1976年にすべてがある ウイスキーと酒場の寓話(30) – WirelessWire News

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1976年にすべてがある ウイスキーと酒場の寓話(30)

2020.07.02

Updated by Toshimasa TANABE on July 2, 2020, 21:57 pm JST

まだ酒が飲める年齢ではなかったが、1976年は私にとっては特別な年である。何が特別なのかというと、その後の音楽遍歴に決定的な影響を及ぼすことになる節目の年だからである。ざっと、1976年のアルバムや曲とそれにまつわる話を列挙してみよう。もちろん、1976年にリアルタイムにすべてを聴いたわけではないし、結果的にこれも1976年だったか、というものもある。

■スタッフ 『モントルーでのライブ』とファーストアルバム『Stuff』
1976年の名盤多数なれど、まずは何といってもスタッフである。スタッフのメンバーが参加しているアルバムを買い漁るようになり、その中から素晴らしいミュージシャンに出会ってきたのだ。こういう音楽界の道標的な存在としては、他にはマイルス・デイヴィス(1976年は活動休止中だった)を挙げておきたい。

Stuff1976Live

スタッフは、1970年代の半ばにニューヨークの腕利きのスタジオミュージシャンが集まったバンドである。当時、ミケールズというライブハウスで演奏していたのが評判を呼んでいた。世界にデビューしたのは、1976年夏のモントルー・ジャズ・フェスティバルだった。絶賛されたこのときの様子はビデオに収録されていて、長い間ブート映像しかなかったが、2007年暮れにDVDが正式リリースとなった(写真上。YouTubeにもあるが)。その後にリリースされたトミー・リピューマなどがプロデュースした同年のファーストアルバム『Stuff』(写真下。リーダーのベーシスト、ゴードン・エドワーズのサイン入りLPで家宝である)も愛聴盤であるが、モントルーのライブ映像も何度観てもまったく飽きることがない。

Stuff1st

ドラマーのスティーヴ・ガッドについての稿でも触れたが、私はスタッフを人類史上最高のバンドと位置付けている。その中でも最高のパフォーマンスが1980年の中野サンプラザでのライブであろう(この来日公演を札幌で観たが衝撃だった)。NHK-FMで1時間に編集されて放送されたので、それをラジカセでカセットテープに「エアチェック」した。カセットテープが限界に近付いたので、現在はMP-3に変換して保存してあり、CDに焼いてオーディオシステムでも聴けるようにしてある。このライブも何度聴いたか分からないが、いつも新鮮だし40年前の札幌でのステージが脳裏に甦ってくる。

■カーラ・ブレイ 『Dinner Music』
アルバムを作るときにスタッフのメンバーにリズム隊として参加を依頼する、というのは当時のブームだったらしく、そういったレコードが1970年代にはたくさんある。彼らは、真っ先に声がかかる腕利きスタジオミュージシャンということで、「ファーストコール」と呼ばれていた。そんな中でも面白い1枚が1976年のこれである。カーラ・ブレイ・バンドのホーンがスタッフをバックにというか、むしろスタッフがホーンをフィーチャーしたという趣さえあるスタッフファンには堪らないアルバムだ。

dinnermusic

この他にも1976年のスタッフのメンバーがバックを務める作品としては、ジョー・コッカーの『Stingray』がある。これも大好きな1枚だ。ボーカリストのパティ・オースティンのソロデビューアルバム『End of a Rainbow』も、スタッフのメンバーをはじめとしたファーストコール達が、当時20代半ばの歌姫のデビューをサポートするという1976年の素晴らしいアルバムである。

■ザ・バンド 『The Last Waltz』
映画の公開とアルバム発売は1978年ではあるが、1976年のザ・バンドの解散ライブイベントの記録である。ボブ・ディラン、ニール・ヤング、エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ジョニ・ミッチェルといった豪華なゲストミュージシャンが次々に登場するのだが、何といっても最高なのはドクター・ジョンである。変わった恰好で出てきてピアノの弾き語りで「Such a Night」を歌ったドクターは、たった1曲で他のどのゲストよりも強烈な印象を与えてくれた(これもYouTubeにいくつもある)。まさに「一発でヤラれました」である。以降、ドクターのアルバムはほとんど買ったし愛聴盤も何枚もあるが、ラスト・ワルツに出演していなかったら、いずれは出会っていたとは思うものの、おそらくそれはかなり後になっただろう。ドクターは、惜しくも2019年6月に亡くなってしまった。

■ドゥービー・ブラザース 『Takin' It to the Streets』
当時、同級生と結成していたバンド(ベース担当)で何曲もコピーしたのがドゥービーである。タイロン・ポーターの弾むようなベースは難しかったが、耳でコピーするのは楽しかった。このアルバムは、キーボードとボーカルのマイケル・マクドナルドが加入後の初のアルバムで、これまでの「冬でもTシャツ1枚でコードストローク」といった趣の元気一杯なロックバンドから、洗練されたアダルトなドゥービーへの転機点ともいえるアルバムだ。タイトル曲は、1978年のクインシー・ジョーンズの『Stuff Like That』(スタッフのメンバーがリズム隊で参加)でカバーされている。

■レイナード・スキナード 『One More From The Road』
米国南部のいわゆるサザンロック・バンドであるレイナードのヒット曲を網羅した、最高のライブアルバムである。このバンドも、ドゥービー同様に何曲もコピーした。サザンロックの代表的な存在としては、オールマン・ブラザース・バンドが挙げられる。レイナードとは、ボーカルとともにエレキギターが主役である点が共通だ。オールマンはツインギターだが、レイナードはトリプルギターである。オールマンもコピーしたが、難易度が高いのと曲が長いので、ポップでコピーが比較的容易だったレイナードをたくさんコピーした。飛行機事故で主要メンバーが亡くなってしまったのが非常に残念である。

■イーグルス 『Hotel Carifornia』
当時は、イーグルスのヒット曲を聴いても、名人芸のスタッフなどと比べてしまい多少軽く見ていた、というのが正直なところである。大ヒットしたタイトル曲は、バンドでコピーしていたが。軽く見ていたとはいえ、前作の『呪われた夜』とこの2枚を連続で聴くと、曲が素晴らしいしコーラスなども見事であることがよく分かる。じっくり聴くのももちろん良いが、クルマで高速道路を走るときに抜群のアルバムでもある。ハイウェイを走っていたら涼しい風が車の中に、というような内容の歌詞であるとか、「Life in the Fast Lane」という曲名など、クルマがある日常というものを強く感じさせるのだ。

■レッド・ツェッペリン 『永遠の歌』と『Presence』
『永遠の歌』は、1973年のニューヨークでのライブであるが、1976年に記録映画として公開された。劇場に観に行ったが、ダブルネックのギブソンSGで名曲「天国への階段」を弾く「動くジミー・ペイジ」を初めて観て感激した。1曲目の「Rock'n Roll」はコピーした曲である。『Presence』は、この年に発売されたスタジオ録音のアルバムだ。最後のブルースを除いて、全曲が硬質なロックで素晴らしいのだが、ツェッペリンのスタジオアルバムでは最も売れなかったという。

■ジェフ・ベック 『Wired』
前作の『Blow by Blow』(邦題は「ギター殺人者の凱旋」)に続いてのインストルメント・アルバム。前作も凄かったが、さらに凄いギタープレイが炸裂している。1曲目の「Led Boots」は当時コピーした曲だ。翌年の1977年、ジェフはこのアルバムで共演しているキーボード奏者のヤン・ハマーとの素晴らしいライブアルバム『Jeff Beck with The Jan Hammer Group Live』(邦題は「ライブワイヤー」)を発表する。ちなみにこのライブのベーシストであるフェルナンド・サンダースは、好きなベーシストの一人である。『Blow by Blow』『Wired』『Jeff Beck with The Jan Hammer Group Live』の3枚は、名作多々のジェフ・ベックの一つの頂点といえる時期の3枚だ。

■ローリング・ストーンズ 『Black and Blue』
この年、今も在籍するギタリストのロン・ウッドがストーンズに正式加入し、加入後初の記念すべきアルバムがこれである。ファンキーな「Hot Stuff」、バラードの「Fool to Cry」など多彩な曲が収録されている。

■ジャコ・パストリアス 『Jaco Pastorius』
ジャコのソロデビューアルバム、邦題は「ジャコ・パストリアスの肖像」である。エレキベースという楽器の概念をこの1枚だけで完璧に変えてしまった記念碑的アルバムだ。1曲目のチャーリー・パーカーの「Donna Lee」(ベースとパーカッションだけ)も凄いが、ハーモニクス中心にベースだけで曲を構成している「Portrait of Tracy」が衝撃だった。ベースを弾いていた者の一人としては、衝撃というよりは打ちのめされた感じだった。「Continuum」という曲は、その何ともいえない浮遊感とメロディでジャコならではのオリジナリティ溢れる曲であるが、19歳の頃の作曲だという。結局、サム & デイヴのボーカルが入るファンキーな「Come on, Come over」だけ、かろうじてコピーした。

jaco1st

ジャコはこのアルバムの前後でウェザーリポートに参加することになるが、ジャコがクレジットされている最初のウェザーのアルバムが、1976年の『Black Market』である。ジャコが本領を発揮するのは、翌年の『Heavy Weather』からで、特にこのアルバムの最後の曲である「Havona」のベースは何度聴いても鳥肌が立つ。私にとってジャコは、ベーシストとしての最高峰であり、最も好きなミュージシャンでもある。惜しくも1987年に事故で亡くなっている。

どこかで読んだのだが、ベーシストのインタビュアが「普通はどうやって弾いているか、何を狙っているか、などは大体分かるものだけれど、ジャコのベースはどうやっているかが全然わからない」と質問した。ジャコの答えは「そりゃそうだよ。たいていのベーシストは優秀な生徒だけれど、僕は先生なんだ」というような内容だった。先人を勉強しただけではなくて、オリジナリティで勝負していることに自覚的だったのがよく分かる話である。

■パット・メセニー 『Bright Size Life』
既に巨匠の風格があるパット・メセニーのデビューアルバムがこれである。ベースはジャコ・パストリアス。メセニーとジャコは共に、1976年にソロデビューを果たしているのだ。この年は、ジョニ・ミッチェルの『Hejira』も発売されており、これにもジャコは参加している。メセニーとジャコは、1979年のジョニのライブ『Shadows and Light』でも共演しており、超絶的なバッキングを披露している。2人ともハーモニクスを多用していて、DVDを入手するまでは、どっちがどうやって弾いているのか全く分からないくらいだった。この2人を従えてギターを弾くジョニもまた素晴らしい。

この他にも1976年のアルバムやヒット曲としては、

・スティーヴィー・ワンダー『Songs in the Key of Life』(邦題「キー・オブ・ライフ」)
・ジョージ・ベンソン『Breezin'』
・スタンリー・クラーク『School Days』
・サンタナ『Festival』
・ボストン『Boston』(邦題「幻想飛行」)
・ボズ・スキャッグス『Silk Degrees』
・ダリル・ホール&ジョン・オーツのヒット曲「Sara Smile」

などがある。また、ライブアルバムの傑作としては、この2枚を挙げたい。

・ピーター・フランプトン『Frampton Comes Alive !』
・デイヴ・メイスン『Certified Live』(邦題は「情念ライブ」)

どれも、今でもよく聞くアルバムであり、そのアーティストの代表的な作品といえるものばかりである。最後に挙げておきたい1976年のアルバムが、レインボーというセッションバンドの『Crystal Green』である。

■レインボー 『Crystal Green』
『Crystal Green』は、スタッフのリチャード・ティーの代わりにウィル・ブールウェアというキーボードプレイヤーを据え、サックスのマイケル・ブレッカーなど腕利き達が参加したインストルメント・アルバムである。「もし、リチャード・ティーがいなかったら、という世界を夢想する」といった趣のアルバムだ。

crystalgreen

リズム隊のメンバーは、ギターにエリック・ゲイルとコーネル・デュプリー、ベースはゴードン・エドワーズ、ドラムはスティーヴ・ガッド(ここまでスタッフ)であって、さらにパーカッションでラルフ・マクドナルドが参加している。録音は1976年5月である。前述のように、当時のスタッフはミケールズのライブが評判だったものの、知る人ぞ知るという存在だった。1976年7月にモントルーで世界デビューし、ファーストアルバムを同年リリースするのだが、その前に録音されたこの『Crystal Green』には下記のクレジットがある。

・監修:鯉沼利成
・プロデュース:伊藤八十八、伊藤潔
・レーベル:イーストウインド

まったく、当時の日本の音楽シーンのセンスと勢いには唸らされる(1976年は子門真人の「およげ! たいやきくん」が大ヒットした年だが)。このレインボー名義のアルバムとしては、2002年に『Over Crystal Green』という続編が出ている。プロデューサの伊藤八十八氏のレーベル「Eighty-Eight's」の1枚目のアルバムだ。ガッドとマイケル・ブレッカー、ウィル・ブールウェアだけが共通で、ベースはウィル・リー、トランペットのランディ・ブレッカーやサックスのボブ・バーグが参加している(ブレッカー兄弟のランディは健在だが、マイケルは惜しくも白血病で他界した)。1曲目では、レオン・ラッセルの「A Song for You」をカバーしている。

レオン・ラッセルといえば、上述のジョージ・ベンソンの『Breezin'』に収録されている「This Masquerade」の作者である。また、先に触れたジョー・コッカーの『Stingray』には、「A Song for You」が収録されている。レオンは残念ながら2016年に鬼籍に入ったが、遺作となったアルバム『On a Distant Shore』の最後の曲が、自身の「A Song for You」なのだ。見事な人生の幕引きである。

イーストウィンド・レーベルの1976年のアルバムでは、渡辺貞夫の『I'm Old Fashioned』も忘れてはいけない。ナベサダが、グレイト・ジャズ・トリオ(トニー・ウィリアムス ds、ロン・カーター b、ハンク・ジョーンズ p)をリズム隊にストレートアヘッドなジャズに向き合ったアルバムだ。大ヒットした1978年の『カリフォルニア・シャワー』以降、一気にフュージョン路線に突き進んでいくナベサダであるが、その前の『I'm Old Fashioned』ではビバップのサックス奏者としての実力を遺憾なく発揮している。これもプロデュースは、鯉沼利成氏、伊藤八十八氏、伊藤潔氏である。

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1976年からは外れるが、日本の音楽シーンは1980年代に入っても勢いとセンスがあった。例えば、スタッフのメンバーを中心に結成された「ザ・ガッドギャング」の『Everything You Do』(1986年)である。これは、ファーストアルバムに先行して発売された45rpmの30cmシングルなのだ(45rpmなので高音質)。

gaddgang

A面にリチャード・ティー作のタイトル曲(ティーのボーカル)、B面はボブ・ディラン作の「Waching the River Flow」をインストルメントで、という構成だ。2曲とも、その後に発売になるファーストアルバムに収録される。バリトンサックスのロニー・キューバーは、ジャケットに写真もないしB面だけの参加であって、まだゲスト扱いな感じであるが、その後、レギュラーメンバーになる。

この30㎝シングルは、ニューヨークでの録音ではあるが、プロデューサーは伊藤潔氏だし、マスタリングやジャケットデザイン、ロゴデザインなども日本人が担当している。こんな30cmシングルをCDの前振りとして発売してしまうのだから、当時は面白かった。

ザ・ガッドギャングは、アルバムを3枚(スタジオ2枚、六本木ピットインでのライブ1枚)出して、R&Bの名曲を多数カバーするのだが、ジャズに軸足を置いたウッドベース(ピックアップは付けている)のエディ・ゴメスの参加が特徴的だ。前述の『Everything You Do』のA面のテーマのユニゾンやB面のベースソロを聴くと、メロディ楽器としてのベース、フレットの無いベースを求めていた、ということが感じられる。ほとんどの曲が、ジャズ畑で揉まれてきたゴメスには簡単過ぎたのではないかとも思うが。

スタッフのギタリストであるエリック・ゲイルのソロアルバム『In a Jazz Tradition』は1987年録音だが、プロデューサーは、スイングジャーナルの児山紀芳氏とベーシストのロン・カーターである。児山氏からカーターに「ゲイルをリーダーとするビバップ・セッションを一緒にプロデュースしないか」と持ち掛けたのだという(児山氏は2019年2月に82歳で亡くなった)。

ジャズ畑の腕利きたちが、馴染みの曲(オリジナルも3曲)をリラックスして、多重録音などせずに一堂に会して録音した作品だ。ロン・カーターのライナーノーツを読みながら聴くと、ゲイルがテナーとユニゾンでテーマを弾くと管が2本のように聴こえる、サックスソロのバッキングが名人芸、などの再発見がある。ギターソロはいつもながら素晴らしい。

日本発の素晴らしい企画・プロデュースによるアルバムの話で1976年から少し脱線してしまったが、ザ・ガッドギャングもエリック・ゲイルも、元はといえばスタッフであり1976年につながっているのだ。

ジャコのように夭逝するミュージシャンも多いとはいえ、半世紀以上に渡って現役であり続け、人生を共に歩んでくれているかのようなミュージシャン達には本当に深い感謝しかない。順不同だが、スティーヴ・ガッド、パット・メセニー、キース・ジャレット、ハービー・ハンコック、マイク・マイニエリ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ローリング・ストーンズなど、これまでライブを観たことがあるミュージシャンが今も現役で健在なのは本当に嬉しいし、アルバムが出たら買うことにしている。結果、活動期間の長いミュージシャンのCDをたくさん持つことになる。

そしてこの感覚は、ミュージシャンに限らない話でもある。「この人の現役時代と同じ時代に生きていることが嬉しい、誇らしい」と感じさせる人は、各界に少なからず存在する。例えば競馬であれば、武豊騎手に最もそれを感じる。馬の方はちょっと違って、好きな馬は何頭かいるけれど、現役で走っている期間は短いので、祖父、父、子、孫という世代を跨いだ楽しみ方になる。主人公が人間であるか馬なのかの最大の違いがこの点なのだが、それはまた稿を改めたい。


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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。