2023年12月5日、写真家・映画監督の蜷川実花さんによる“作家史上最大”の展覧会「Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。舞台は、地上45階、総面積約1,500㎡、天井高さ最高15mに至る、虎ノ門ヒルズ「TOKYO NODE GALLERY A/B/C」。夢のように咲き乱れる花々、祈りをもたらす光――都心に出現した“桃源郷”にひとたび足を踏み入れれば、見慣れたはずの日常風景が鮮やかに塗り替えられていく。
見る者の心身を揺さぶるアートを作り出したのは、蜷川さんと宮田裕章教授を核としたクリエイター集団「EiM」。各々の個性を掛け合わせ、“メンバー全員が楽しむ”ことだけを純粋に追い求めた「ウェルビーイングなアート」とは。
蜷川 実花さん
写真家・映画監督
宮田裕章さん
慶應義塾大学医学部教授
2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同分野保健学博士
2025年日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー
Co-Innovation University(仮称) 学長候補
専門はデータサイエンス、科学方法論、Value Co-Creation
データサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をより良くするための貢献を軸に研究活動を行う。
医学領域以外も含む様々な実践に取り組むと同時に、世界経済フォーラムなどの様々なステークホルダーと連携して、新しい社会ビジョンを描く。宮田が共創する社会ビジョンの1つは、いのちを響き合わせて多様な社会を創り、その世界を共に体験する中で一人ひとりが輝くという“共鳴する社会”である。
堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
永遠に挑戦し続けていく
堂上:TOKYO NODEでの開催が決まってからわずか1年、どのように作品を作り上げていったのでしょうか?
蜷川:実は私、この1年で個展を8回くらい開いたんですよ。
宮田:持ち歌が1曲しかないバンドですから、武道館でのライブに向けて曲を作らないといけない。自分を追い込むために、ライブハウスを回り続けていたわけです。演奏技術を上げつつ、ライブハウスごとに新曲を必ず作って。
蜷川:同じ内容の展覧会は絶対にしないぞと決めていました。「写真展」と言っているのに、映像作品を入れたりして(笑)。通常だったら時期的に忙しいからとお断りしていたものも、果敢にすべて受けました。
宮田:例え赤字でもね。
蜷川:ほぼ赤字です。チームのみんなも忙しいけれど、締め切りがあるとやっぱりやらなければいけないので、ディスカッションに次ぐディスカッションで……。「ええっ、来週もあるんですか⁉」とのけぞられながら(笑)。短い期間でものを作る、ミーティングとミーティングの間を繋ぐ、というのをずっと繰り返して、制作したものを集結させていきました。そして恐ろしいことに、この12月23日にも新しい個展がスタートするんです。
堂上:おおっ、この大展覧会が開催中のタイミングで?
蜷川:来年の1月も2月も、4月も開催する予定ですし、ここが終わりじゃないんですよね。「次はどうしようか」と永遠に続いていく。
宮田:これも「Better Co-Being」(人々が互いにつながり合いながらWell-Beingであり続ける状態)と言えるかもしれない(笑)。いや万人にはこの激しさは求めてはいけないな、、、とにかく常に次を見据えながら歩き続けてきましたね。
蜷川:今回の設営をしながら「次の個展はどうしようか」という打ち合わせをずっとしていましたもんね。私、この展覧会は「デビュー戦」だと思っていますから。
宮田:開幕初日の今日が、まさにデビュー。新人です。何でもやります(笑)!
視点ひとつで、世界のきらめきは変わる
堂上:チャレンジし続けるのは、やっぱり楽しいからですか?
蜷川:私も宮田さんも、根っからそういう性格ですよね。好奇心も成長したい欲も、異常にある。本展の取材で幾つか「新たなチャレンジは?」と訊かれたんですけれど、挑戦しかしていません。
堂上:挑戦している人やものを生み出す人は、ウェルビーイング度が高いという調査データがあります。Welluluの取材でも、クリエイターやアーティストの方を追いかけるのがとても楽しいんです。新しいことにトライする姿はめちゃくちゃカッコいい。
宮田:万人がクリエイターでなければいけないわけではありませんが、「今まさに何を選ぶか」という行為自体も、社会との関係を結ぶクリエイションなんですよね。「自分が選んだ生き方そのものが、繋がりを生み出すのだ」と意識しながら一歩を踏み出す。それもある種の挑戦だと思うのです。とても大きな選択もあれば、日常の中での小さな選択もあるでしょう。それは本展の重要なメッセージのひとつでもあって、ささやかに視点を変えてみるだけで、こんなにも美しい世界が広がるんだと気づくことができる。自分ひとりで発見してもいいし、誰かと一緒に見つけてもいい。その行為も普遍的なものに繋がっていくし、その先の生き方に寄り添う“ウェルビーイングな光”になるのではないでしょうか。普段、何気なくスマホで写真を撮るのも気づきのひとつかもしれません。
堂上:日常の中での気づきはとても大切ですね。
蜷川:今回の映像作品では、CGを一切使わず、カメラ1台とiPhoneで撮影しました。ロケ地も桜並木など、全てが誰でも簡単にアクセスできる日常的な風景。皆さんにとって見慣れた場所と言えるかもしれません。
堂上:それでも、蜷川さんのレンズを通すとあれだけカラフルな世界に見えると。
蜷川:私の場合、カメラを構えた時にスイッチが入るんです。普段とは違う世界の見え方になる。撮影は「何か素敵なことはないかな」「面白いことが起きていないかな」と“残しておきたい瞬間”を探す行為。そうすると、いつもの街と何も変わっていないし、私自身も大きく変わったわけではないのに、「世界と向き合う角度をほんのちょっと変えるだけで、こんなに美しい瞬間があるんだ!」と驚くんです。気づかずに通り過ぎていたものの尊さを心から感じられる。そんな驚きを作品から受け取っていただけたらもちろん嬉しいですし、皆さんの生活の中にも手軽に取り入れられる気づきかなと思います。
宮田:あるいはこの展覧会に来て、色々な角度での美しさを一緒に見つけてもらうのもいいですよね。例えば、先ほど申し上げたように「雨の夜の都市」は本当に美しいんですよ。窓についた水滴に映る光、水溜りの中のヘッドライト……それだけでも目を奪われる。雨だ、鬱陶しいなと思うなかでもふとそうした情景に視線を注ぐだけで、世界の見え方が変わるはずです。
哀しい時こそ聴こえるメロディ
堂上:世界の美しさに気づくためには、穏やかな気持ち、言い換えれば「余白」が必要だと思います。忙し過ぎて視野が狭くなっている人々もいる中、どうやって新たな視点を獲得すれば良いのでしょうか。
宮田:自分自身をリセットして余白を作り、心身をうまく整えながらモチベーションを上げていくのは非常に大切です。それに越したことはないけれど、どうしても苦しいときは誰しもあるはず。そんな時だからこそ、また違う視点で世界を見てみるのも忘れてはならないと思います。
蜷川さんと作品を作るきっかけになった「枕草子」も「世界はこんなに輝いているんだ」という視点に溢れていますが、清少納言があの作品を書いた時、彼女は没落した境遇にあるのですよね。清少納言が支えていた中宮定子は非常にハイセンスなサロンの主であったと言われています。春の美しさといえば花であったところを、「曙」――命が停滞した冬から芽吹く季節に移り行く、日の出の一瞬の時間で表現した。枕草子の冒頭の序文は、ハイセンスかつ尖ったサロンの価値観から生まれてきたといえます。しかし「枕草子」の執筆時には中宮定子は既に亡くなり、サロンも解体され、客観的に見れば清少納言は、ある種の絶望の中にあったはずです。
堂上:それでも「世界は美しいんだ」と書き綴った。その想いに共感した人々によって「枕草子」は後世に受け継がれていったのですね。
宮田:1000年の時を経て今に届いていますからね。苦しいときには見方を変えることも大切なんだ、そして、そんな時だからこそ惹かれる美もあるのだと教えてくれます。
蜷川:私も悲しい時にしか聞こえてこないメロディってあると思っていて。とても繊細になっているからこそキャッチできる光もありますし、世界の見え方が全然違ってくる。余白を持つことは素晴らしいし、そうあるべきだとも思います。でも、いっぱいいっぱいだからこそ感じられることもある。沈んでいる自分にしか見えない景色、沁みる曲……それはそれで大切にできたらいいですよね。
宮田:今の自分の眼に映っている景色を写真に撮っておくだけで、後々、当時の心情に立ち返ることもできますよね。もちろん全てをポジティブに変えることはできません。ただ時に悲しみや苦しみ、怒りがエネルギーとなり、新しい視点が生まれることもあります。ままならない自分自身を大切に思い、寄り添うことも重要だと思います。
光に「多様な在り方」を託して
蜷川:生きていれば、理不尽に嫌な思いをすることも、怒らざるを得ないこともあるじゃないですか。私は全てを受け入れるタイプなんです。問題の根本を解析することも大切だけれど、負の状況を受け入れつつ「素晴らしいこと、素敵なことって何だろう」と探していく。もちろん流れに身を任せっぱなしではいけませんが、どうにもならないからこそ出来ることを大切にしたいんです。立ち上がるのすらしんどい時もあるけれど、その瞬間に見える景色もきっとまた美しいし、そこから立ち上がって振り返っても、あの時に感じたもの、見えたものを思い出せますから。
堂上:素晴らしいですね。そのメッセージは、展覧会を締めくくる「Embracing Lights」からも強く感じました。光射す空間に、一瞬一瞬の美しさが凝縮されていて。映像と音が相まって、なんだか応援されている気持ちになったんです。全員がスマホをしまって見入っていたという話がありましたが、本当にあの5分間は、来場者がひとつになって集中しているのを肌で感じました。
宮田:本展という「境界をめぐる旅路」の果てには、光の体験を置くのがいいのではないかと考えたんです。あの作品は光を表現した「未来を考える場所」。未来=その先の繋がりを想う時に、やはり光が重要だと感じたんですね。ただひたすら寄り添ったり、進む道の行方を照らしたり、あるいは共に進んで行ったり、温かく包むものであったり……古今東西、人が未来を想い描く時にそこにあるマテリアルが光だなと。
堂上:光に包まれるような温かさすら感じました。
蜷川:照明監督の上野くんが「こういう光を出したいんだ!」とすごくこだわった光もありましたね。
宮田:今思えば、彼が「こう在りたい光」だったんでしょう。射し込む光とも、寄り添う光とも違う。フワァッと心身を持ち上げてくれるような表現でした。そして、光の在り方はひとつではなく、多様な輝きを内包している。まさに「ウェルビーイングとは何か」という問いへの多様なアプローチでもあります。生きることに対してどう寄り添っていくか。その多様な在り方を、空間全体も含めて体験していただける。「受け入れる」スタイルもあれば「開く」スタイルもあります。チームの在り方そのものも、多様な光の表現に映し出されているのです。
人、社会、未来を照らすウェルビーイングな光
蜷川:「Embracing Lights」が一番、均等な合作と言いますか、メンバー全員の色んな想いが入っています。「俺はこうしたいんだ」「この演出はどうか」と意見が飛び交ってね。全員の熱意がすごかった。
宮田:最後まで「どうすればいいんだ」とみんなで手こずりましたからね。意見を丸ごと反映したわけではありませんが、この作品が完成するには、あのやり取り全てが必要でした。EiMというチームで制作したことによって、光の表現があんなにも膨らんだのですから。
堂上:どんなに強度のあるアートでも、本人だけのエゴになってしまったら、ノットウェルビーイングだと僕は考えていて。やはりみんなを巻き込むことが重要ではないかと思うんです。まさに蜷川さんの「入口を広く」という発想で、色んな人たちを受け入れていく。
宮田:最後の作品における「光との向き合い方」もウェルビーイングに繋がっていますよね。多様でありながら、その先をどう歩いていくのか。個人個人のスタイルはあるし、それはもちろん多様であっていい。人と人を照らす光もあれば、人と社会というコミュニティを照らす光もある。そして人と未来を照らす光へとどうつながるのか?「Better Co-Being」の表現としても解釈できます。人同士がどうあるかというのも多様である。その中で、何を大事にして、どう感じてもらえるか。
堂上:皆さんの考えが結集した「Embracing Lights」は、展覧会のストーリーを締めくくるにふさわしい作品だったのですね。
宮田:ウェルビーイングをどう捉えるかという視点までもが集束されていく作品になりましたね。でも実は、さらに作り込みたくなってしまっていて(笑)。「Embracing Lights」はもっと先を目指せるんじゃないかと思うんです。
蜷川:わかります。まだまだいけますよね。他にも幾つかの作品で「これは手を加えたほうがいいな」など、課題を発見しました。
堂上:それは展示中に変えていくんですか?
宮田:変える作品もありますし、次の展覧会でチャレンジするものもあります。
蜷川:こうして対談することで見えてきた部分もありました。制作中は無意識でも、振り返って言語化することで気づきを得られる。とても面白かったです。
宮田:私も作品の先にある世界が見えてきました。この対談もまたEiMとして、ひとつのクリエイション行為になりましたね。
堂上:お二人から伺った「世界の見つめ方」を実践しながら、僕自身もどんどん周囲を巻き込んで、ウェルビーイングの輪を広げていきたいと思います。本日は素晴らしいお話をありがとうございました。
[前編はこちら]
【蜷川実花氏×宮田教授×堂上研鼎談:前編】都心に現れた“体験型”巨大展覧会!ウェルビーイングなクリエイター集団「EiM」が生み出す、掛け算のアートとは
[当記事に関する編集部日記はこちら]
写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。『ヘルタースケルター』(2012)、『Diner ダイナー』(2019)はじめ長編映画を5作、Netflix オリジナルドラマ『FOLLOWERS』を監督。最新写真集に『花、瞬く光』。クリエイティブチーム「EiM : Eternity in a Moment」の一員としても活動している。
https://mikaninagawa.com
主な個展
「蜷川実花展」台北現代美術館(MOCA Taipei)2016年
「蜷川実花展—虚構と現実の間に—」2018年-2021年(日本の美術館を巡回)
「MIKA NINAGAWA INTO FICTION / REALITY」北京時代美術館2022年
「蜷川実花 瞬く光の庭」東京都庭園美術館2022年