「空き家」という悩みが魅力となってまちを再生する – 尾道 – WirelessWire News

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「空き家」は自由だ。悩みが魅力となってまちを再生するまで - 尾道

「空き家」という悩みが魅力となってまちを再生する - 尾道

2018.03.13

Updated by Yu Ohtani on March 13, 2018, 07:00 am JST

※この記事は「小さな組織の未来学」で2015年7月28日に公開されたものを加筆改訂したものです。

「日本遺産尾道」だからこそ、空き家問題はより一層悩ましい

尾道は瀬戸内を代表する風光明媚なまちです。中世以来、尾道と向島の間にある尾道水道(瀬戸内海)に面した港町として栄え、特に近代化の過程で物流の拠点となり、商人たちが明治以降に社寺に寄進すると共に見晴らしの良い山手地区に別荘を構えてきました。こうしてのどかな瀬戸内海と神社仏閣と民家が並び立つ山手地区からなる、尾道独自の豊かな風景が育まれました。2005年には駅前の高層マンション計画を当時の市長と市民らが反対して緑地にし、2007年に全国に先駆けて景観条例を制定するなど、景観の意識の高いまちであり、2015年春には文化庁「日本遺産」の最初の認定地として尾道が選ばれました。

▼数々の映画の舞台にもなった尾道
数々の映画の舞台にもなった尾道

一方で尾道三山の斜面地に立ち並ぶ家々は、その多くが年期の入った木造民家です。補修や改修が行き届いているものは少なく、ものによっては屋根が崩れかかっていたり傾いていたりして、見るからに空き家の物件も多くあります。車はおろかバイクでも入るのが困難な細い路地や階段に面した民家の多くは接道義務を満たしておらず、原則的に建て替えることができません。今ある建物を補修・改修しながら使い続けるしかないけれど、平地に比べて工賃が3倍ほどに跳ね上がるために、傷んでもなかなか手を入れられず、さらに住民の高齢化によって人口が減少しています。その結果、南斜面地の山手地区に建つ民家約1200戸のうち300戸以上が空き家として放置されています。

▼細い路地沿いに建物が立ち並ぶ
細い路地沿いに建物が立ち並ぶ

坂の暮らしと空き家。地域の悩みの種や不便さが、移り住んでくる若者たちには魅力に映る

ところが近年、尾道の空き家に新たな動きが出てきています。千光寺でのお参りを終え、山肌に立ち並ぶ住宅の隙間を縫って迷路のように続く路地を下って行くと、路地の一角からふとパンを焼く香りが漂ってきます。中を覗くと猫の額ほどの小さな「工場」の中で、若い二人の女性が手際よく生地をこねているのが見えます。

▼ネコノテパン工場
ネコノテパン工場

ここは2009年に広さわずか3坪、築80年2階建ての小さな古民家をセルフビルドで改装して始まった「ネコノテパン工場」。ちょうどお昼時で、観光客風の若者たちとすぐとなりに住んでいるおばあちゃんが買いに来ていました。売り場は人一人入るのがやっとの広さなので、お客同士が順番を譲りながら一人ずつ中に入っていきます。小さなお店の前に並んだ小さな椅子に腰掛けて頂いた小ぶりのパンは、どれも焼きたてで芳醇な味わい。一つひとつ丁寧に作られていることが伝わってきます。

パン屋さんの向かいでは、若い夫婦が赤ちゃんを抱っこしながら民家の前の草むしりをしています。奥さんの大槻悠希さんは岡山出身。尾道の美大で学んだ陶芸家で、この民家を改装したアトリエ兼ギャラリー「陶房CONEL」を2012年に始めました。中は漆喰で作られた曲線的な空間で、デザインと施工は当時尾道に住んでいたアーティスト山本晶大氏らと共に自分たちで行ったとのこと。空間と作品とが似合うかわいらしい雰囲気。仙台出身で尾道に移り住んで会社員をしている旦那さんの隆雄さんは「坂の暮らしは不便もあるけれど、一度住むと癖になる楽しさがある」と話します。「陶房CONEL」は現在、育児休暇中。子どもをもつ若い家族もまわりに移住してきていて、子育ても楽しくできそうだといいます。

▼陶房CONELと大槻一家
陶房CONELと大槻一家

さらに坂を下って尾道駅へもどる途中、駅裏に隠れるようにひっそり佇むアパートがあります。「三軒家アパートメント」と名付けられたこの場所は、昭和初期に建ったレトロな風呂なしトイレ共同アパートの10住戸を2009年から徐々に改装し、セルフビルドで生み出されたアトリエ、ギャラリー、カフェ、工房などが入居しています。尾道在住の漫画家つるけんたろうさんらが作った手作りの卓球場「天狗プレイ場」や、空き家から出てきたという昭和感あふれる品々がところ狭しと陳列された部屋もあります。

▼三軒家アパートメント
三軒家アパートメント

▼天狗プレイ場
天狗プレイ場

夕暮れ時、明かりのついた一階の部屋「56cafe」を覗いてみると、若者たちが5人ほど談笑していました。4代目の店主・栗本綾子さんは広島市出身。結婚を機に、面白そうな町だなと直感した尾道に「ポン」と移り住んできたと言います。お客さんはアーティスト、旅人、ゲストハウス起業志望、研究者など、その顔ぶれは様々。そこには古い部室のような、懐かしい居心地の良さがありました。

▼56カフェ
56カフェ

若い移住者が尾道に惹かれる理由とは

なぜ若き移住者たちは尾道を目指すのでしょうか。彼らの話を聞き、その空間や活動を見ていると、次の3点に集約できます。

1. 空き家という手頃で自由な空間

接道がなく、車が入れず、建て替えもできない古い物件は、通常の不動産市場では価値がつきません。しかし一方、自分たちの手で空間づくり・場所づくりをしたいという人たちにとっては絶好のスペースです。古民家といっても重要文化財に指定されるほどのものではなく、用途やスタイルによって自由に改変できます。賃料も安く、交渉次第ではほとんど無償で譲ってもらえる物件もあります。そんな物件では、前の住人の物が放置されていることが多々ありますが、残されたモノを含め、あるものを上手く再利用して空間や家具づくりを楽しむスタイルが尾道にはあります。

▼空き家からでてきた「発掘品」を展示販売している部屋
空き家からでてきた「発掘品」を展示販売している部屋

2. 顔の見えるまちの暮らしやすさ

移住者の人々は、口をそろえて「尾道の暮らしやすさ」を指摘します。若い家族にとっては、高齢化が進んだ地域だからこそ子どもをもつ家族が旧住民からも歓迎され、子育てがやりやすいとのこと。また、新しく店をかまえたり空き家を改修するときも、協力的な住民が多くやりやすいそうです。常に外の人を受け入れてきた港町の基質が、若者の移住にポジティブに働いているのでしょう。高齢者の多い旧住民にとって、若者が入ってくることは、騒音や生活スタイルの違いにより諍いの種になることもあるといいますが、一方で若者たちが粗大ごみを山の麓まで運ぶ手伝いをしたり、重い買い物を手伝ったりということが日常的に行われています。認知症の高齢者の失火に移住者がいち早く気づいて消火したこともあったそうです。移住者と旧住民が互いに「顔が見えている」関係であることで、まちの暮らしやすさが生まれています。

3. 移住者を支えるネットワークとサポート体制

このように魅力的な条件が揃っているとはいえ、見ず知らずの都市に移住するハードルは決して低くありません。旧住民と移住者を繋ぎ、物件探しから定住支援まで移住希望者たちを強力にサポートしているのが2008年に結成された「NPO法人尾道空き家再生プロジェクト」です。会員数は200人を超え、これまでに山手地区を中心に100軒ほどの空き家の再生にかかわり、ゲストハウス事業で地元に雇用を生み出し、大学と連携して尾道の都市・建築研究を行うなど、非常に幅広い活動を行っています。今回紹介した移住者たちも、関わりの大小の違いはあれ、このNPOのネットワークに繋がって活動しています。次回、いかにしてこのNPOの活動が広がっていったのか、その最初のきっかけとなった一人の女性の思いと行動から学ぶことを、お伝えします。

[2018年近況 - 情報提供:吉岡春菜さん(尾道在住)]

・ネコノテパン工場
現在も営業中

・conel
閉店中

・三軒家アパートメント
56cafeは5代目店主に代替わりして営業中。他の部屋も入れ替わりつつ、店舗やアトリエとして利用されている

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大谷 悠(おおたに・ゆう)

NPOライプツィヒ「日本の家」共同代表。ドイツ・ライプツィヒ在住。東京大学新領域創成科学研究科博士課程所属。1984年生まれ。2010年千葉大学工学研究科建築・都市科学専攻修士課程修了。同年渡独。IBA Lausitzにてラオジッツ炭鉱地帯の地域再生に関わる。2011年ライプツィヒの空き家にて仲間とともに「日本の家」を立ち上げる。ポスト成長の時代に人々が都市で楽しく豊かに暮らす方法を、ドイツと日本で研究・実践している。