夏の大会が終わると、3年生の公式戦出場はなくなる。全国選手権大会の上位校が出場する国体のみ3年生が出場できるが、基本は「夏」に敗れた時点で、1、2年生で構成する新チームに移行する。
春との大きな違いは、勝ち進めば11月にある全国規模の明治神宮大会に出場でき、さらには戦績などが翌春の選抜大会の重要な選考資料となる点だ。
大会は夏休み中の8月から始まる都道府県もあるが、おおむね「秋」に開催される。
記念大会以外の例年の選抜出場校数は32で、この秋の戦いぶりが評価の対象となる。2024年の96回大会から一般枠29、神宮大会枠1、21世紀2枠となる。21世紀枠が一つ減って「2」になるのは2007年以来。これにあわせて、地区ごとの出場枠は、東北が1増えて3に、東海も1増えて3、中国・四国は5だった枠が中国2、四国2となり、1枠減ることになった。一般枠は全国9地区と東京の優勝校(明治神宮大会出場校)は確定といっていい。残り19校は各地区に割り当てられている選考枠で決まる。関東・東京で「6」で、関東4、東京1を選んだ後、両地区の戦力比較も加味されて残り1枠が決まる。21世紀枠は、都道府県高野連からの推薦校が対象。県大会ベスト16(加盟校が多いとベスト32)以上などに加え、学業との両立や困難な環境の克服など勝敗以外の条件も設けられているのが特色だ。
東京の明治神宮と日本学生野球協会が主催し、明治神宮野球場で例年11月に行われている大会。
新チームとなって臨む初の全国大会。
全国を10地区(北海道、東北、関東、東京、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州)に分け、各秋季大会を勝ち抜いた10校が集う。
例年、夏の選手権大会後は高校3年生が引退するため、新チームとなって臨む初の全国大会で、秋の日本一を決める大会となっている。
1970(昭和45)年に明治神宮鎮座50年を記念して奉納試合として第1回大会が大学の部で行われた。高校の部は73年の第4回大会からスタートしている。
2003年の選抜大会から、この大会で優勝した学校が所属する地区に「神宮大会枠」として選抜出場の「1枠」が設けられることになった。最初に枠を得たのは02年の神宮大会で中京(岐阜)が優勝した東海地区。20年はコロナの影響で中止となった。22年の大阪桐蔭が史上初めての2連覇を遂げた。23年の選抜大会まで、北信越、中国の両地区以外は神宮枠を獲得している。
試合はトーナメント方式の9イニング制。11年から同点で延長に入った場合はタイブレーク方式が採用されている。
春休みに阪神甲子園球場で開かれる高校野球の全国大会。
「春はセンバツから」と言われ、年度替わりと重なり、新シーズン到来を告げる日本の風物詩として親しまれている。
夏の選手権大会が1度負けると終わるトーナメント方式に対し、前年の秋季大会で敗れてもさまざまな基準に照らして選考されるのが特徴。例年1月下旬に「選考委員会」が開かれ、出場校が決まる。
大会は夏の大会から9年遅れた1924年、愛知の山本球場で始まった。甲子園が会場となったのは翌年から。大会数が夏より10大会少なくカウントされるようになったのは戦後。夏は46年から再開したのに対し、春は翌47年からだった。このため、5年ごとの記念大会が同一年に重なるようになった。なお、「記念」の位置が微妙に異なっており、夏は「第100回全国高校野球選手権記念大会」。春は「第90回記念選抜高校野球大会」。
第55回大会(83年)から記念大会をのぞいて現在の32校が選出されるようになった。一般選考29、21世紀枠2。神宮大会枠1。一般選考には前年秋の公式戦「明治神宮大会」を制した高校が属する地区に神宮大会枠1が割り当てられる。
春は地区大会までで、それに続く全国規模の大会はない。球児たちは冬の間のトレーニングの成果を試したり、1年生とコミュニケーションを図ったりしつつ、全国大会へと続く夏へ向け、練習に励むことになる。
プロ野球にオフシーズンがあるように、高校野球にも試合をせず、主に練習の期間にあてる「アウトオブシーズン」と呼ばれる期間がある。12月1日から翌年3月の第1金曜日までだ。
各地の春の大会もこの日程以降に組まれる。もっとも、雪や寒さが残っている地域もあり、例えば東北地方などは4月下旬ごろから始まるのが恒例。桜前線と同じように高校野球の公式戦も、南から北へ北上していくイメージだ。9ブロックに分かれた地区大会も、例年九州が一番早くて4月に始まり、東北や北信越は6月に入って行われることが多い。
ちなみに1年生は、当然ながら4月に入学して以降、野球部員として部員登録がなされてから出場が可能となる。なので、もしも3月中に負けてしまった場合は、残念ながら最短の「春デビュー」はなくなってしまう格好だ。
「夏の高校野球」として、広く親しまれている。
チャンピオンシップと訳され、文字通り、「その年の高校野球部の日本一を決める大会」
大会は大きく「郷土の代表」を決める地方大会と、代表校が甲子園で戦う全国大会に分かれる。
1915年に大阪の豊中グラウンドで第1回の全国大会が行われた。会場が高校野球の代名詞となった「甲子園」こと阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)になったのは第10回大会(1924年)から。
以来、戦争で中断はあったものの、球児たちの野球にかける情熱は受け継がれ、2018年には第100回大会が開かれた。
第60回大会(1978年)以降は都道府県ごとに49代表(北海道は南北、東京は東西の2代表)が集う現在の形になった。5年ごとの記念大会では代表校が増えることもあり、第100回は、史上最多の56代表(北海道、東京のほか、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡が2代表)だった。
大会は朝日新聞社と日本高校野球連盟が主催し、地方大会からトーナメント方式で、甲子園大会優勝校のみが1度も負けることなく「全国制覇」を遂げるというシンプルな形。優勝旗は紅色で、「深紅の大優勝旗」と呼ばれる。これに対し、春に開催される選抜大会の優勝旗は紫色で、「紫紺の大優勝旗」と呼ばれる。
選考が夏の甲子園大会の成績に基づいていることから、通常、夏で引退する高校3年生が花道的に出場する。
甲子園での真剣勝負や、その後の高校日本代表でチームメートになるなどして育んだ友情を同窓会的に分かち合う場でもある。
毎年、秋季の国民体育大会に行われている。国体開催年度の夏の甲子園大会出場校から選出されたチームと、開催県の代表チームが出場する。甲子園で準々決勝に進んだ8校など計12チームが通例だったが、2022年から3連戦を避けるなどの目的で全8チームに減った。選考委員会は日本高校野球連盟の会長が委員長を務め、夏の選手権大会期間中に出場校が発表になる。
古くは正式競技だったが、近年は都道府県対抗の得点対象にはならない特別競技として実施されている。選考が夏の甲子園大会の成績に基づいていることから、通常、夏で引退する高校3年生が花道的に出場する。甲子園での真剣勝負や、その後の高校日本代表でチームメートになるなどして育んだ友情を同窓会的に分かち合う場でもある。その意味で、夏の全国選手権、春の選抜、秋の明治神宮の「高校野球3大大会」と様相を異にする。まれに全国的な大会として「高校4冠」の一つにカウントされる。この4大会を同一メンバーが主力となってすべて制したのは、1997~98年の松坂大輔擁する横浜高校。
試合はトーナメント方式の9イニング制で、2013年の東京国体から同点の場合はタイブレーク方式で勝敗を決定している。
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