看護師からアスリートへの転身を叶えた「スポキャリ」。競輪選手 伊藤のぞみさんの働き方 #番外編|「マイナビウーマン」
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看護師からアスリートへの転身を叶えた「スポキャリ」。競輪選手 伊藤のぞみさんの働き方 #番外編

「バリキャリ」「ゆるキャリ」……女性の働き方って、本当にこの2つだけなの? 100人いれば100通りの働き方がある。一般企業で働く女性にインタビューし、会社の内側や彼女の働き方を通して、読者に新しい働き方「○○キャリ」の選択肢を贈る連載です。

取材・文:ねむみえり
写真:梅沢香織

今回は、#働くわたしの選択肢 番外編ということで、競輪選手として活躍している伊藤のぞみさんにお話を伺いました。

伊藤のぞみさんは、11年続けた看護師を辞め、競輪選手になるという夢を31歳で叶えました。

周りの人に助けられたと語る伊藤さんですが、彼女自身の努力も並大抵のものではありません。迷ってもやりたいことはやったほうが、後悔したとしても潔いという伊藤さんの姿勢からは、多くの勇気をもらえます。やりたいことがあっても、自分のいる環境を大きく変える勇気が出ないという方は必見です!

昔から、好きなことは自分が納得するまで辞めたくない――そんな自分だった

ねむみえり
伊藤さんはもともと看護師をされていて、31歳から競輪選手としてデビューされたとお聞きしました。
伊藤のぞみ
そうですね。高校を卒業してからは、地元の函館市内の「就職進学制度」を導入している学校に通っていました。午前中は働いて、午後は授業を受けるという形で准看護師の試験に合格しました。そこの病院では、助手の時代から含めて11年ほど働いていましたね。

伊藤のぞみ選手の看護師時代

▲準看護師助手として勤務していた頃の伊藤のぞみさん

ねむみえり
結構長い期間働かれていたんですね! その前の高校生まではどのような学生生活を送られていましたか?
伊藤のぞみ
中学生の時は卓球部に所属して、高校生の時はテニス部に所属していました。一応、社会人になってからは趣味でハーフマラソンに出場したりもしていて、マラソンをするのも好きですね。
ねむみえり
学生時代に留まらず、社会人になってからも趣味でスポーツをされているんですね。また、趣味でイラストを描くこともあると伺っています。運動系の趣味も文化系の趣味もどちらもあるんですね!

趣味のイラスト

▲趣味で描いているイラスト(函館競輪場PRキャラクターりんりん)

伊藤のぞみ
そうですね、スポーツも習い事も興味あることは結構なんでもやってみます。ダメだなって思ったらすぐ手を引くので、好きなことしかやらないんですが、好きなことは自分が納得いくまでやめない性格なんです。それは今も変わらないですね。
ねむみえり
今の競輪選手としての伊藤さんとも繋がってきそうな部分ですね。

競輪との出会いは、友人に誘われて行った“函館競輪場”がきっかけ

ねむみえり
看護師から競輪選手にとなると、その間に何があったのかが気になります。
伊藤のぞみ
そもそも競輪に興味を持ったきっかけは、競輪が好きな友人が一緒に見に行かないかって誘ってくれたことです。その時はまだガールズケイリン*がなかったんですが、スポーツとして見て応援するだけで楽しかったんです。函館競輪場で開催があるたびに、仕事終わりに足を運んで、男子選手の走りを見て、かっこいいなって思ってたんです。

*ガールズケイリン:2012年7月1日から行われている女性選手による競輪の名称。

函館競輪場へ訪れた伊藤のぞみさん

▲函館競輪場に訪れている様子

ねむみえり
ガールズケイリンは2012年7月1日から始まったんですよね。
伊藤のぞみ
そうなんです。ガールズケイリンも見に行ったんですが、出ていた方たちの中に同い年ぐらいの選手が多くて、「同い年でこんなにかっこいいのすごいな」という、ガールズケイリンのファンの1人として選手を応援していました。
伊藤のぞみ
そうしたら、数年後に、函館競輪場が「ホワイトガールズプロジェクト*」という選手育成プロジェクトを始めたんです。それをFacebookで知って、「私もやりたいな」というようなコメントをしたら、私の知人が、その後ホワイトガールズプロジェクトで指導してもらうことになる藪下昌也さんと知り合いだったらしく、コメントを見たのをきっかけに紹介してくれたんです。

*ホワイトガールズプロジェクト:プロスポーツとして注目を集めるガールズケイリンの、地元北海道所属選手を養成し誕生させるため、選手会を中心とした函館けいりんが立ち上げたプロジェクト。

ねむみえり
奇跡的なご縁があったんですね!
伊藤のぞみ
人伝えに色々ご縁がありました。そこで、ホワイトガールズプロジェクトに参加しなくてもいいから、とりあえず自転車乗ってみようかっていうことで、借りた自転車で、バンク(競走路)の退避路と呼ばれる、下の方をぐるぐる周ってみました。 最初は怖かったんですけど、そこからすぐにカント(傾斜)のある部分でも走ってみて。
ねむみえり
あの斜めのところを走るのはすごく怖そうだなと思うのですが。
伊藤のぞみ
最初は怖かったし全然走れなかったです。でも、乗り方とかを教えてもらえたら、何分か何十分後ぐらいには乗れるようになったので、 できそうだなと。そこで怖くてできなかったら終わりだなと思っていました。

ホワイトガールズプロジェクト時代の伊藤のぞみ選手

▲ホワイトガールズプロジェクトに参加している伊藤のぞみさん(前から3列目)

ねむみえり
そうだったんですね! その体験から、ホワイトガールズプロジェクトに参加しようと決めたんですか?
伊藤のぞみ
そうですね。プロジェクトに入るかどうか迷いもあったのですが、師匠である藪下さんと相談して入ることを決めました。

ガールズケイリンについて詳しくはこちら

現役で看護師を続けながらも、ハードな競輪の練習と両立を

ねむみえり
プロジェクトに入る前に師匠の薮下さんに相談したとのことですが、何か気になる部分が……?
伊藤のぞみ
その時はまだ現役で看護師をしていたので、一緒にプロジェクトに参加する子たちと同じ練習量はできないことが気になっていました。それでも、朝だけ一緒に練習するとか、できないことはないかな、と思い参加することにしました。
ねむみえり
看護師とホワイトガールズプロジェクトを両立させるのは大変だったかと思うのですが、いかがでしたか?

伊藤のぞみ選手

伊藤のぞみ
すごく大変でした。朝4時起きで、5時から競輪場に行って、6時から自転車乗って、1時間か1時間半くらい乗ったら、今度は看護師としての仕事があって、家に帰ったらもう寝るだけという生活をしていました。今では考えられないです(笑)。
ねむみえり
ホワイトガールズプロジェクトに参加した後に、日本競輪選手養成所に入ったかと思うんですが、そもそもこの養成所にはどのように入るんですか?
伊藤のぞみ
まず、一次試験が10月ぐらいにあるんですが、そこで技能試験か適性試験を受けます。私は技能試験を受けたんですが、自転車で規定の距離の走行時間を測定するんです。そこで受かった人は、二次試験が11月ぐらいにあって、学力試験や面接を受けます。それに受かったら、ようやく養成所に入ることができます。
ねむみえり
養成所に入るまでもすごく大変なんですね。
伊藤のぞみ
そうですね。 私は、看護師と両立していた頃は、一次試験には受かったんですが、二次試験で落ちてしまって。なので、もう1回だけチャレンジしてダメだったら諦めようと思って、看護師の仕事を辞めて、養成所に入るための練習に集中しました。

養成所時代

▲日本競輪選手養成所時代の伊藤のぞみさん

その後、無事試験に合格し日本競輪選手養成所に入り、競輪選手としてデビューを果たす伊藤選手。

日本競輪選手養成所について詳しくはこちらをチェック

悔しさの残ったデビュー戦や、まさかの出来事が続く…… それでも、悔しさをバネに努力を諦めなかった

ねむみえり
養成所を卒業されてからの初レースはいかがでしたか?
伊藤のぞみ
やっぱり緊張しましたね。初レースは7月にあって、大体みんな地元でやるんですが、その時は地元の函館競輪場ではガールズのレースがたまたまなかったので、豊橋競輪場でデビュー戦に挑みました。練習の時には結構自信があったんですが、初めて走ったレースは5着で、何もできなかった感覚がありました。2日目は、3着までに入れて決勝に上がれて、決勝もいい位置にいたんですが、優勝をちょっとの差で逃してしまったんです。それが結構悔しかったですね。
伊藤のぞみ
でも、その経験でやる気が出ましたし、やっぱり練習しないと強くなれないなと思って、練習を沢山しよう、という気持ちになりました。地元の競輪場の方とか師匠とか、周りの方に結構支えてもらったので、いい成績を残していきたいなっていう気持ちが、そこで一層強くなりましたね。
ねむみえり
悔しさをやる気に繋げていったんですね。それから今までの選手人生の中で、すごく記憶に残って嬉しかったことや、逆にすごくつらかったことは何ですか?
伊藤のぞみ
嬉しかったのは、今年、地元の函館競輪場で初めて予選で1着になれたことです。優勝はできなかったんですが、地元の方も喜んでくれました。地元以外では予選で1着を取れたことはあったんですが、地元では2着や3着が多かったので、4年目にしてようやく地元で1着を取れたのは嬉しかったです。

伊藤のぞみ選手

ねむみえり
やはり地元で勝つことには特別な嬉しさがあるんですね。
伊藤のぞみ
つらかったのは、やっぱり走れなくなった時期ですね。あまり泣いたりするタイプではないんですが、病気で医者に走れなくなると言われた時は絶望でした。看護師から転職して、デビューして数年でまだ優勝もしてないのに……っていうので、さすがに落ち込みましたね。
ねむみえり
これから、という時に走れなくなるのはつらいですよね。そのつらさはどのように乗り越えましたか?
伊藤のぞみ
私が一生懸命に練習しているのを見ていた周りの選手が、「気が紛れるだろうから、競輪場に話しするだけでも来たらいいよ」って声をかけてくれたのにはすごく助けられました。

元々そこまでネガティブに考える方ではなかったので、周りの人の言葉ももちろんですが、諦めなければなんとかなるんじゃないかなと思ってました。レースには出られなくても、毎日のように競輪場に行って練習をしていましたね。

練習仲間

▲ともに練習をしている仲間たち。左から伊藤のぞみさん、蛯原杏奈さん、堀田萌那さん

ねむみえり
伊藤さんの諦めない姿勢を周りの方がしっかり見てくれていたんですね。
伊藤のぞみ
そうですね、周りの人の言葉や行動に助けられることが多いので、人間関係や環境はすごく大きいなと思います。

諦めないで続けられる理由は、明確な目標と周りの人への恩返し

ねむみえり
お話を聞いていると、デビュー戦の時でも自分の納得のいく結果が出なかったことをバネにしてより練習に励んだり、つらい時期でも諦めなかったり、窮地をチャンスにする力がすごいなと感じています。
伊藤のぞみ
そうですね、負けず嫌いもあるのと、小さい頃から好き勝手やっていたらなんでもできる感じの子だったらしいです。

伊藤のぞみ選手

ねむみえり
小さい頃から、自分の力で掴んでいくタイプだったのかもしれないですね。
伊藤のぞみ
そうかもしれないです、自由人なんで。
ねむみえり
その自由な感覚だからこそ、看護師を辞めて、競輪の選手になる選択ができるのかなと思いました。
伊藤のぞみ
それは結構言われますね。高校の時の同級生とか後輩で、私のそういう行動力を見て、励みになるって言ってくれる方は本当に多いです。新しいことに挑戦したっていう人もいましたね。
ねむみえり
話を聞いていて、諦めないでやり続ける原動力はどこにあるのかなと気になりました。
伊藤のぞみ
やっぱり自分がどうなりたいかっていう目標が明らかになればなるほど、原動力になるんじゃないかなと思います。あとは、私は周りの人にお世話になったので、その人への恩返しという部分もありますね。

「人のために何かしたい」という伊藤選手の今後の目標とは

ねむみえり
今後の目標は何ですか?
伊藤のぞみ
競輪選手としては、やっぱり優勝したいっていう気持ちが一番ですね。選手でいる間に1回は優勝したいし、それが地元なら尚更いいかなと思います。
伊藤のぞみ
私自身としては、選手を辞めたあとはボランティア活動とかをやっていきたいなと考えたりしています。看護師として、人のためになる仕事を選んだのもあって、まだどういうことをしたいっていうのはないんですけど、自分が看護師として何か支援とかできるんじゃないかなって。

伊藤のぞみ選手

ねむみえり
すごく素敵ですね!
伊藤のぞみ
これから先、自分の人生がどういう風に変わっていくかは分からないですが、どうなっても、人のためになる仕事をもう1回したいなっていうのは考えています。
ねむみえり
伊藤さんの考え方や行動は、やりたいことに挑戦したいけど、ちょっと迷っている人の背中を押してくれるように感じます。
伊藤のぞみ
経済面で不安になる部分はあると思いますし、迷うことも多いと思うんですけど、私は自分の思った通りにやってしまって、それで後悔した方がまだ潔いかなと思います。あとは、周りの人を頼るのも1つの手かなとも思いますね。やっぱり見てくれている人は見てくれていて、助言をくれたり、何か行動に起こしてくれたりする人もいるので。

ガールズケイリンの選手たちについて詳しくはこちら

INFORMATION

新ロゴ

伊藤のぞみ選手が活躍するガールズケイリンは2022年7月1日に10周年を迎えました。2023年1月からはロゴマークやユニフォームも一新し、「プロスポーツ競技のまんなかへ」をコンセプトに、ガールズケイリンは更なる飛躍を志し、ファンにとっても、選手にとっても、誰にとってもメジャーな、公正かつ安全な「プロスポーツ競技」であることを目指します。

ガールズケイリンリブランディングについてもっと知りたい人には、情報がまとまっている『ガールズケイリン公式サイト』をチェック!

ガールズケイリンの選手については、個人インタビューが掲載されている『麗しのガールズ』をチェック!

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提供:公益財団法人JKA

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