ダンプ松本が乱入して来て、いきなりスタジオて私の額にフォークを刺し竹刀で殴る。
痛ぇ――ッ。
「極悪女王」ゆりあん と クラッシュギャルズの長与千種(唐田えりか)である(10月4日)。

ネットフリックス調子に乗っちゃって!

 

ダンプの襲撃にもめげずジャーン「第2回 未亡人の会」が圧倒的熱狂の内に神保町のひみつ過ぎる食堂で開催されました。
「力道山未亡人」の著者 細田昌志と私を囲んで、ただひたすら5時間超、酒を飲みゴシップを出しあうだけの会。
今回は初参加のナイツ塙が入ってきて、いきなりビッグなネタを披露。
私から小言をくらう。「塙バカ野郎!初回の表から、いきなりホームラン打つバカどこにいる!」やな小言だ。

左の列、手前からナイツ塙、ロケット団 三浦、著者 細田、私の座付きイラストレーター佐野、石和のババちゃん。
右の列、手前から志らら(社団法人)、ひたすら私のストーカー「笑点」鬼頭P、一之輔、私、「月刊Takada」を1人で作った編集者 川島、お供上手わたなべ(テレビマンユニオン)。

この勢いなら年内にもう1回やれるかも……。
5時間しゃべっても、よそで一言もしゃべれない効率の悪さ。一之輔「コスパ悪すぎる会ですネ」

 

実はこんな会に1番入りたがってるのが神田伯山だろう。あいつは性格的に問題があるからもう少しだな。
出たよ。「神田伯山対談集 訊く!」
私は矢野誠一先生と出てるのだが他に宮藤官九郎、アントニオ猪木、又吉直樹、中井貴一、中村勘九郎ら。いい顔付けになっている。読み応え充分。
松之丞から伯山へのドキュメントにもなっている。

 

中でも1番感動したのが「寺島しのぶ」篇。
「こういう対談によく出てくれましたねぇ」という伯山に寺島しのぶが言う
「私は高田文夫さんが好きで爆笑問題の太田光さんも大好きで、類は友を呼ぶというか伯山さんも、そういう類の方じゃないかなと思って(出てきました)」

クゥ~~ッ。しびれるネ!イヨッ藤純子!

 

10月7日

 

高田文夫

 

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。