徳川家康が会津の上杉景勝征伐のために、わずかな兵だけを残して拠点の伏見城を重臣の鳥居元忠に任せて留守にした隙に、石田三成が手薄になった伏見城を攻めました。
石田方が4万人に対して、徳川方の鳥居元忠方はわずか1800人で奮戦したものの、多くの徳川兵士が命を落とした壮絶な戦いでした。明日の「どうする家康」ではこのシーンが描かれるようですが、鳥居元忠を演じるTEAM NACS音尾琢真さんの演技が見ものです。
なお写真の天守は現在は閉園している「伏見桃山城キャッスルランド」の模擬天守で、実際の伏見城本丸跡は明治天皇陵になっており城は復元されていません。
ところで京都市北区に源光庵という寺院があります。ここは丸い窓の「悟りの窓」と四角い窓の「迷いの窓」で知られた寺院です。
そしてこの寺に、伏見城での壮絶な戦いで、徳川方の武士が自刃した際に付いた血の手形や足形が残る床板を天井板したと伝わる「血天井」があります。
確かに天井板に人の足形がくっきりと残っています。
そして「血天井」は三十三間堂の向かいにある養源院でも見ることができます。こちらは内部の撮影はできません。
ただ伏見城はこの戦いでほとんど焼失しており、これらの「血天井」は伏見城の血の付いた床板ではなく、寺院を作った職人の油の付いた手や足の形とする見解もあります。私が養源院を訪れたときの説明では「これが鳥居元忠が倒れときに付いた血の跡です」と顔や胴体の形のような血痕を長い棒で示されましたが、そこまで特定されると逆に怪しくなってきます。
血天井の信ぴょう性はともかく、石田方は伏見城を落とすのに10日以上もかかったために、その後の西軍の展開が大きく遅れたとする説もあり、鳥居元忠の命をかけた粘りが関ヶ原の戦いの勝利のひとつの要因になったといえるかもしれません。
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