人間が健やかに、そして豊かに生きるためには欠かせない「食」の分野。今回お話を伺ったのは、神楽坂にある日本料理屋『神楽坂 石かわ』店主の石川秀樹さん。なんと半年後まで予約がいっぱいだという『神楽坂 石かわ』は、日本料理界の第一線を走り続けている名店だ。
そんな目覚ましい活躍をしている石川さんだが、過去には苦しい期間もあったのという。そこからどう這い上がり、今に至るのか。そしてその経験は、料理や生き方にどう活きているのか。
多くの縁に恵まれながら、50歳を機に自己を肯定する素晴らしさを知ったと語る石川さんにとっての、心と身体のウェルビーイングとは。『神楽坂 石かわ』をはじめとした石かわグループの料理屋に足繁く通う、宮田教授との対談をお届けする。
石川 秀樹さん
I1Company(アイワンカンパニー)代表/『神楽坂 石かわ』店主
宮田 裕章さん
慶應義塾大学医学部教授/Welluluアドバイザー
2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同分野保健学博士
2025日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー
Co-Innovation University(仮称) 学長候補
専門はデータサイエンス、科学方法論、Value Co-Creation
データサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をより良くするための貢献を軸に研究活動を行う。
医学領域以外も含む様々な実践に取り組むと同時に、世界経済フォーラムなどの様々なステークホルダーと連携して、新しい社会ビジョンを描く。宮田が共創する社会ビジョンの 1 つは、いのちを響き合わせて多様な社会を創り、その世界を共に体験する中で一人ひとりが輝くという“共鳴する社会”である。
料理界の一線で活躍しながらも新しいチャレンジを忘れない
宮田:私は何度も『神楽坂 石かわ』に食事に行かせていただいているのですが、石川さんの料理だけでなく、料理と共にある世界観、そして料理や人々と向き合う姿勢にいつも感動しています。口にした瞬間に誰もが「美味しい!」と思える、それでいて繊細な味わいと美しい世界観がある。この世界観は東京の和食をはじめ、多くの影響を与えてきたし、別分野ではあるけれど私も影響を受けています。
石川:ありがとうございます。宮田先生には本当に昔から来ていただいていて……。
宮田:僕がここ数年の中で1番感動したことのひとつが、石川さんの新しいチャレンジなんですよ。3年くらい前にガラッとこれまでのスタイルを一新されましたよね。
石川:そうですね。僕は毎年同じ季節・時期でも必ず違う料理を考えてお出ししてきていますが、より意識的に変えたところを宮田先生は誰よりも早く、明確に感じ取ってくださいました。その感受性の豊かさには僕もびっくりしました。
宮田:これまでの石川さんのお料理からは、素材の魅力がシャープかつ繊細に引き立つバランスから、甘味と旨味が上品に立ち上がり、食べた瞬間に誰もが「美味しい!」と引きつけられる輝きを感じていました。
一方で、今は上記の世界観に、素材や季節の中から溢れる淡く優しい味わいを引き出し、心が包み込まれるような感覚も加わりました。そうした世界に心を澄ましながら浸ることで、慈愛に満ちるような感覚が広がります。当初はこれまでとは異なる、新しい挑戦に私も驚きました。特にこれまでの成功体験だけでなく、ある種のわかりやすさから離れて、ギアチェンジをするのは、本当に勇気がいることだと思うんです。
宮田:すでに日本料理界の第一線で走り続けている石川さんが、新しいスタイルに挑戦して、そして成功させたことに本当に感動しました。こうした挑戦には何かきっかけがあったのでしょうか。
石川:自分のお店を持って20年、自分自身も歳を重ねていく中で「このままで良いのだろうか」、「もっと良くしていきたい」という想いは常にあるんです。それで「よし、ちょっと変えてみよう」と思ったのが、その3年前のタイミングでした。
本来、コース料理は全ての料理の温度や食感、流れを考えてお客様にお出しするのですが、よりシンプルに、人の意図を感じさせないようなものにしていきたいと思ったんです。
宮田:すごい。石川さんのすごいところは、その世界でトップとして走り続けたまま全部スタイルを変えたというところだと思います。食の分野に限らず、それを成し遂げたアーティストはなかなかいません。
石川:毎回違う料理を作るというトレーニングをしてきているので、20年分の引き出しが溜まっているんです。修業中に覚えた料理は封印しているのですが、それはそれで土台になっているので、それを自分なりの料理に変えてお出しすると、これもまたいいんです。毎年そうやって変えてきたのですが、でもそういったこととは“違う何か”をやりたいという気持ちが出てくるんです。
数年後には、また違う変化を起こしているかもしれないですね。今はそれまでの仕込みをしているところです。今年は改めて各地へ東京にはない食材を探しに行っています。だんだん料理がシンプルになっていくと、やっぱり食材が大事になる。そこにはどうやったら食材の良さを引き出すかっていう隠れた意図はあるんですけど、それを形として主張しすぎないようにしています。
宮田:ご自身の心のままに「これが良い」と思ったことを信じて、その感覚を研ぎ澄ませながら進んで行く姿を見て、すごく感動しましたし、僕自身も身が引き締まる思いでした。お皿を通して石川さんの生きざまが語られていく。もう一段階のチャレンジも楽しみです。
23歳、フリーターから料理の道へ。「2年間毎日辞めたかった」
宮田:石川さんが料理の道に進まれたのは、いつ頃だったのでしょうか?
石川:23歳の時ですね。それまでの僕は勉強もしてこなかったし、定職にも就かずフリーターとして働いていました。「このままじゃダメだな」と思って、近くにあった割烹料理屋に弟子入りしたんです。その頃は中学を出てすぐ弟子入りしている方もいたので、僕と同じ歳なのに7年もの差がありました。料理という実力主義、技術社会の中での7年といったら、もう天と地の差ですよ!
宮田:たしかに……。そんな状況で、石川さんはめげなかったんですか?
石川:修業中の2年間は毎日つらかったし、隙あらば逃げようと思っていました。だって、それまでフラフラしていた若者が突然、1日15〜16時間働くようになったんです。実力もないので、毎日のように怒られるし、同期は同じ歳なのに7年も経験を積んでいるし。
でも徐々に師弟の関係性に惹かれていったんです。当時、板前は会社ではなく親方に所属するという感覚が一般的でした。調理場全体として親方がお金をもらい、親方の采配で弟子たちがお給料をいただく。その代わり、親方がアパートを借りてくれて、無料で住まわせてくれることもよくあった時代です。
宮田:まさに「家族」ですね。
石川:そうですね。僕は親方にご飯を食べさせてもらったり、休みの日には家族の中に入れてもらって一緒に公園に遊びに行ったりしていました。そうすると、「この人を裏切れない!」という気持ちが芽生えてきて、「仕事はつらいけど続けよう」と思うようになりました。
そうするうちに、調理場のオペレーションが楽しくなってきました。いわゆる司令塔の立場です。これは親方ではなくて、2番手の料理人がおこなうんですが、誰にどう指示してどう回すかで、1日の流れが全く変わります。前日に仕入れのFAXを送って、家に帰る時から次の日調理場に行くまでの間に、何十、何百と頭の中でシミュレーションして……。その結果、最後の片付けまでトラブルなく上手くできた時が快感になってくるんです。
宮田:最初にハマったのは料理そのものじゃなかったんですね。
石川:はい。料理の世界に23歳で飛び込んで、料理の楽しさや味にハマっていったのは30歳の頃です。20代後半の時に働いていたお店のご主人は、料理の味には特に厳しい人でした。それはもう、なんとかして追いつかなきゃいけない、必死にやらなきゃだめだという気持ちです。TVや漫画、CDなどは全部実家に送り、タバコもやめ、家には料理の本だけを残しました。
料理の本を見るのも楽しくなって、日本料理以外の見た目の美しさや、繊細さにも惹かれていきました。実際に食べに行って「味」で感動を覚えたのがフランス料理だったんですが、「うわぁ~、美味しい! こんな幸せな感覚になるんだ」と思うのと同時に、「僕が仕事にしているのは、こんなにも素晴らしいことなんだ」と気づいたんです。そこからは料理の「味」の世界にのめり込んでいきました。
宮田:面白いですね。最初から料理の美味しさに惹かれて料理の道に飛び込んだのだと思っていました。
石川:まったくそんなことはありません。23歳までの僕は、食にそれほど興味もありませんでした(笑)。
苦しみを乗り越えた50代。自己受容の先にある他者貢献
宮田:30歳で料理の味に目覚めてから今に至るまでは、どういうご経歴ですか?
石川:30歳で埼玉県にあるビジネスホテルの料理長を経験した後に、師匠の兄弟分の方が新しく新宿に出したお店で副料理長として働きました。その後もご縁があって、八重洲の割烹に移り料理長を務めました。そして自分のお店を開く場所を探していた37歳の時に、今の神楽坂の場所を譲り受けて『神楽坂 石かわ』を始めました。
宮田:石川さんのお話を伺っていると、特に人とのご縁を大切にされているような感じがします。
石川:そうですね。ご縁は切ってしまってはいけないと思うんです。必ずつながっていくものだし、逆に自分がなにか悪いことをしたら必ず自分に返ってくるものだと思っています。だから『神楽坂 石かわ』やグループ店では、引き抜きは絶対にしません。もし良い方がいたとしても、こちらの都合で来ていただいたら、もともと働かれていたお店の方は困ってしまいますから……。
石川:『神楽坂 石かわ』で働きたいと面接に来てくれてくださる方もいますが、ほとんどの場合は採用まで至りません。「どうして今のお店を辞めたいの?」と聞くと、みなさん「スキルアップしたい」「新しいチャレンジをしたい」とおっしゃるんです。けれども、「それは嘘だよね、本当は逃げたいだけでしょ」と話すんです。僕自身がそうだったからわかるんです。つらくても、辞めたくても、その根本は自分自身にあって、自分で解消できなければどんな環境に身を置いても同じです。みんなそういう環境の中で「人」として成長していきます。自分を変えるのは一瞬でできる。だから「今いるところにこそ、あなたの宝があるんだから戻りなさい」と伝えていますね。
「自分のため」を優先して働いたり生きたりしている限り、人間は本質的には幸せにはなれません。心理学の中でアルフレッド・アドラーも言っていますが、人は他者に何かを貢献できて初めて幸せになれるんですよ。とはいえ多くの人にとってそれが難しいのは、絶対的な自己肯定感を満たしてあげられないからなんです。
宮田:石川さんはその境地に達したわけですね。
石川:僕はもともと自己肯定感が極端に低いほうで、ずっと「僕なんか生きている価値がない」と思いながら生きてきました。料理の道に入ってからも、周りの目を気にしながら生きてきて、35歳の時に特に苦しくなって、藁にも縋る思いで斎藤一人さんの『変な人が書いた成功法則』という本を手にしたんです。「こんなに多様な考え方があるんだ!」と感銘を受け、そこから心理学や脳科学、哲学、宗教などをとにかく学びました。でも、いくら学んでも知識ばかり身に付くだけで、やっぱり芯の部分は変わらないんですよね。だから50歳の頃までは、本当に苦しかったです。
宮田:50歳というと、つい10年ほど前のことですよね。
石川:はい。それまではお客様に認めてもらうことで、自分を肯定できるように必死でした。でも、それで自分を肯定できるのは一瞬なんです。「期待を裏切らないようにもっと頑張らなければ……」と次の瞬間には焦りに変わる。社会的自己肯定感に頼っているので、どんどん苦しくなっていくんです。
グルグル考えながら苦し紛れに、あるお寺で「有ること難し、有ること難し(「ありがとう」の原型)」と何千回、何万回と唱えていたんです。そうしたら、ある瞬間にふと腑に落ちたんです。今まで蓄えていたことが下っ腹に落ちてきた感覚でした。「僕はずっと苦しいと思ってきたけど、何がそんなに苦しいんだろう」「五体満足で家も仕事もあって、食べるものに困っていないはずなのに」「ああ、自分で意識せず募らせた不安で、押しつぶされそうになっていただけなんだ」と気づいたんです。
宮田:そこで初めて、本当の意味で自己肯定ができたわけですね。
石川:はい。過去の自分が精神的に死すことで、180度視点が変わりました。それからは過去や未来にとらわれるのではなく、「今」を一生懸命に生きようと思うようになったんです。良い意味で「これでいいんだ」「今の自分で十分」「人にどう思われても良い」と思えるようになってからは、生きるのが本当に楽になりました。顔つきもだいぶ変わって、もう別人です(笑)。
石川:こうして50歳で自己受容できてからは、本当の意味で他者に目を向けられるようになりました。自分が満たされて初めて、ただシンプルに、素直に、相手のために何かできるようになったんです。
結局、心が大事なんです。心によって身体も変化するし、社会との関わり方も変わります。自分を満たしてあげることができれば、他者や社会とも良い関係が築けるのではないでしょうか。
宮田:見返りを求めず、他者貢献をする。石川さんのお話は、まさにウェルビーイングの真髄な気がしますね。長い間ご自分と向き合ってきてこられたからこそ、行き着いた境地だと思います。
もちろん、切磋琢磨したり緊張感を持って学ぶという上では、他者評価が重要になる場面もあります。しかし、それを気にしすぎてしまうと幸せにはなれません。他者を基準に自分自身の豊かさを求めてしまうと、キリがないんですよね。
たとえば、どれだけ地位を得た人でも、上には上がいることを知って絶望したり、転落するかもしれない恐怖を抱え続けることになります。だからこそ、その時に自分自身の評価軸を持ち、その中で何ができるかと考えることが大切です。とはいえ、頭ではわかっていてもできない人が多いですから、石川さんは本当にすごいなと思います。それは作る料理にも反映されたのでしょうか?
石川:きっと反映されていると思います。それまでは頭で考えて考えてお客様に料理をお出しして、それでもお客様の表情が曇っていると「まずかったのかな……」「挨拶に行くの嫌だな」なんて思っていたのですが、お客様にはお客様の事情があります。
もしかしたら家で何かあったのかもしれないし、仕事が大変なのかもしれません。人の心の中は、僕がわざわざ探るべきではないんです。そのことに気づいてからは、「自分が美味しいと思ったものを、最高の状態でお出しする」ということだけに、全力を注ぐことにしました。実際にお客様がどう思うか、料理から何を感じるかまでは、決して覗きません。
宮田:そうですね。確かに精神医学の中でも、心の中を覗くのが必ずしも良いことだとは限らないといわれています。逆に覗くことで傷が深まってしまうこともあります。そういった意味では、他者の心を覗くというより、自分がどう貢献できるかをまず考えるというのが、素敵なあり方ですよね。
ありのままを受け入れることで、その人の個性を輝かせることができる
石川:僕はそんな感じで暗い人生を送ってきたので、今お店で働いてくれている子たちに対しても、できるだけそのままを受け入れてあげたいと思って接しています。彼らも色々悩んだり、時に落ち込んだりしていますが、誰にでもそういう経験はあるんです。
たとえば2〜3カ月引きこもってしまっていても、出てこられないなら出てこられないで良いんです。大切なのは、「今の自分で良いんだよ」「苦しく思わなくて良いんだよ」と伝えてあげること。だって、生まれたての赤ちゃんはほとんど何もできないけど、価値がないかというと、そんなことはないじゃないですか! 何もできなくったって、そのままで価値があるってことをちゃんと伝えて、見守る人がいるということが、人には1番大事なんです。
宮田:素晴らしいお考えですね。しかも、石川さんの料理からはそれが伝わってくるんです。本当に慈悲深いというか、繊細な優しさが溢れてきて、包みこまれるような感覚になります。ギアチェンジされる前から石川さんのお料理からは幸せを常に感じていたのですが、今はより深い領域で目の前のお客様の「美味しい!」を引き出しているような感じです。
だから、心の豊かさや深さを感じるウェルビーイングという視点で考えると、まず石川さんが思い浮かぶんです。今お話ししていただいた、石川さんの料理や人への向き合い方や心の豊かさというのは、料理にもシンクロしていますよね。
石川:ありがとうございます。料理そのものだけでなく、料理を作る工程にもきっと出てると思います。たとえば、『神楽坂 石かわ』では、焼き場、炊事、お造り、デザート……というふうに本場が分かれていて、それぞれ別の料理人が担当します。とはいえ、すべて「『神楽坂 石かわ』の料理」として提供されますから、店主である僕の評価に直結するわけです。
昔は一品一品に大丈夫かな、ちゃんとできているかなと疑念が湧いていました。だから「もっとこうしろ」「この味じゃダメだ」という気持ちが強かったんです。でも自分が変わってからは、そういうことがなくなりました。料理人それぞれが真剣に向き合って仕上げた料理に対して、「責任は僕が負うから、全力で君が美味しいと思える料理を作りなさい」と言えるようになったんです。そこからは、チームの底力も上がったと思います。
宮田:信頼している石川さんに認められることで、さらに力を発揮するのでしょうね。石かわグループの圧倒的な強みは、みんながそれぞれ個性を持ちながらもしっかり育っていることだと思います。個として秀でているクリエイターやアーティストの方はたくさんいらっしゃいますが、石かわグループのように個としても、コミュニティとしても、素晴らしいケースはなかなかありません。
僕も石かわグループのさまざまな店舗に行かせていただいているのですが、それぞれ本当に個性が素晴らしくて……。たとえば『虎白』は華やかで派手さもありつつ、『神楽坂 石かわ』が持つきめ細やかさや、美しさもある完成度の高い料理を提供されていて、圧倒されます。
それぞれの店舗でお弟子さんたちが個性を発揮しながら影響を受け合っている……コミュニティという面から見ても素晴らしい関係性を築いているように見えるのですが、石川さんは各店舗のディレクションにも関わられているんですよね?
石川:そう言っていただけるのはすごく嬉しいです。石かわグループとしては『神楽坂 石かわ』の他に現在8店舗のお店を展開していて、それぞれ開業する時には僕がコンセプト決めなどのディレクションをしています。
宮田:料理界では師弟関係にありつつも、みなさんの関係性は明確なピラミッドではなくて、フラットに接していらっしゃるのが、なんて素敵なコミュニティなのだろうかと思っています。一人ひとりの料理人の顔が見えて、個性がありながらも人が育つというのは、石川さんの50歳の時の変化が効いているのかもしれないですね。
石川:そうかもしれません。元来、人間というのはそれぞれの役割があって、上下関係のないものだと思っています。
お店の立ち上げでは僕がディレクションをしますが、店主となる人ありきなんです。たとえば『NK』というイノベーティブな店舗の店主である角谷は、当初シンプルな日本料理を作っていました。でも僕からすると、角谷には天才肌なところが見えていたので、「なんかカクちゃんらしくないね」「日本料理のジャンルに囚われず、好きなことをやってみたら?」なんて言ってみたら、僕には考えつかないような料理を作ってきたんです。「まるでテーマパークのようなお店」というコンセプトにして、音楽や顧客体験にもこだわって、今では「カク・ランド」として面白いお店をやっています。
宮田:『NK』は石かわグループの中でも客層が若く、少し違う感じがしますよね。その違いもすごく楽しいです。
石川:普段から各人の持ち場のことは、指示を待つのではなく一つひとつ自分で考えて改善してもらいたいと思っています。特に店主としてデビューする人には、方向性は示すものの、手取り足取りこうゆう料理にしろということはしません。ただ半年の間は必ず「毎日1食、自分が作った料理を僕と一緒に食べる」というトレーニングを課しています。こうして、自分で考えることを大切にした職場を作ってきたんです。だから、それぞれのお店をオープンして店主になっても、そのまま自分で考えて素晴らしいものを作ってくれているのだと思います。
宮田:料理人の方それぞれの考え方や個性がある中で、フォーマットを決めすぎてしまうと、場合によっては個性を潰してしまいかねませんからね。それぞれの個性を活かしながら全体を整えていく、本当に素晴らしいお考えです。
石川:それにオープンした後は、僕は一切関わりません。一国一城の主として店主が全責任を持つという方針です。各店に顔を出すのはトイレを借りる時くらい(笑)。そういう放任主義のような部分も、店の個性を伸ばすことにつながっています。
宮田:そうなんですか! 行ってしまうと、口を出してしまいたくなるからですか?
石川:それもありますし、僕自身の料理にも影響が出てしまうからです。料理を考える時に、「あそこでこの食材使っているよな」「だったら別の方向性にしたほうが良いかな」など、あれこれ考えたくないんです。僕は僕で、自分のお店を突き詰めたいと思っているので……。
宮田:素晴らしいです! それぞれのお店の個性が際立っているのは、石川さんに他者を容認するお考えがあるからなのでしょうね。
石川:それから、石かわグループでは共通して売上目標を立てていません。売上目標を立ててしまうと、「今月の目標を達成できていないから、高いワインを出そうかな」と思ってしまったり、アルコールを飲まないお客様に対して少なからずネガティブな気持ちを抱いてしまったりするはずです。それは、「とにかく良いものを提供したい」「お客様に喜んでもらいたい」という考えには反しますよね。
宮田:なるほど……。だからこそ、それぞれのお店の店主さんも純粋な気持ちでお客様と向き合うことができ、さらに素晴らしい料理がどんどん生まれるんですね。
料理は、建築と並んで世界に誇れる日本のクリエイティブのひとつです。ただ、石川さんのように個として秀でつつ、素晴らしいコミュニティを作り上げている方はなかなかいません。そこにはやはり、人と人とのつながり、そして多様な豊かさを支えることの大切さがあると思うんです。
今日の石川さんのお話は、部下を持つ上司や、経営者の方にとってもものすごく参考になるお話だったと思います。
石川:ありがとうございます。
宮田:今日は本当に勉強になるお話をたくさん伺えたのですが、最後に石川さんご自身が「楽しいな」「幸せだな」と、いわゆるウェルビーイングを感じる瞬間を教えてください。
石川:妻とたわいもないことを話している時間ですね! じつは、今までは「そんな時間に意味があるのか」とか、「生きているからには成果を生み出さなきゃ」「成長しなきゃ」と思っていました。
でも還暦を控えて人生の折り返しを迎え、改めて思ったんです。仕事して、ご飯を食べて、排泄して、寝て……という人生の後には、何も残らないんですよね。そう思うと、「今」の時間を心から楽しみたいと思うようになり、妻と小学生みたいなことを言い合ったり、ゴロゴロお昼寝したり……。意味があるのかといえばないけれど、そんな時間を幸せだと感じられることが人としてとても大切だと感じます。
宮田:素晴らしいです……! 「食べる幸せ」には共鳴もあると良いですよね。特に石川さんのように料理を作る方からすると、一人で食べているとぐるぐる考えてしまうこともありそうです。
大切な人と一緒に美味しいご飯を食べる、たわいない時間を過ごす。なんてことない幸せのように思いますが、これまでさまざまなことを経験し、自分との対話を繰り返して、乗り越えてきた石川さんだからこそ、辿り着いた答えなのでしょうね。本当に、本日は貴重なお話をありがとうございました!
石川:こちらこそ、ありがとうございました! またお店でお待ちしています!
新潟県生まれ。23歳の時に料理の世界に飛び込み、2003年に独立して『神楽坂 石かわ』を開業。2008年に現在地に移転し、日本を代表する和食の名店として名声を得ている。現在は『虎白』『蓮三四七』『NK』などを含めた計9店舗を石かわグループとして運営。それぞれの店舗のディレクションにも携わっている。
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