数奇な一生を送ったメディア議員・池崎忠孝 『池崎忠孝の明暗 教養主義者の大衆政治』佐藤卓己著 Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)

2024年11月28日(木)

近現代史ブックレビュー

2023年8月18日

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載「近現代史ブックレビュー」はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
池崎忠孝の明暗 教養主義者の大衆政治
佐藤卓己
創元社 2970円(税込)

 一般にはあまり知られていないことかもしれないが、近代日本の議会政治・国会議員の特色として、メディア出身の議員が極めて多いということがある。そして、この点を本格的に研究する人がほとんどいなかったのだが、これを先駆的に研究したのが著者である(編著『近代日本のメディア議員<政治のメディア化>の歴史社会学』<創元社>)。

 その成果をもとに、近代日本のメディア議員のうち原敬・石橋湛山ら著名な人物ではない、今日一般には知られていない多くのメディア議員を対象にした評伝シリーズの第1回配本が本書である。

 池崎忠孝は岡山県の出身で六高、東京帝国大学独法科を卒業、元来政治家を目指していたが、夏目漱石の門下生・赤木桁平としてまず知られた。折から、近松秋江の『別れたる妻に送る手紙』などの「情痴文学盛行」を前に遊蕩文学撲滅論を唱えて論争を巻き起こす。

 大学卒業後の1917年『萬朝報』に入社し、ジャーナリストとして社会生活を出発したが、翌年退職。大阪で養子先の家業であったメリヤス業を継ぎ、歌人で住友本社総務部長の川田順ら関西財界人と親しくなった。

 29年に日米戦争日本必勝論ともいうべき『米国怖るゝに足らず』を出版、ベストセラーとなる。以降、日米戦争論を主とする著作活動を行い、いずれもベストセラー的によく読まれた。36年には大阪時事新報に入社したが、同年第19回衆議院議員総選挙で当選、国会議員となった。

 メディア議員は36年第19回衆議院議員総選挙で33.9%、37年第20回衆議院議員総選挙では34.1%と最盛期を迎えた。

 37年第一次近衛文麿内閣で文部参与官となり、文部大臣木戸幸一と親交が始まるが、むしろ木戸の大臣退任後関係は深まった。「木戸内府の情報参謀」という。

 45年12月、A級戦犯の容疑で巣鴨拘置所に勾留。後に病気のため釈放、公職追放となり、49年死去。文学者、ジャーナリスト、実業家、政治家、A級戦犯容疑者と数奇な一生であった。


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