めでたい場面で鏡開きのイメージが強い樽酒。日本酒を樽に詰めることで香りが豊かになり、普通の日本酒とは違った魅力を持つとのこと。香りだけではない、樽酒の秘めたる効果やおいしい飲み方、相性のよい料理など、より樽酒を身近に感じられるかも。今回、樽酒について菊正宗の高尾さんに詳しくお話を伺った。
高尾さん
菊正宗酒造株式会社 総合研究所 課長
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鏡開きのイメージ?通常の日本酒とは一味違う!杉の香り高い樽酒
──本日はよろしくお願いします。樽酒というとやはり鏡開きの印象が強いです。
高尾さん:そうですね、お祝いごとやイベントでのシーンをイメージする人が多いかと思います。
──だと思います!そもそも樽酒とはどのようなものなのでしょうか?
高尾さん:樽酒の一番の特徴は杉の爽やかな香りです。通常の日本酒は、酵母やお米の磨き方、発酵過程などで香味に変化が生じますが、樽酒は杉の香りが加わることでほかの日本酒とは一味違った風味が楽しめます。当社では奈良の吉野杉で作られた四斗樽(72L)にお酒を入れ、杉の香りがしっかりと移ったところで瓶などに移し替えています。実は当社では樽酒だけでなく、杉樽から自社で作っています。
──樽酒に使う木材に杉が用いられる理由があるのでしょうか?
高尾さん:杉樽は江戸時代から輸送や保存容器として使われてきました。硬すぎる木材では加工が難しく、柔らかすぎる木材ではお酒の重さに耐えられません。そのため、適度な硬さと入手のしやすさから杉が使われたと考えられます。また、杉の産地は日本各地にありますが、その中でもとくに吉野杉は香りが良く、お酒との相性も抜群なんです。
──吉野杉のほかにもさまざまな種類の杉で試したりもしたのでしょうか?
高尾さん:もちろん歴史的なつながりもありますが、実際にいろいろな地域の杉で試した結果、吉野杉で造ったものが一番香りがよいことがわかりました。
──そうなのですね!香りが気になります。杉の香りはどのような香りですか?
高尾さん:私の体感では、杉の香りは爽やかで、松のようなヤニっぽさがないので日本酒のよさを邪魔しない、非常に上品でバランスの取れた香りだと思います。杉樽が輸送容器や保存容器として使われていた江戸時代から昭和のはじめくらいまではほとんどすべてのお酒が樽酒だったので、日本酒との相性が悪いはずがありません。
──日本酒の香りと相性がよいのですね。樽酒の香りがお酒につくまでどのくらいの期間がかかるのでしょうか?
高尾さん:大体数日から1週間程度で、これは季節や温度によって変わることもあります。
──香りがついた樽酒をパックや瓶に移し替えても、香りは消えずに残るのでしょうか?
高尾さん:はい、残ります。ただ、ふたを開けたままにすると香りが少し飛んでしまうこともありますが、しっかりと蓋を閉めておけば大丈夫です。また、パックに関しては容器に樽香が吸着されやすいのですが、当社は香り吸着を抑える特殊なパックを使用していますので、しっかりと樽酒の香りを楽しんでいただけます。
──日本酒愛好者の中でも、樽酒をとくに好む方は多いのでしょうか?
高尾さん:樽酒好きの方も多いですね。とくに貯蔵期間が長く、樽の香りが強いものを好む方もいます。たとえば、東京の蕎麦屋さんなどでは樽ごと置いているところもあり、長い時間樽に入れておくことで段々と香りが濃くなるので、タイミングによっては樽香の強い樽酒がいただけます。通の楽しみ方ですね。
──素敵ですね。鏡開きのイメージばかりでしたが、日常的に楽しむ人も多いのですね。
高尾さん:我々としてももっと多くの人に普段から樽酒を楽しんでいただければと思っています。とくに料理との相性を重視して選んでいただけると嬉しいですね。もちろん、お正月などの特別な時にも樽酒はぴったりだと思います。
──このように樽酒がめでたいイメージを持つ背景や歴史があったりするのでしょうか?
高尾さん:そもそもお酒自体が昔からおめでたい席で飲まれてきたという歴史があります。とくに樽酒は、樽を開けるという行為自体が儀式的な意味合いを持ち、それがおめでたい席の雰囲気を一層高める要因になっています。
──そうだったのですね!続いて、樽酒に含まれる成分について教えてください。
高尾さん:樽酒には杉樽由来の成分としておもにセスキテルペン類、ジテルペン類、ノルリグナン類が含まれています。中でもいわゆる樽酒特有の香りのもととなっているのがこのセスキテルペン類です。
──セスキテルペン類以外の成分にはどんな特徴がありますか?
高尾さん:ジテルペン類は香りには寄与しませんが、お酒の品質を劣化させる火落菌に対する抗菌性があることがわかっています。
──樽酒の種類について教えていただけますか?
高尾さん:当社では瓶入りの純米樽酒やパックやカップの樽酒のラインナップがあります。特殊なものではシェリー樽を使った樽酒もあります。これはシェリー酒を作ったあとのオーク樽に大吟醸酒を詰めたものです。
──シェリー樽を使った樽酒というのはまた香りが気になりますね!
高尾さん:通常はウイスキーの熟成に使われることが多いシェリー樽ですが、日本酒を詰めることで、シェリー樽由来の甘い香りと吟醸香があわさったユニークな風味を楽しんでいただけます。
樽酒と合わせて脂っこい食事はスッキリ、旨味はアップ
樽酒は口の中の油の感覚を軽減してくれる
──樽酒と料理との相性について研究をされたとのことですが、その研究について教えていただけますか?
高尾さん:もともと樽酒と鰻の相性がよいと言われており、それを科学的に解明するために研究をおこないました。鰻は脂っこい食材なので、樽酒がその脂っこさを和らげるのではないかという仮説を立てました。
実験では、油脂を多く含む食品としてマヨネーズを使って官能評価を行いました。被験者にマヨネーズを食べてもらい、そのあとに樽詰めする前の清酒または樽酒を飲んでもらい、30秒後に口の中に残る油感を5段階で評価しました。その結果、樽詰め前の清酒よりも樽酒のほうが口の中の油感が軽減される傾向が見られました。
──清酒と樽酒でも差があるのですね。そのメカニズムを教えてください。
高尾さん:私たちの研究で、普通の日本酒に比べて樽酒のほうが油とまざりやすいことがわかっています。お酒と混ざりあうと、油はお酒と一緒に口の中から洗い流されやすくなりますので、口の中がさっぱりします。このメカニズムにより、さきほどの官能評価結果が導き出されたと考えています。
──つまり、樽酒は普通の清酒よりも油と混ざりやすく、口の中をさっぱりさせる効果があったのですね。
高尾さん:そうなんです。鰻などの脂っこい料理を食べる際に、樽酒を飲むことで口の中の脂っこさをリセットし、次の一口を楽しむことができます。このことが鰻と樽酒の相性の良さの一因になっていると考えています。
──脂っこいものを食べるときには樽酒を合わせるとよいのですね。
樽酒は食品の旨味を強く、長く感じさせる
高尾さん:続いて、日本酒は和食と合わせることが多いため、旨味に関する研究もおこないました。被験者に旨味が濃い食品として、アサリの酒蒸しの汁を飲んでもらい、そのあとに樽詰めする前の清酒または樽酒を飲んでもらい、その0秒、5秒、10秒後の旨味の強度を評価してもらいました。結果として、普通のお酒では旨味が下がっていくのに対し、樽酒では旨味が長く強く感じられることがわかりました。
さらに、味認識装置を使って分析しました。これは人間の舌を模したセンサーで、旨味を含むさまざまな味を検出できます。アサリの酒蒸しの汁にセンサーを浸し、そのあとお酒でセンサーを洗浄し、そのあとにも残る旨味の後味を測定しました。その結果、樽酒のほうが旨味の後味が強く残ることが確認されました。
──そのほかの料理でも同じような結果がありましたか?
高尾さん:ウナギの蒲焼やマグロの刺身でも同じ試験をおこなったところ、同様の結果が得られました。とくに魚介類の旨味を強く感じる傾向がありました。また、そばつゆでも同様の結果が得られることが分かりました。蕎麦屋さんでよく樽酒が提供される理由も、魚介類であるかつおのだしを使った蕎麦つゆの旨味を引き立てるためだと考えられます。
──なるほど!蕎麦つゆでも旨味を強くする効果があるんですね。一方で、効果がなかった料理もあるのでしょうか?
高尾さん:醤油やステーキに対しては、樽酒と普通のお酒で大きな差は見られませんでした。これまでの研究により魚介類の旨味を樽酒が強くするということがわかっています。
──どういうメカニズムなのでしょうか?
高尾さん:まだ明確ではありませんが、ポリフェノール類が関与している可能性があります。
樽の香りを感じながら日常的に樽酒を楽しむ方法
──樽酒をより日常的に楽しむために、まずどういった楽しみ方がおすすめですか?
高尾さん:まずは当社で販売しているパックやカップの樽酒から試してみるのがおすすめです。容量が小さく、カップであれば180ミリリットルと、一回で飲みきれるサイズですので、気軽ですし、十分に樽酒の香りを楽しんでいただけます。
──お酒があまり得意でない方におすすめの飲み方はありますか?
高尾さん:そうですね、樽酒はアルコール度数が15%程度と普通の日本酒と同じですが、それでも強いと感じる方もいらっしゃるかと思います。その場合は、樽酒の香りを生かして炭酸で割っていただくのがおすすめです。たとえば、樽酒を炭酸水で1対1で割るとアルコール度数が7〜8%程度になりますので、グッと飲みやすくなると思います。さらに、すだちなどの柑橘類を加えてもいいですね。
──炭酸割り以外にも、おすすめの飲み方はありますか?
高尾さん:ワイングラスで飲むのもおすすめです。おちょこなどの小さな容器だと、容器に鼻が入りませんが、ワイングラスだと、グラス内に鼻が入り、グラス内に溜まった香りをよりしっかりと楽しむことができます。
──ワイングラスで飲むのは意外でした!樽酒を飲む際、おすすめの温度はありますか?
高尾さん:樽酒は冷やして飲むか常温で飲むことが多いですが、少し温めると香りが立ちやすくなり、また違った楽しみ方ができます。ただし、あまり温めすぎると風味が損なわれるので、軽く温める程度がおすすめです。また、温めることで、油を流す効果も強くなりますので、脂っこい料理との相性もさらによくなります。
──自分の好みに合う日本酒や樽酒の見つけ方について、アドバイスをお願いします!
高尾さん:そうですね、日本酒は種類が多いので最初は戸惑うかもしれません。当社では「しぼりたてギンパック」という、比較的甘めでフルーティーな香りが楽しめる商品を出していて、価格も手ごろなので、初心者の方にもおすすめです。樽酒も香りが特徴的で、木の香りが好きな方にはとくにおすすめです。最初はこのような香りが楽しめるものから試していただければと思います。
──日本酒には辛い・甘いがあると思いますが、料理との相性や選び方にコツはありますか?
高尾さん:たとえば、お刺身には甘い日本酒よりも辛口の日本酒が合うと思います。日本酒の甘辛は糖分とアルコールのバランスで決まるのですが、甘い酒は糖分が多く、お刺身の繊細な味を邪魔してしまいます。
味の濃い料理には、甘口のお酒のほうが料理の味に負けないので良いかと思います。温度に関しては基本的には、冷たい料理には冷やした日本酒、温かい料理には燗酒がおすすめです。これを基本に選んでもらえると、失敗が少ないと思います。
──日本酒はどのようなお酒として楽しんだらよいでしょうか?
高尾さん:日本酒は食事を引き立てるパートナーだと考えていますので、食中酒として楽しんでいただければと思います。特に今回取り上げていただいた樽酒は、先ほどお話しした研究結果にも合ったように、脂っこい料理や魚介類など幅広い料理と相性が良いことがわかっています。先ほど出てきた鰻のかば焼きや蕎麦だけでなく、マグロのトロや天ぷら、カルパッチョなど様々な料理と合わせて楽しんでいただきたいです。
──意外な料理や場面での樽酒の楽しみ方でおすすめはありますか?
高尾さん:バーベキューでも樽酒はおすすめです。焼肉や脂っこい料理にも、樽酒はその香りと油を洗い流す効果で負けません。実際、私たちもバーベキューの際に樽酒を持って行くことがあるんですよ。
──バーベキューで樽酒!おもしろそうです。場所を問わず楽しめるんですね。
高尾さん:とくにカップであれば、持ち運びがしやすく、スポーツ観戦やアウトドアでも楽しんでいただけます。当社のカップはPET樹脂と紙でできているため、球場やイベント会場でも使用しやすいので安心して持っていってもらいたいです。
Wellulu編集後記
杉の香りはもちろん、シェリー樽を利用したものなど、香りという点で楽しみの広がりを感じました。樽酒というと飲む機会のないイメージを持っていたものの、予想外に身近な存在で、さらに脂っこい食事との組み合わせや旨味を強く長く感じられる効果など、普段の料理と一緒に楽しむことができるお酒なのだと感じました。
山口大学大学院農学研究科修士課程修了後、菊正宗酒造株式会社入社。樽酒や酵母の研究に従事してきた。博士(生命科学)。