記憶の中のフィンランド

記憶の中のフィンランド

フィンランド留学時代の記憶を元に。アフィリエイトでガッポガポ作戦。

弾む心、弾む私

 

お世話になります。

う〜しま〜です。

 

 

夏は気分が上がりますね。もう超アゲアゲですね!!

 

 

muikkuを食べたり。

フィンランド人にこよなく愛される魚muikku

(muikkuは一応*脂鰭があるので、分類上はヤマメとかシシャモに近い種かもしれない。モトコクチマスという和名が付けられているので、ヤマメとかニジマスをイメージした方がいいのかもしれないけど、味はちょっと違う)

 

Koitelinkoskiに行ったり。

(KoitelinkoskiはOuluを代表する景勝地。綺麗でしょ?)

Koitelinkoski

 

 

サウナに入って、夕焼けを見たり。

サウナの外のベランダからの風景と思われる写真

 

 

サルミアッキウォッカを飲んだり。

やっぱりサウナの後はサルミアッキウォッカだよね



 

 

でも、ノルウェーから帰ってきた私は身も心も.......

 

 

 

 

 

 

 

 

......ベルゲン・ロスで沈んでいるかと思いきや、弾んでいた。それはもう『ゴムゴムの実』を食べて最終形態になったときくらい、弾んでいた。主に物理的な意味で。

 

人々の身と心が弾む場所

人々の身と心が弾む場所。

サウナ、銭湯、西川の敷布団に並ぶ、人間の至高の発明品。

それがトランポリンである。

 

 

そして、その至高の発明品の上で私も弾んでいた。

サウナや銭湯や睡眠と同様に、意外と体力を使う。ただ、ポヨンポヨン跳ねているだけなのに。

 

もし、ポヨンポヨンの体をしていたら、もっといろんな意味でポヨンポヨンを楽しめたかもしれない。

 

トランポリンの上では、ちょっと疲れて横になっていても、他の人が横で跳ねているせいで、それはそれで姿勢維持のために体力を使う。なんだ、この面白遊具は。

 

圧倒的に楽しい。

 

 

 

そもそも、なぜトランポリンをやっているのか?

 

トランポリンに寝っ転がって見える5月末の景色

 

きっかけは、高校生の友人に「私のホストファミリーの家に来ませんか?」と誘ってもらえたことだ。私は基本的に何も考えていないので、二つ返事でホイホイついて行った。ホストファミリーというものを見たことなかったから、それについても興味あった。誘われて、興味があるなら、行くだけの話である。

 

 

家に行ってみて、ホストマザーの人と会って、びっくりした。

なんだか、本当のお母さんみたいだった。すごい、その友達のお母さん感がすごい。

ホストファミリーってすごいんやな、と感動した。すごいという言葉しか出てこない。

 

 

友達に「遊んでく?」と言われたので、お庭へゴー!

 

卓球台やらトランポリンやらがある。

フィンランドでは、トランポリンはよく見るけど、卓球台もあるんだな〜と呑気に思いつつ、卓球は日本でも普通にできるので、やはりトランポリンの方に足がむく。

 

というわけで、みんなでぴょんぴょん跳ねて、わ〜わ〜騒いで楽しんだ。

 

 

そこに、新規参入者が現れるまでは....。

 

 

ややしばらくして、我々の前に、2人の金髪ボーイが現れたのだ!!

 

 

その頃には、ジャンプに疲れていたので、トランポリンからは退散していた。...いや、彼らを前に、自然とトランポリンの場所を空けてしまったのかもしれない。

 

彼らは徐にトランポリンに入ると、ヒュンヒュンとジャンプを始めて、みるみる間にジャンプの高さを上げていき、宙返りやバク宙を繰り出した。

 

 

なんだ、このバケモノたちは....!?

 

 

もちろん、この家の住人、

アクロバティック・ホストブラザーたちである。

 

 

ひえ〜と思いながら、ひえ〜と思ってしまった。

私も家にトランポリンがあれば、こんなふうに跳べるのだろうか。

 

うん、きっとそうに決まってる。

将来、自分の家にこのサイズのトランポリンを設置しよう、と心に野望を抱いた瞬間だった。

35歳くらいから修行を始めようと思う。

 

 

 

これが、ちょっと私もホストファミリーというものをやってみたいと思ったきっかけである。もう少し家庭と家計に余裕が出たら、いつかやってみたいな、なんて思ってる。

でも一方で、ホストに向いていない気もしている。

 

先日の出来事なのだが、

赤ちゃんを抱いたお母さんが両手塞がっていて、背中で押して扉を開けていたから、代わりに開けてあげた。お礼を言われてそれで終わりだと思っていたら、その扉の前に帽子が落ちていた。

 

「あ、帽子落としましたよ」

 

と言って渡してあげたまではよかったんだけど、その時に、私のカバンに挿していた水筒を落としてしまった。

 

「あ、すみません」

 

と謝られてしまう私。

全然大丈夫だったんだけど、良いことしただけで終われたら、かっこ良かったのになあ、と思ってしまった。

 

 

こんな風にいつも締まらないのだ。

ホスト側をしても、ゲスト側にフォローされまくる姿が容易に想像できる。

どちらがホストなのか、わからなくなりそうだ。

 

 

このまま、締まらない感じで、この記事も締めちゃうか。

うん、それが良い。

 

 

それでは〜。Heippa!

 

 

 

 

*脂鰭(あぶらびれ):サケマスアユなどの背びれと尾びれとの間にある肉質状の特殊なひれ。

(Cf. goo国語辞書

 

脂鰭(Buckland-Nicks et al. 2011)

Buckland-Nicks, J. A., M. Gillis, and T. E. Reimchen. "Neural network detected in a presumed vestigial trait: ultrastructure of the salmonid adipose fin." Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences 279.1728 (2012): 553-563.より

 

北欧のセブンイレブンは日本のセブンだと思うとヤバい!?

お世話になります。

う〜しま〜です。

 

 

 

 

 

はじめに

YouTubeやインスタ(最近始めた)を見ていて思うのだけれど、表題に「ヤバい」がすごく多くてびっくりする。「なんて中身がない題名なんだ、意味わからん」と最初は思っていたけど、なんだか「ヤバい」と言われると、ついつい何が「ヤバい」のか気になって、中身を見てしまう。新聞みたいな既存の情報媒体などであればあり得ない題名だし、ものによっては本当に何がヤバかったのか全然わかんなかったりするのだけれど...。

 

でも、これは今の時代に合った、とても上手な戦略なのかもしれないと感心してしまった。だって、私はヤバいという文言を見るたびに「ヤバい、ヤバい、ヤバい」と思いながらクリックしてしまうのだから。考えた人は天才なのかもしれない。これはもう本当にヤバい!

というわけで私も使ってみることにした。

 

それが今回の題名である。

『北欧のセブンイレブンは日本のセブンだと思うとヤバい!?』

 

特に何が「ヤバい」のかまだ考えていないけど、つけてみた。

とにかく「ヤバい」のだ! これはヤバい!

 

まあ、題名はどうでもいいや。

 

 

 

 

 

今回の元ネタ

↓今回の元ネタはこれである。

「ヤバい」と「想像の10倍」が気になって、ついついクリックしてみてしまった。よく考えれば、オーバーに言う戦略なのだとはわかっているのだけれど、私はこの世に数多いる単純人間の1人なので、相手の術中に自ら勢いをつけて、飛び込んでいってしまった。

 

相手は相当に優秀な策士であると言わざるを得ない。

 

www.youtube.com

 

さて、この動画の冒頭に、この「はれのちハレ」さんがセブンイレブンコペンハーゲンにあることに驚いているシーンがある。

 

「空港に着いてびっくりしたんですけど、なんと、コペンハーゲンセブンイレブンがあるんですね。降りてすぐのセブンイレブンがあるのは、めちゃくちゃ感動しました。後でまた寄りたいと思います。」

(中略)

「ホテルの最寄り駅にセブンレイブンをまた発見したので、ここで軽食を購入しました。まあ、セブンイレブンという看板は立ちつつも、中は普通の簡易的なスーパー、みたいな感じだったかなと思います。なので、こう、「ななチキ」みたいなそういうセブン専用の商品があるとかではなかったです。」

(テロップ)「セブンの意味を問いたい」

YouTubeって自分にはない視点がダイレクトに語られるので、とても面白い!)

 

このシーンである。

このシーンを見た時に、ビビッと記憶に引っ掛かるものがあった。

 

 

すなわち、「北欧のセブンイレブン、どこ発祥?」問題である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のセブンイレブンが北欧にも!?

フィンランドにいるときは、R-Kioski様が天下をとっておられるので、気にしたことはなかったが、初めて他の北欧(Scandinavian countries)に行った時に(ノルウェーのベルゲン)、セブンを見て、私も恐ろしく感動したものだ。

 

「おお! 日本のセブンがこんなところにもある!!」と。

 

 

ところが、それからしばらくして、スウェーデンストックホルムに観光で行った時に、ホステルで寝る部屋が一緒になったアメリカ人(風邪をひいていた建築科専攻の学生)と話していたら、

 

セブンイレブンアメリカから来たんだぜ!」

と言われた。

 

「あれれれれれれ??? 日本のものだと思ってた」

と言ったら

 

「あれってテキサス発祥だったはずだけどな。あれれれれれれ?」

 

と言われて、ネットで調べると、どうもその通りらしかった。

 

スウェーデンのセブンの前で、「🎶セブン、イレブン、いいきぶ〜ん🎶 YEY!!」と1人で歌っていた、私のいい気分を返して欲しいものである。

 

 

 

で、最近になって、

「セブンはアメリカのものなんだってね」

と知り合いと話していたら、

 

「今は日本の会社だよ」

と言われた。

 

「あれれれれれれ??? アメリカの会社だと思ってた」

と言って、ネットで調べると、確かに日本の会社らしいという話になった。

 

 

「おい、ややこしいなっ!」

と思った私である。

 

 

 

 

 

というわけで、

フィンランドに関係がないし、フィンランドに全く関係がないし、フィンランドにこれっぽっちも関係がないし、フィンランドに1ミリたりとも関係がないし、関係ないからやる気もないけど、

セブンイレブンの話をまとめちゃうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セブンイレブンはどこの国の会社??

答えはアメリカである。でも、日本の会社といっても間違いではない。

 

以下、*会社の歴史をまとめてみた。

もちろん、私のセンサーにビビッと反応したものだけだけど。

 

  1. 1927年、テキサスのダラスで氷屋さんとして、世界最初のC-store(コンビニ)が誕生。
  2. 1946年、7am-11pmの営業時間を文字って、"7-Eleven"に改名。当時では前例のない営業時間だった。
  3. 1950年代、テキサス以外にも進出(ガソリンも販売)。
  4. 1963年、24時間営業開始。
    同年、フランチャイズ・ビジネスをスタート。
  5. 1965年、独自のブランド飲料、Slurpee® の発売。
  6. 1970年、セルフサービスの飲料販売開始(**soda)。
    同年、Big Gulp®(950mlのカップでジュースをセルフサービスで選ぶ)の発売。
  7. 1973年、アメリカ本家セブンイレブンイトーヨーカドーがライセンス契約してセブンイレブンが日本上陸! 当時は「アメリカとは違い、日本でコンビニエンスストアはうまくいかない」と言われたようだ。7am-11pmの営業で、16時間も営業するのは、日本でも常識的でないと見られた模様。ちなみに、豊洲の一号店で最初に売れたのは、サングラスだったそう。
    (以下、日本のセブンイレブンの歴史)
  8. 1975年、24時間営業開始。
  9. 1978年、パリッコフィルムのおにぎりを発売。
  10. 1979年、おでん発売。
  11. 1983年、ツナマヨ発売。
  12. 1991年、本家セブンイレブン(Southland corp.)の経営不振により、本家の株式約70%を取得。日本でのノウハウを活かし、3年で黒字回復。→Southland corp.から7-Eleven, Incに改名。
  13. 2005年、セブン-イレブン・ジャパンアメリカ本家セブンイレブンの株式100%取得。日本企業が持つ会社になった。

 

*7-Eleven Corp.のHP(Our Brand Story | 7-Eleven)とWikipedia、および、セブン-イレブン・ジャパンのHP(50th ARCHIVE | セブン-イレブン 50周年記念サイト)を参照。

**アメリカでジュースといえば、果汁100%を指す。sodaはそれ以外の清涼飲料水のこと。

 

つまり、

セブンイレブンは日本の会社とも言えるし、アメリカの会社とも言える状態なのだ。

 

 

ちなみに、本家セブンイレブンのHPには、世界のセブンイレブン分布が掲載されていたので、スクショで載せておこう。

世界のセブンイレブン分布

ついでにアメリカもどうぞ。

アメリカのセブンイレブン分布

フィンランドには出店していない。

フィンランドには出店していない。

 

大事なことなので、もう一度。

フィンランドには出店していない。

 

 

 

 

 

北欧のセブンイレブン事情

北欧では、2004年にノルウェーのReitangruppenのReitan Convenienceがノルウェースウェーデンデンマークにおける、セブンイレブン・ブランドの使用権を買い取ったみたい。北欧への進出については、1986年ノルウェー、1993年デンマーク1984スウェーデンへ進出だ。

 

つまり、今の北欧のセブンイレブンは、Reitanグループという現地企業が経営している状態なのだ。

 

同じセブンイレブン・ファミリーには属するかもしれないが、経営しているグループは異なるので、中で取り扱っている商品も違うと考えるべきだろう。また、日本からセブンイレブンが進出しているならば、「ななチキ」等の商品がラインナップとして並ぶかもしれないが、ライセンス元はアメリカなので、日本っぽい品揃えが北欧で実現されるのは難しいのかもしれない。

 

「ななチキ」の気持ち、わかる。

私は「肉まん置いて欲しい」とスウェーデンで泣いた。悲しい。

 

 

 

ちなみに、R-Kioski(フィンランド)およびR-Kioskエストニア)もこのReitanグループが運営している。

 

Reitanグループはロゴがかっこいいので、ぜひ見てみてください。

www.reitanretail.no

 

 

 

 

結論

R-Kioski万歳!!

 

 

 

 

......違うか。

 

 

Q. 北欧のセブンイレブンは日本のセブンだと思うとヤバい?

A. ヤバくはない。.........が、日本のセブンを期待するとヤバい。

肉まんとななチキがないからね。そして、NorwayにはSlurpeeもない!

 

 

www.youtube.com

Norwayでは、slurpeeは不健康すぎて禁止されているみたいwwww

デンマークでは今年、2024年9月頃から発売)

www.instagram.com

 

 

さあ、「はれのちハレ」さんの動画の続き見るぞっ!

まだ、15分ある動画の1.5分くらいまでしか見てないからねっ!

動画の1.5分くらいまでを確認のために何度も見直した、これまでの私とはおさらばだぜ!

 

 

それでは!!

 

ヘルシンキは可愛くてお洒落で映えるʃ(◔‿ゝ◔)ʃ

お世話になります。

う〜しま〜です。

 

 

前回までの話。

uuuuu-simaaaa.hatenablog.com

uuuuu-simaaaa.hatenablog.com

 

 

海外旅行に行ってから、帰ってきて、フィンランド語を聞くと落ち着く。

...的な経験を皆さんもしたことがあると思う。故郷の安心感である。

 

これを英語では、"feel at home"と言う。くつろぐ的な意味である。

「まさにそれ!」な表現でる。

 

Vantaa空港に帰ってきた私が感じたのが、まさにその感情だった。

フィンランドに帰ってきた!」という温かさが気持ちを包み込んだ。

わかりやすく言うと、電気ストーブのサウナではなく、薪ストーブのサウナのような温かさである。

 

まず、飛行機を降りて耳に入る言語に感動した。

そして、空港に流れる放送に感動した。

 

低音で単調な話し方がたまらない。

「お〜、フィンランド語だ〜!!」

「これだよ、これ。私が求めていたのは!!」

本当にこの重低音がたまらない。BOSEのヘッドフォンで聴きたい声だね!!

 

たった6日間。しかも治安の良いノルウェーにちょっとお出かけしていただけでこれである。

たったの半年で、いかに自分の生活がフィンランドに根付いてしまったのかわかるというものだ。

 

 

というわけで、フィンランドに帰ってきた私。

学生の味方OnniBus(長距離格安バス)で帰るので、それまでの時間、ヘルシンキの友達と観光(兼散歩)をした。

 

 

どうやら世間では可愛いくてお洒落なフィンランドが流行っているみたいなので、フィンランド留学生OBの中ではピカイチでセンスがない う〜しま〜 が、ほぼゼロに等しい可愛さ・オシャレセンサーを存分に発揮して、可愛くてお洒落で映えるヘルシンキを過去の写真から無理矢理発掘しちゃうぞ! ぜひ刮目して見てね!

 

 

 

 

まずは第一投。

可愛いヘルシンキ

さあ、ご覧ぜよ!

子連れのカモちゃん

見よ、この圧倒的な可愛さ。

ヒナが草を食(は)んでいる愛らしい姿なんか見ていると、それだけでにっこりしてしまう。

カモちゃん。日本でも見られる光景がフィンランドでも見られてほっこりしちゃう。

feel at homeな姿である(?)。

これぞ、可愛いそのものだ!

 

 

 

 

お次は、

オシャレなヘルシンキ

さあ、ご覧ぜよ。

頭が黒くてシックな色合いのカモメさん。おしゃれ〜!

黒、灰、白の衣を纏ったカモメさん。

日本ではあまり見ることが少ない頭の黒いカモメだね(地域による & 海岸では見れます)。

飛んでいるカモメなんて、羽根がシースルーで、透け感出してきちゃう感じが本当にオシャレ。

やっぱりヘルシンキは違うぜ!

 

 

 

そして今度は〜

お洒落なあの競技!

もはや屋外スポーツと言ってもいいのかな......?

これは......野外チェス!?

写真から予想できること。

・手前左の青い服のおじさんが黒い箱の取っ手を握っている。

・奥の黒い箱は開いている。

→黒い箱にチェスの駒が入っている

 

・奥の盤でおっちゃんたちがチェスをしている。

・左のおじさんは裸。

→野球拳チェスで負けた方が服を脱いでいる。

 

結論

 野球拳をチェスでやるなんて、お洒落さんですね!

 

 えっ?? お洒落じゃない......?

 

 ( ˙-˙ ) ( -_-) (¬_¬)

 

 え、えへへっ!

 チェ、チェスはお洒落さんしかやらないって聞いたよ〜?

 

 

 

以上、駅の裏側の公園でした。

Hesperianpuistoかな。

プラプラ歩いていると、うさぎも見れる。

 

 

 

 

オシャレって難しいね。でも、一見お洒落に見えないものからお洒落さを発掘するなんて、もはやお洒落センサーの性能が凄まじく高いと思ってもいいのでは!?

 

........ダメ??

 

 

う〜ん。

お洒落はひとまず置いておくか。

ちょっと”映え”スポットを挟んでみよう。

 

じゃじゃーん。ヘルシンキが誇る遊園地Linnanmäkiに来ました。まあ、行った順番的には、公園より先にこっちに来たんだけどね。まあ、どうでもいいさ。

 

この遊園地、中に入るだけならタダなので、ぜひ。

 

 

さて、ジェットコースターの紹介です。

このジェットコースターは1951年のものっぽい。

恐怖の木製ジェットコースター

見ての通りの木製。

最近テレビでも取材されているのを見た。

レトロな感じがたまらんですな。可愛い! お洒落!

ヘルシンキの超有名”映え”スポットですね。

 

上から見るとこんな感じ

私は怖くて乗らなかったけど、乗らなかったことを後悔している。

だって、見た感じ、乗り心地が可愛くなさそうなんだもん。

 

でも、これならお金払っても乗る価値があったと思う。

今度行った時に試したい。

 

 

というわけで無料の遊具で遊びました。

 

通路を歩くと、ピューと水が無作為に出てくるので、それを避ける遊具。

これが結構楽しい。

 

友達は一緒にはやってくれなかったけど、見守ってくれた。

 

この遊具ではなんと、あの『見聞色の覇気』が鍛えられます(Cf. ONE PIECEの用語一覧 #覇気- Wikipedia)。

 

ピューっと出てくる水を避ける遊具

私は、水を避けきれなかった。

『覇気』の修行の道は長い。

 

 

 

 

 

 

お昼もこの遊園地で食べたよ。

定かではないが、7-8euroくらいした記憶がある。

私には高い。だが、当時の物価的には別に高くない。

典型的なフィンランドご飯

超典型的なフィンランドご飯。

美味しそうですね。色彩豊かで、盛り付けは超ナチュラル系。

つまり、お洒落。たぶん、きっと、お洒落だ。

何せ私には、これがお洒落であることを否定する要素を一つも見つけられない。

 

でも、私の奥さんは生の玉ねぎがダメかもしれない。

 

 

 

 

 

 

次の映えスポットはこちら。

元刑務所ホテル。無料で侵入できる。

 

元刑務所ホテル見学。もちろん独房にも入れます!

当時の檻も残っていたのだけれど、私が入って遊んでいる写真しかなかったので、掲載できず。

 

ちなみに、

ヘルシンキの今の刑務所、あることで有名だ。

日本語で「開放刑務所」と呼ばれる刑務所が、スオメンリンナ島にある。

法務省のページに載っていたので、リンクを貼っておこう。

hakusyo1.moj.go.jp

刑務所に収監されていても、外に働きに出ることもできるし、なんなら見た目は刑務所には見えない。サウナもあるらしい。詳しくはネットで調べたら、わんさか出てくるので、そちらを見てほしい。

 

私はスオメンリンナのホステルに泊まったこともあるけど、どこにあるのか、さっぱりわからなかった。まあ、見つけたくもなかったけど。刑務所は刑務所なんだからやっぱり怖いし。

 

 

 

さて、刑務所ホテルからの脱獄も果たしたところで。

 

港の方の橋

ホテルの帰りに港の方を歩いていると、大量の錠🔐が橋にロックされていた。

恋人同士がその愛をガッチガチに固める場所らしい。可愛い鍵やお洒落な鍵がいっぱいある。

つまり、お洒落スポットである。

 

ただし、確か何年かに一回、ヘルシンキ市に一斉撤去されるらしい。

まあ、お洒落スポットだから仕方がない。流行が過ぎ去るのはとても早いのだ。

愛の儚さが窺える、とても印象的な観光すぽっとだった。

 

 

 

 

そのあとは、Esplanadi通りというところに行った。港から伸びる公園に面して、お店が並んでいる通りだ。ここは、夏場の私のお気に入りのお昼寝スポットである。

 

 

今回は、友達に誘われたので、カフェに入った。なので、お昼寝できず。

私1人だと敷居が高すぎて絶対に入らないカフェだった。

確か、Café Esplanadだ。

Café Esplanadのニンジンケーキ

友達に奢ってもらって、ニンジンのケーキを食べた。お洒落なところだったのかもしれないが、場違い感がすごくて記憶があまりない。

 

写真を見る限り、ニンジンは可愛い大きさだ。よし、可愛い!

 

まあ、ピンとこないので、ここは適当でいいや。

 

 

 

 

 

Esplanadi公園にある野外演奏会場

高校生っぽい人たちが、演奏していた。
外国人は大人っぽいので、何歳くらいか全然見分けがつかない。

なんだか、こういう施設もデザイン性があってお洒落な気がする。

 

 

たぶんKaivopuisto

ここはヘルシンキで私の好きな公園の一つ。

夏のピクニックには最適。Lonkeroを飲みながら、のんびりしよう。

見るからに可愛くてお洒落な公園だ。素晴らしい。

 

 

 

最後は、バスの駅があるKamppiへ。

色々な人が紹介している教会でも紹介しておこう。

Kampin kappeli(礼拝堂)という名前。

音が響きすぎて恐縮する礼拝堂

楕円形のチーズケーキみたいな形をしている。

つまり、お洒落だ。

 

オレンジ色をしていて、木目模様をしていて、見た目も可愛い。

つまり、可愛い。

 

ただ、注意してほしい。

この教会、中に入るのは自由なのだが、音が尋常じゃないほど響く。

少し動くだけで、音が反響して、小さな音が騒音になってしまう。そんな、すごく申し訳ない気分になることで有名な礼拝堂なのだ。なので、本当に気をつけてほしい。

 

 

 

 

でも、どうしても音を響かせたい気分の時は......

音を響かせたいそこのあなたへ

こんな風に、礼拝堂前のKamppiの広場で、ぜひ音を響かせていただければ、と思う。

生演奏はいいよね!

(許可とかいるのかな〜??? いらないと思ってたけど)

 

 

友達ともお別れ。

無事バスに乗り込めました。

 

Onnibusは狭いから気をつけてね〜。

 

 

いや〜。

自分で書いていて、私のお洒落センサーも映えセンサーもあながち捨てたものではない気がしてきた。

今回はセンスが冴え渡ってしまったぜ。

 

 

それでは〜。

サウナ愛でスウェーデンに負けたくない私の話

お世話になります。

う〜しま〜です。

 

今回は、私のお勉強回です。

私の趣味全開なので、長めです。

 

 

 

最近、サウナに関する本を読んだ。

『至福の北欧サウナ 知られざる歴史と文化の全て』(イェンス・リンデル著 2024)

という名前の本である。著者は名前からわかる通り(?)、多分スウェーデン人である。スウェーデン人ではないとしても、Jens Lindelという名前は、元祖フィンランド系ではないのは間違いない。

 

 

何も考えずにパラパラとページをめくっていると、

この本の中で気になる記述を見つけた。

(私は、こういう本は読みたい章から読む傾向がある。)

 

フィンランドで発掘された最も古いサウナは13世紀ーーつまり北欧の中世ーーのもの

(p.29「北欧と東欧のサウナ小屋」)

と書いてあるのに対して、

 

北欧最古のサウナと思われる遺跡はスウェーデンで発見された。スウェーデンのメーラレン湖に浮かぶヘリエー〔「聖なる島」の意〕で見つかった3世紀の建物の痕跡は、おそらく一種の浴場だったと考えられている。

(p.32「北欧と東欧のサウナ小屋」)

と書いてあったのだ。

 

つまり、現存する遺跡レベルで言うと、スウェーデンの方がサウナ(スウェーデン語ではBastu)の歴史の方が古いのだ。

 

 

 

な、なんだと??

フィンランドのサウナ愛がスウェーデンに負け、、た、、、、??

 

なんだか、私までがスウェーデンに負けた気がしてくる。

いや、フィンランドのサウナ愛は、スウェーデンには負けんっ!!

私はスウェーデンに負けん!

 

 

ところが、私の気持ちに負けまいと著者も対抗しているのか、ヴァイキングもサウナを愛していたという描写までしてきた。

ヴァイキングはサウナ浴に熱心で、旅を通じてこの入浴習慣を他の地域にも広め、なおかつ外部からの影響も取り入れた。

(p.33「北欧と東欧のサウナ小屋」)

しかも布教活動まで?

 

ヴァイキング時代に生じた言葉にlördag(土曜日)がある。これはlögar(体を洗う)dag(日)と言う意味で、入浴する日のことだったのだ。

(p.33「北欧と東欧のサウナ小屋」)

サウナの日も制定していた?

 

ま、待ってくれ。

サウナ愛が強いヴァイキングだと?! 

しかも、サウナの日を作った?!

 

情報のパワーがありすぎるだろっ!!

 

なんだかすごくスウェーデンに負けた気がしてくるではないか!

このままでは、これまで私が考えていた、「フィンランドのサウナ愛>>>>>スウェーデンのサウナ愛」の図式が崩れてしまう。

 

しかも、このヴァイキングのサウナ文化は、アメリカ大陸まで届いている。

カナダのラブラドール州にあるランス・オ・メドーヴァイキング集落からは、サウナかスウェットロッジだったと思われる煤けた石が発掘調査により見つかっている〔この集落の形成は1000年頃だと推定されており、ヴァイキングは〕こんなにも早い時期に北極海と大西洋を越える旅をしていたのだ!

(p.33 「北欧と東欧のサウナ小屋」)

 

愛が強すぎるぜ、ヴァイキング

こんなの敵わないのではっ?? 勝てないよ、助けてドラ○もん!!

 

 

しかも、サウナ愛が強いのはスウェーデンだけではなさそうなのだ。

 

907年、ビザンツ帝国に勝利すると、ルーシの支配者オレグは和平交渉で(かなりの量の銀の他に)、コンスタンティノープルに到着したルーシ人にはパンや魚やサウナ浴を好きなだけ与えられるよう要求した。

(p.32 「北欧と東欧のサウナ小屋」)

和平交渉でサウナを要求!?

 

『ネストル年代記』(12世紀編纂)には、スラブ国を旅する聖アンデレの記録が残されている。それを抽出してみよう

「不思議な話である。スラブ国に滞在していた私は、彼らの木造の浴場の見学を許された。浴室を温めると彼らは服を脱ぎ、体に獣脂を塗り、細長い枝の束で体をむち打つ。あまりに激しく叩くので、彼らの命が心配になるくらいだ。そして最後に冷たい水を浴び、しゃきっとする。自ら進んで、この苦行をおこなうのだ」

(p.32 「北欧と東欧のサウナ小屋」)

しかも、vihta(ヴィヒタ)で体を叩く苦行文化がある!?

 

な、なに!?

ロシアでは、「セルフむち打ち超気持ちぃ〜!!」文化まで、そっくり同じであったらしい。歴史書に載るレベルの凄まじい叩きっぷりであったことがよくわかる。

 

 

 

いや。

冷静になろう。

そもそも待って欲しい。

 

サウナはフィンランドの文化だと思っていたけど、もしかしてスウェーデンやロシアのサウナの歴史も結構古いんじゃね??

フィンランド発祥って、聞いていたのだけれども、、、ども????

 

 

あれれれれれれれれ????

 

 

 

 

 

 

 

よく読んでみると、本にはちゃんと、「スウェーデンの発汗浴の習慣は、フィンランドエストニア、ロシアから伝わったに違いない」と書いてある。

 

これは私の妄想だが、多分、フィン人の発祥経路的に考えて、ノヴゴロドエストニアフィンランドなどを含む、今のサンクトペテルブルク周辺の地域がサウナやバーニャ発祥の地域だとされているのではないかと思う。

 

なので、ロシアのバーニャはフィンランドのサウナのマブダチですな。あるいは、フィンランドのサウナの愛弟子的存在かもしれない。

 

そして、フィンランドのサウナの歴史は間違いなく、スウェーデンより長い。

 

答えは最初からこの本に書いてあったわけである。

 

いや、最初からよく読めよっ!!

ふざけんなよっ、わたし!!

 

でも、よかった。

ほっとした。フィンランドはサウナ発祥の地で間違いなさそうだ。

 

 

 

ちなみに、この本に書かれている世界のサウナ史について、まとめてみたので、気になる方はどうぞ!

サウナの世界史(見えにくい時は頑張ってズームしてください)

この表を見てもらえば、フィンランドのサウナの歴史はずば抜けて古いことが一目でわかるはずだ!!

 

どうだ、参ったか!

 

 

 

 

 

ちょっと話を戻そう。

そうなると、気になるのが、スウェーデンのBastu(サウナ)文化である。そんなに歴史が古いわりに、スウェーデンのサウナのイメージは薄い。

 

愛の強さだと言えばそれまでだが、歴史的に考えれば、フィンランドのサウナとエストニアのスモークサウナがユネスコ無形文化遺産に選ばれたけど、スウェーデンも混ぜてもらってもいいのではないか。(まあ、ロシアも混ぜて欲しい気がするけど、政治的問題な気がするので、ここでは脇に置いておく。)

 

 

その答えに当たるのか、なんなのか。

 

この本の中では、ヨーロッパの大都市で、梅毒の発症を原因として、16世紀以降、浴場が禁止され始めた流れの中で、スウェーデンで公共浴場でのサウナ浴も禁止されていった話が紹介されている。

 

18世紀のスウェーデン行政はサウナ浴にますます反対するようになり、ここでも不道徳な点を強調した。国内であれ国外であれ、年におけるサウナは性的な出会いの場として堕落しており、売春や性病の蔓延を招くと主張したのである。この結果、17世紀末から18世紀にかけて、貴族階級と平民階級の両方で脱サウナ化が進んだ。

(p.48「罪と禁止」より)

 

ちょっと面白い。

ヨーロッパで、かつて浴場が衰退した流れ自体は知っていたが、北欧(スウェーデン)にもかつて公共サウナがあり、そのサウナの衰退も、それに乗じていく形で起こっていたからである。

 

18世紀後半には、フィンランド人が多いヴァルムランド、ダーラナ、ノルボッテン、ラップランド地方を除いて、スウェーデンの農民のあいだでサウナ浴はほとんど行われなくなった。

(同じくp.48「罪と禁止」より)

 

フィンランド人のサウナ欲がすごかったのか、なんなのか。その詳細はよくわからないが、フィンランド人在住地域では、サウナが根強く残ったようである。

 

ちなみに、ロシアのバーニャ浴についてはこんな記述があった。

ロシアでも、サウナを撲滅しようという動きがあった。ピョートル大帝(在位1682〜1725)はロシア風サウナに課税し、正教会はサウナを非難した。しかし、期待したほど効果は得られず、ついに教会は転向しバーニャ浴を祝福するようになった。

(同じくp.48「罪と禁止」より)

やはり、ロシアのバーニャ愛も中々強そうである。

さすが、フィンランドサウナのマブダチ。

 

 

 

 

さて、少しだけ現代に戻る。

日本人留学生界隈だとたまに話題に上がるのだが、フランスやドイツなど、一部地域のヨーロッパ人がお風呂に入らないどころか、シャワーも数日置きにしか浴びなかったりするという話を聞くことがある(もちろん地域や人によるけれど)。

 

この原因として言われるのが、「ヨーロッパ人には、シャワーやお風呂に入る習慣が元々ないみたいだよ」という話だ。

 

でも、その習慣は、原初の昔からずっとなかったわけではなくて、途中でなくなったのだと思われる。というのも、いくつか本を読んだりしていると、中世にはこれらのヨーロッパ諸国でも入浴の習慣があったという記述が見られるからだ。

 

 

例として、阿部謹也の『中世を旅する人々』(1982 第16刷)を見てみよう。

この本の中で、阿部謹也共同浴場に関して一章分をかけて説明している。

その一部を引用してみよう。

 

入浴は当時の人びとにとって今日では考えられないほど大きな楽しみのひとつであった。「一日楽しく過したければ風呂へ行け。一週間を楽しく過したければ*刺胳せよ。一月を楽しく過したければ豚一頭を屠り、一年を楽しく過したければ若い妻を娶れ」と十六世紀初頭にフランクフルトではいわれていた。

「6 共同浴場」p.89より

*刺胳=刺絡:「漢方で、瀉血 (しゃけつ) 法の一。皮下の小静脈を刺して悪い血を流し去ること」(goo国語辞書より)。ここでは漢方と書かれているけど、漢方だけでなく、西洋医学でも使われる療法。吸血ヒルを使って行う治療も、瀉血とか呼ばれているので、原理はほとんど一緒だと思う。

 

しかも、湯銭(入浴手当に当たるもの)もあったらしい。

手工業者の徒弟は土曜日には一時間早く仕事につき、早仕舞して浴場に走った。彼らはそのために給料のほかに「湯銭」をもらった。それは少額でブレーメン市参事会堂建設帳簿によると二○人ぶんで四〜六**グロッシェンであった。

「6 共同浴場」p.89より

**グロッシェン→プラハ・グロシュ - Wikipedia参照のこと。銀純度933パーミルとかめっちゃうらやまっ!

 

私も入浴手当ある会社に入りたい! 温泉手当とかあったりしないだろうか?? とにかく羨ましい限りだ。

 

まあ、湯銭は置いておくとして。

 

つまり、サウナ本にも書かれていたが、ヨーロッパでも16世紀ごろまでは共同浴場が存在し、生活の一部として利用されていたのだ。

 

中世の浴場(「6 共同浴場」p.85より)
梅毒流行も頷ける絵である。

 

 

面白いのは、当時のヨーロッパでは蒸気浴の類もあったらしいことだ。

スイスのカントン、アッペンツェルザンクト・ガレン、トゥールガウなどには「パン焼竈風呂」とよばれる浴場があった。パン焼竈の真上が浴場になっていて、熱気が穴を通って浴室の床に登り、あるいは栓のついた金属パイプで上の階に導かれ、そこには周囲に腰掛がしつらえてあった。パン屋は風呂の準備ができると角笛を吹きならした。この習慣は一八六六年までのこっていたという。

「6 共同浴場」p.86より

「パン焼竈風呂」なんて、興味しか湧かない。

匂いとか最高なのでは?と思ってしまう。

 

他にも、以下のような記述もある。

ヨスト・アンマンの『身分と手工業者』(一五六八)は、ハンス・ザックスの筆になる次のような面白い呼び声を伝えている。「お金持も貧乏人も風呂屋へおいで、お湯は熱いよ、香り高い石鹸で肌を洗うよ。さてその次はたっぷり汗かく部屋へ御案内、さっぱりと汗を流したら御髪の手入れ、悪い血は流し、仕上げはたっぷり揉み療治、いい湯かげんの上り湯もあるよ。」

「6 共同浴場」p.86より

この「汗かく部屋」の描写がどうもフィンランドのサウナと酷似しているのだ。

熱せられた石に水がかけられて蒸気がいっぱいになる。その間、***三助が白樺の枝の束などで皮膚をたたく。たっぷり汗をかいたあとで再びぬるま湯をかぶり、身体をこする。

「6 共同浴場」p.86より

***三助は現代の銭湯ではイメージがないと思うが、背中を流してくれる人のこと。時代劇系の小説を読むと出てきたりするので、是非探してみて。

 

中世の蒸し風呂(「6 共同浴場」p.87より)

 

これが衰退していった背景として、梅毒の流行が挙げられることが多い中で、

阿部謹也は、「それだけとは思えない」と主張している。

 

この本の中では、ヨーロッパの共同浴場衰退の要因のして、

 

・「木材(燃料)の価格騰貴」

・「梅毒の流行」

・「浴場が堕落頽廃したこと」

・「浴場での治療が禁じられたこと」

・「浴場が教会と国家に対する反体制派の溜り場になったこと」

・「浴場主が差別の対象とされたこと」

 

を挙げている。

 

 

現代チックに考えて見ると、EVの普及の広まり方が、単なる環境問題に対する意識の変化によるものだけだとは思えないのと同じで、普及していたモノがなくなるにも、名目的な理由はあれど、その実、色々な理由が隠れているということだ。

 

 

まあ、細かい理由や真実はどうであれ、私は専門家ではないので、「男女が交流に勤しみ過ぎたせいで、お風呂禁止になった」くらいのふんわりザックリ触感で受け取めていいと思っている。そっちの方が人間臭くて笑えるし。

 

 

 

ただし、ヨーロッパと言っても、先程のロシアのバーニャの例のように、入浴文化が消えなかった国も存在したのではないかと思う。たとえば、イタリアとかオーストリアのような温泉大国(新期造山帯の上にあるような国)は別だったのではないか(入浴と文化が切り離せなかった地域もあると考えられる)。

 

 

代々のローマ法王は、ローマからちょこーっと北に行ったところにある、教皇御用達の温泉地Terme dei papi(直訳:papaたちの温泉。"papa"は英語の"pope"で教皇の意)に通っていたと言うし。

 

 

フランス革命で、「みんな、ケーキ食べよ〜ぜ」発言をしたとかなんとか云われる、マリー・アントワネットは、オーストリアから嫁いできたおかげで、入浴の習慣があったらしいしね。

 

(一応説明しておくと、当時のフランスでは、入浴の代わりに香水でクサいのを誤魔化していたと言われる。つまり、アレだ。大学生が風呂入らないで、クサいのをファブリーズで誤魔化すようなものだ。入浴をサボっても怒られない御フランスに来ても、「ファブリーズで誤魔化す的行為」をしなかったマリー姉さんは偉大である。私も毎日シャワー浴びないと落ち着かないので、私も偉大である。ちなみに、姉さんが使っていたバスタブの痕跡がヴェルサイユ宮殿には残っているらしい。見たことないけど。)

 

 

あと、日本も温泉大国だから、お風呂禁止するわけないしね。

江戸の銭湯は混浴だったけど、おばちゃんガードが強かったおかげで、若い女性も守ってもらいながら入浴できたという話を杉浦日向子先生の本で読んだ気がする。とはいえ、性に奔放な時代に、不純な行為が全くなかったとも思えない。結局、混浴のお風呂が消える要因は、政治的・宗教的なものに思えてならない。

 

 

さて、サウナの話に戻ろう。

 

 

何が言いたいかというと、

宗教とか政治の問題で、お風呂もサウナも北欧社会(フィンランドは1809年までスウェーデン王国に属していた。Cf. Wikipedia)から排除されたのだ。

 

ただ、フィンランドは偶々、政治や宗教的に影響力の弱い(or 影響を与える必要の薄い)地域だったから、サウナが”生き残った”とも読み取れる。あるいは、フィンランドのサウナ愛が強すぎた結果、サウナが”生き残った”のかもしれない(強いサウナ愛のおかげだと考えた方がなんだか素敵で気持ちが良いので、私は「サウナ愛は勝つ説」を推そうと思う)。

 

これが、ヴァイキング時代には既にサウナ文化が存在していたにもかかわらず、現代スウェーデンでサウナ文化が希薄に感じられる理由だろう。そして、フィンランドでは、サウナ文化が生活の一部として息づいている理由である。

 

私は単純に「サウナがフィンランドから伝来したもの」と思っていたが、どうもそれだけではなさそうだ。サウナは北欧やヨーロッパから一度なくなって、再導入されたのだ。『至福の北欧サウナ(以下略)』にも書いてあったが、サウナのルネッサンスが起こったのである。

 

 

サウナが生き残った国、フィンランド

サウナを最後まで愛していた者が勝ちなのだ。

つまり、私も勝った。

私は満足だ。

 

いや、勝ちってなんだよ?

 

 

ちなみに、サウナが生き残った国の一つがフィンランドだよ、という話もこの本に書いてあった。自分で発見した気になっていたけど、ちゃんと読めよっ!!

 

 

サウナ本(『至福の北欧サウナ(以下略)』)には、フィンランド人のサウナ愛を表す小噺(20世紀後半のもの)もあったので、最後に紹介したい。

フィンランドの宣教師が人食い人種に捕まり、蓋をかぶせた大きな鍋の中で茹でられた。数時間後、フィンランド人宣教師は蓋をノックし、こんなに素晴らしいサウナは久しぶりだと感激を伝えた」

(p.104 「聖霊と妖精と呪文」)

 

ちょっと、ステレオタイプっぽくもあるけど、Finnish jokeっぽい。楽しい。

 

 

 

はい、ということで、

実生活にこれっぽっちも役立たない、サウナ談義でした。

ふぅ〜。また無駄な知識を増やしてしまった。

 

 

フィンランドに行って、サウナに入れればいいから、由来やら背景なんてどうでもいいのにね。

 

 

あと、大層な困難が伴うとは思いますが、本を読むときは、あまり文字を飛ばさないで読むように気をつけようと思います。

 

反省、反省、超反省。

めっちゃ反省できた〜!!

 

 

それでは〜。