始まりは浅田真央さん。私の背中を押してくれた愛するフィギュアスケート #PM6時の偏愛図鑑
定時後、PM6:00。お仕事マインドを切り替えて、大好きなあの映画、あの舞台、あのドラマを観る時間が実は一番幸せかもしれない。さまざまな人が偏愛たっぷりに、働く女性に楽しんでほしいエンタメ作品を紹介する連載です。今回はフィギュアスケートの衣装を製作している伊藤聡美さんが「フィギュアスケート」への偏愛を綴ります。
こんにちは! フィギュアスケートの衣装を製作している伊藤聡美と申します。
「フィギュアスケートの衣装屋」と聞くと「ニッチな世界ね……どういう経緯でそうなったの?」と、思いませんか?
実際によく聞かれるのですが、元々はフィギュアスケートのファンでした。服飾について学んでいた学生の時から国内の試合を見に行き、校内では「浅田真央が大好きなモヒカン(当時はモヒカンヘアーでした)」と囁かれ、テレビで放送される試合は欠かさずチェック。
2009年にイギリスの芸大へ留学した際も、エリック・ボンパール杯(フランスで開催された競技会)は勿論見に行きました。
そこから、フィギュアへの愛が募り、紆余曲折を経て今は選手の衣装を製作する立場になりました。
今回はファンに戻った気持ちで、フィギュアスケートの魅力について書かせていただきます
(私が製作した衣装の話は一切出てこないよ!)。
始まりは浅田真央さん
フィギュアファンになったきっかけは、2007年の日米対抗フィギュアスケート大会。そこで演技をしている浅田真央さんをテレビで見て、彼女の演技に感動し、「フィギュアスケートという競技についてもっと知りたい」と思うようになりました。
その時、彼女が演じていたのは映画「ラベンダーの咲く庭で」から「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」。振付はロシアの重鎮、タチアナ・タラソワさん。
鳥をイメージしたペールブルーの衣装に、ふわりと跳ぶジャンプ。ヴァイオリンの旋律と共に羽ばたく鳥のような浅田さん……。
「え……今のは何……一瞬で終わってもうた……。目が、目があああああ……(バルス)」
すでにメディアに大きく取り上げられていた浅田さん。以前からテレビで彼女の演技を見てはいましたが、なぜかこのプログラムに強く心を奪われたのです(今思えば彼女の表現力に惹かれたのでしょう!)。
これをきっかけに、国内の試合はできるだけ現地で観戦し、浅田さんや振付師のタラソワさん、ローリー・ニコルさんのインタビューをチェック。プログラムの考察をするようになりました。
最終的に「浅田真央さんの衣装を作りたい」という夢を持ち、2011年に衣装製作会社に入社。スケート衣装に携わるようになり2015年に独立をして、ありがたいことにスケーターのために衣装を作る仕事を続けています。
残念ながら「浅田真央さんの衣装を作る」という夢はまだかなっていませんが、このままかなわない方がいいのかもしれない。
億が一、夢がかなったら、きっと私は絶命すると思う。
フィギュアスケートの魅力はスポーツと芸術の融合
フィギュアスケートは「アートスポーツ」というジャンルになります。音楽・振付・選手の表現など、アート面(表現力・芸術性)が重要視されるスポーツです。
きらびやかな衣装を身にまとい演じる一方で、空中でのダイナミックなジャンプが炸裂するギャップに魅了されます。
冷静に考えたらあんなに細い刃で体をコントロールしてクルクル滑ったり跳んだりすること自体がヤバイのに、さらに音楽や役を体と表情で表現しなければならない難しいスポーツだと思います。
2つの面を持つ競技ゆえ、旧採点時代から現在に至るまで必ず起きるのが「その採点どないやねん」論争です。
2010年バンクーバー五輪の男子フィギュアでは「4回転重視派vs総合力重視派(4回転なし)」による論争が勃発したほどです。
人間が採点する以上、ジャッジの好き好きになってしまう部分もぶっちゃけあると思うのですが、たとえ不遇の中だとしても懸命に演技をする選手に心打たれ、演技を終えた後のガッツポーズや喜びの涙に観客も思わず号泣してしまうのです。
もちろん、結果も付いてきてくれたらうれしいことこの上なしですが、「記録」が全てではなく「記憶」に残る演技も価値があるのだと、この競技を見ていて思います。
フィギュアスケートを彩る衣装事情
フィギュアスケートでは衣装に注目しているファンも多いのですが、フィギュア業界内でも「点数に直接関係はしないが、氷上の立ち姿は極めて重要」と衣装が重視され、私自身、関係者の方にプレッシャーをかけられることもありました。
お金がかかる競技なので、子ども時代やスポンサーが付いていない選手はお母さんやママ友に衣装を作ってもらうことも珍しくありません。
トップ選手になると衣装屋や有名デザイナーにオーダーをするようになります。海外ですとカロリーナ・コストナーさんがロベルト・カヴァリに、スルヤ・ボナリーさんがクリスチャン・ラクロワにオーダーをしていました。
めちゃ豪華なのでご興味があればぜひ検索してみてください。特にボナリーさんのマタドールをイメージした衣装は本当にすごい。
日本の選手ですと安藤美姫さんがワダエミさんに、小塚崇彦さんがソマルタの廣川玉枝さん、無良崇人さんは小篠ゆまさんに依頼したことがあります。
衣装にも選手の想い、振付師の想い、親御さんの想いがあります。それらを具現化するこの仕事は非常にプレッシャーを感じますが、選手に気に入ってもらえたら……そしてその衣装で素晴らしい演技をしてもらえたらと、毎回想いを込めて製作しています。
……とはいえ、ここでは言えない失敗や失態も散々してきました。選手とは特別契約などもしていないのでシーズン限りで関係が終わってしまうこともあります。
ものすごく悲しい反面、自分の力不足を反省する日々です。
衣装のことをもっと知りたい! 見たい! という方は、私の著書『FIGURE SKATING ART COSTUMES』(KADOKAWA刊)をぜひご覧ください。テレビ画面で見る衣装とはまた違った発見がきっとあるはずです。
独断と偏見で選ぶ、至高のマイベストプログラム
せっかくなのでマイベストプログラムをご紹介します。
「ピョン落ち」「ソチ落ち」の方や「フィギュアには興味がないがここまで読んでしまった」というあなた。ちょっとした時間のお供にいかがでしょうか。
(1)レイチェル・フラット 2011年 全米選手権 SP「エデンの東」
「エデンの東」と言えばミシェル・クワン! いや町田樹だ! と思う方もいるでしょう。
私の「エデンの東」はブロンドヘアーにイエローの衣装が映えるレイチェル・フラットこと社長のプログラムです(キスクラでの堂々っぷりに日本ファンの中で「社長」というあだ名がつきました)。
何といってもイナバウアーからのエモーショナルなステップが美味です。音楽にピッタリと合ったイーグルは何回見ても「うほっ……」となります。振付はローリー・ニコルさん。
レイチェル社長は跳び分けが難しいとされるルッツジャンプが得意な選手で、跳ぶたび解説者がべた褒めしていました。踏切の瞬間に足首が折れないか心配になります。
バンクーバー五輪のSP「sing sing」もお勧めです。彼女の堂々たる演技とアピール、表情にも変化をつける様はまるでミュージカルのようで、見ているこちらも笑顔になります。
(2)ブライアン・ジュベール 2010年 世界選手権 SP「Rise」
2006-07年シーズンの東京で開催された世界選手権、金メダリスト・彫刻美のジュベールさんです。私にとって4回転と言えばジュベ様!
2007年以降、厳格なルール改定で4回転を回避する選手が多い中、4回転を跳び続けたのがジュベ様です。
2010年のバンクーバー五輪では表彰台を期待されていましたが、得意の4回転と他のジャンプでもミスが重なり総合16位という結果に。自国からもバッシングをされた中で迎えた同年の世界選手権でのこの演技と彼の笑顔に嬉し泣きしたファンも多いでしょう。
「変衣装」と名高い個性的な衣装を着ることで有名なジュベ様でしたが、この時の衣装は正統派で、ただのイケメンです。
冒頭のどデカイジャンプと黒グローブでの指差し確認、ちょっとコミカルな振付、演技中にコーチとのガッツポーズ、最後の雄叫び。
ジュベ様の喜ぶ姿。これが見たくて何度も動画を見てしまう。
選手が喜んでいる姿ほどうれしいものはありません。スケートファンで良かった……と思う瞬間でもあります。大好きジュベール!
(3)アリョーナ・サフチェンコ&ブリュノ・マッソ 2018年 平昌オリンピックFS「La Terre vue du ciel」
実は初めて見に行った試合が、2007年の東京世界選手権の男子・ペア・アイスダンスでした。
当時メディアではほぼシングル競技しか取り扱っておらず、「ペア? アイスダンス? そんな競技もあるのか……」と興味本位で見に行った私はペアの演技に度肝を抜かれました。
「えっ……女性が吹っ飛んでいる……とにかく迫力と威力がすごい……!」
スロージャンプの後の着氷の音やツイストリフトの高さ、女性を片手で悠々と持ち上げる男性の筋力。その全てが半端ねー! と。
さらにジャンプもスピンも2人でシンクロさせなければなりません。ハラハラ感が2倍になるため、これはシングルにない面白さです。
その時、私が心惹かれたペアがサフチェンコ&ゾルコビーでした。
当時はゾルコビーとペアを組んでいたサフ子姉さん。数々のタイトルを獲得し記録を更新してきた2人でしたが、唯一持っていないものが五輪の金メダルでした。
バンクーバー五輪3位、ソチ五輪も3位となりゾルコビーは引退を表明。サフ子姉さんも引退かと思いましたがペアを変えて現役続行を決めたのです。
新しいパートナーで再び五輪を目指して、4年間モチベーションを維持し続けるのは物凄い精神力がないとできないことだと思います。
そんな集大成ともいえるプログラムがこの「La Terre vue du ciel」です。音楽はフランスの作曲家アルマンド・アマールさん、振付師はクリストファー・ディーンさん。そして衣装は有名デザイナーのリサ・マッキノンさんです。
最初のポーズ∞(インフィニティ)で心を奪われます。
無限…正にサフ子姉さんの人生を表しているようなプログラム。
何かをつかむ動作と繰り返される同じ振付、宙に浮かぶ最後のポーズまで全ての振付に意味があるように思えて妄想が止まりません。
この演技でSP4位から逆転優勝を果たしました。「可能性は無限大にある」と、勇気を貰える美しいプログラムです。
(4)パーシャ・グリシュク&エフゲニー・プラトフ1998年 長野オリンピックFD「メモリアル・レクイエム」
フィギュアスケートファンの中では王道中の王道といわれるこちらの演技。
ダイナミックなジャンプやリフトが特徴的なペアとは違い、氷上の社交ダンスと言われているアイスダンスは、カップルのドラマティックさやプログラムの物語性を感じることができます。
ジャンプがないぶん、スケーティングのスキルで競うので、振付や音楽との連動性が重要な競技かもしれません。
「アイスダンスを見るときは音がしないスケーティング、2人の距離と足元の近さやエグい傾きをするエッジ(刃)の動き」に注視しろと古参ファンの方に言われたことがあります(笑)。
このプログラムは圧力のある音楽と最初から最後まで目が離せない演技が魅力です。始まりのしゃがんだ姿勢から徐々に顔を上げていくのですが、女性のパーシャさんの衣装にある、どデカイ十字架がゆっくり見えてくる様はまるでラスボスのよう。
(個人的に最初のポーズはかなり重要だと思っていて、選手との衣装フィッティングの時も最初のポーズをお願いすることがあります。興味を引くポーズなのか、あえて普通なのか。また、ジャッジ目線で衣装もどこから見えるのか気になるためです)。
この音楽はジャーンと盛り上がるのではなく、徐々にボルテージを上げていくもので緊張感が画面越しでも伝わってきます。
一つでもミスをしたら観客のテンションががくっと下がってしまう圧迫感の中、演技終盤になると全ての重圧から解放されたかのようにパーシャさんが笑顔でガッツポーズをするところがグッときます。
(5)浅田真央 2010年 世界選手権FS「鐘」
お待たせしました。最後は浅田さんのプログラムです。
好きなプログラムが多いので本当に悩みましたが、私の道を示してくれたプログラムが「鐘」なので、こちらを選びました。
当時イギリスに留学していた私は芸大卒業後、自分の進路に悩んでいました。
「ビザもない、お金もない、パリの某メゾンにも就職できない。日本に帰るしかないが入りたい会社もない」という、どうしようもなく暗い日々があったのですが、そんな時に何度もこの演技を見ました。
重厚感のある音楽に、炎のようなコスチュームと力強い振付は荘厳さと気高さを感じさせ、見終わったあとはなぜか温かい光に包まれたような気持ちになります。
一つ一つの振付が好き過ぎてとにかく考察という名の妄想が止まりません。冒頭の自身を抱えるポーズから両頬叩き、鐘を鳴らすポーズに片手ビールマン……っ(嗚咽)。
一切の妥協を許さないこのプログラムを見て、浅田さんはアスリートでもありダンサーでもありファイターでもあると思いました。
「浅田真央さんの衣装を作りたい!」 と衣装製作会社に入るきっかけとなった、私にとって「挑戦する勇気」を与えてくれたプログラムです。
フィギュアスケートの素晴らしさ、感動、フィギュアの衣装デザイナーを志すきっかけを与えてくれた浅田真央さん、本当にありがとうございます……!
何かを始めるきっかけを与えてくれるフィギュアスケート
フィギュアスケートは氷上で垣間見える選手の人間性、ドラマ性こそがこの競技の最大の魅力かもしれないです。
皆さんも選手の演技からエネルギーを感じ、私のように何かを志すきっかけが見つかるかもしれません。
そして私のフィギュア愛が伝わったら幸甚でございます!!
(文:伊藤聡美、イラスト:谷口菜津子 @nco0707)
※この記事は2020年05月30日に公開されたものです