台北駅で台鐵台東線の歴史を学んだ | うらたつ観光協会
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台北駅で台鐵台東線の歴史を学んだ

2012年夏、私にとって初となる台湾鉄道の旅が始まりました。鉄道を利用するため、はじめて台鉄台北駅にやってきました。今回は台北駅コンコースに展示されていた、台東線(花東線)に関するパネル展の様子をお送りします。

地面に突き出た巨大駅舎の中に入ると、開放感あふれるスペースが広がっています。ここ台北駅は1989年に地下化されており、地上にはおもにインフォメーションセンターや商業施設が、地下には改札口やホームが置かれています。



今回の舞台は台北駅の吹抜け広場


台北駅の吹抜け台北駅の吹抜け
▲台北駅ビルの吹き抜けを見上げて

右側の写真がブレていますが、南国の日光が差し込んで明るく、かつ快適に過ごせる場所でした。

今回紹介するパネル展はコンコース中央部にありました。「花東線」こと台東線(花連~台東)は東部幹線(八堵~枋寮)を構成する路線の一つで、玉里~東里間が複線区間であることを除けば、全区間非電化単線になっています(2012年7月現在)。

同路線は日本統治時代にナローゲージ規格(762ミリ軌間)で建設され、1980年代前半まで小さくて高馬力のディーゼルカーが、ナローとは思えない速度で飛ばしていたことで知られています。日本の特急に相当する「光華号」で使用されていた、DR2700形ディーゼルカーが余生を送っていることでも有名です。

そんな非電化ローカル幹線の台東線ですが、そう遠くない将来に電化されるとのことで、玉里~東里間の沿線には架線柱が建っています。今回のパネル展も、台東線電化を告知するために行われたのでしょう。

光復(上大和)駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲光復(旧上大和)駅

日本統治時代には当初、原住民語由来の「馬太鞍」(またあん)、のち昭和12(1937)年に改称され「上大和」(かみやまと)と呼ばれていました。戦後、国民党主導の中華民国政権による台湾支配が始まると、駅名が日本的であるということから、「台安」を経て1951(昭和26)年に現在の「光復」へと改称されました。

駅名「光復」の由来は、蒋介石率いる中国国民党・中華民国政権による台湾支配の開始を正当化・美化する概念「台湾光復」から。日本人として少し複雑な気分になる駅名です。

駅の所在地も駅名と同じ花蓮県光復郷ですが、日本統治時代には区域の北半分が鳳林街(のちの鳳林鎮)、南半分が瑞穂庄(のちの瑞穂郷)になっていました。光復郷が成立したのは、上大和駅の改称よりも前の1947(昭和22)年です。

関係ないですが、「しもやまと」駅(漢字は下山門)がJR九州の筑肥線にあります。

三民(三笠)駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲三民(旧三笠)駅

日本統治時代は「三笠」(みかさ)と呼ばれていましたが、やはり駅名が日本的であるとして戦後、三笠のうち「三」だけを残す形で「三民」に改称されました。駅名の由来は言うまでもなく、孫文が唱えた「三民主義」です。駅名は変わったものの、駅の近くには三笠山という名の山があり、日本統治時代の名残を感じることができます。

このように、「中華民国」支配下の台湾では、多くの政治的・中華民族主義的スローガンが込められた地名や駅名、施設名を多く目にすることとなります(中山、中正、介壽、光復、信義、仁愛、etc...)。

玉里駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲玉里(たまざと)駅

台東線のちょうど中間にある駅で、DR2700形の運行上の拠点となっています。同駅のある花蓮県玉里鎮は花蓮と台東の丁度中間地点にあり、日本家屋や鳥居が残る神社「玉里社」跡など、市街地には日本人が居住していた名残が数多く残されています。

台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲玉里駅

池上駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲池上(いけがみ)駅

日本でも有名な弁当「池上弁当」発祥の地です。清統治時代の池上には既に、シナ・チベット系住民による集落が形成されており、日本的風土濃い東台湾の中でも例外的に、福建文化が濃い地域になっています。また、池上弁当を取り扱う施設「池上飯包文化故事館」にはDR2050形が保存されています。

台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲池上駅

万栄駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲万栄(旧万里橋)駅

日本統治時代には、原住民語由来の万里橋(まりばし)駅と呼ばれていました。戦後に万里、さらに再び万栄と改称され現在に至ります。駅自体は鳳林鎮にありますが、万栄郷の入口としての機能を持っており、両自治体の境界線が駅のすぐ近くにあります。

当駅からはかつて、林田山の作業所・森坂(もりさか)へと森林鉄道が伸びており、林業で栄えていたようです。

関山駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲関山(かんざん)駅

実は、日本にも同じ漢字の駅があります・・・そう、信越本線の関山駅。ただし発音は異なり、台東線の関山は「かんざん」、信越本線の関山は「せきやま」といいます。

関山市街地は碁盤の目状に区画されており、現在でも日本家屋を多数見ることができるなど、日本色がきわめて強い街です。日本統治を経験しているだけに、台湾には多くの日式地名(関山がそうかというと微妙ですが)が至る所に残されており、地図や時刻表を見ていると楽しくなることでしょう。

台東線沿線はコメどころとしても有名で、ここも弁当(関山弁当)で有名です。

瑞穂駅について


台東線の駅舎改装デザイン紹介
▲温泉地として有名な瑞穂の玄関口、瑞穂(みずほ)駅

日本統治時代に温泉が整備され、現在でも多くの観光客でにぎわっています。

たまには温泉にでも入って、汗を流したくなります・・・

撮影日:2012年7月1日
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鉄道台湾台北市花蓮県台東県

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