徳川将軍の食事
徳川将軍の食事は、質素で健康的なものでした。将軍は、
贅沢な食材や珍しい料理を食べることはなく、旬の食材
を使ったシンプルな料理を好みました。
徳川将軍家の食事については、その時代背景や個々の将軍
の好みにより多様であったとされています。
江戸時代を通じて、将軍家の食事は季節の変化を意識した
ものであり、また食事は政治的なメッセージを伝える手段
としても使用されることがありました。
●朝食
朝食は、奥医師の診断が終わると、小姓の再び「モウ」という
触れで準備が始まりました。
将軍の食事は御膳奉行が担当しました。
御膳奉行は若年寄の支配でした。
将軍の食事は基本的には中奥で作られるが、大奥で甘煮や
水貝などが調理して出されることもありました。
奥泊まりの場合は御小座敷(おこざしき)で御台所と一緒
に食事をとりました。
平日は、入浴が終わると夕食となり、御膳番の小納戸が御膳所
より運び、小姓の給仕によって食べました。
将軍の食事は三食とも質素なものでした。
朝から二の膳までつきます。
一の膳には、ご飯、汁物、刺身、酢の物、煮物がありました。
二の膳では、お吸い物と焼き物が提供されました。焼き物は
キスの塩焼きが定番で、キスは縁起の良い魚とされていました。
●昼ご飯
昼ご飯も一の膳と二の膳がついています。
魚はタイやヒラメ、カレイ、カツオなどがつきます。
他にも将軍がご所望する献立も出てきます。
●夕食
夕食は一の膳だけですが、大きな膳を使い、品数がさらに多く
なります。
雁や鶴、鴨などの鳥料理も出ることもあったし、お酒もつきました。
15代将軍・徳川慶喜は、フランスと親交が深く、ポークピカタなど
の豚料理を好みました。
ただし歴代将軍には変食家が多かったようで、アミの塩辛や生姜の
もやしと言ったら、ちょっと首を傾けるようなものを好んで食べる
将軍もいました。
世間を知らないため、食わず嫌いの側面もあったようです。
各国の大名からの献上品が前に上がることもあって、九州の八代みかんや
尾張の鮨などを好む将軍もいました。
ただし、鮨といっても現代のものとは違っていてあゆの麹つけのような
ものです。
こうして見てみると将軍の食事といっても意外と地味な感じですが、
当時の最高級の素材が用意されていたこと間違いありません。
そういう意味では贅沢だったと言えます。
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