先週のNH
Kブラタモリは
稚内が舞台で、テーマは「
北海道・稚内~“最北の町”で暮らすとは?~」でした。
「
最北端の地」として有名な
宗谷岬から番組は始まりました。しかしここよりも北の緯度に北方領土の
択捉島や宗谷岬の少し北の
弁天島があるので、番組では「通常の交通機関で行ける離島以外の場所」という限定で「最北端」ではなく、「最北の町」という表現をしていました。
宗谷岬のあと
宗谷丘陵が紹介されました。この丘陵のポイントは
周氷河地形です。
周氷河地形というのは、地中の水分が凍結や融解を繰り返して作られた
V字にえぐられた地形で、
宗谷丘陵はこの
周氷河地形が
日本で唯一肉眼で見れる場所です。
明治期の
山火事によってこのあたりの樹木が焼失し、その後も
強風で
高い樹木が生育しないために、写真のようなむき出しの
周氷河地形を見ることができるわけです。北海道でもここ以外の
周氷河地形は樹木で覆われていたり、開発で削られているために確認できません。
タモリさんの趣味からすると、このあたりのことが深掘りされるのかと思っていましたが、そうではなく、宗谷の海岸が江戸時代の松前藩とアイヌの交易の中心だったことが紹介され、
周氷河地形についてはほとんどスルーでした。
そして次に稚内の中心が宗谷岬周辺から今の稚内駅あたりに移ったことに話が及びました。
かつて
稚内駅は終着駅ではなく、さらに線路が岸壁方向に延びていました。
そして線路の先には
稚内桟橋駅があり、
樺太との交易の玄関口になっていました。
現在はその場所に駅はありませんが、強風と波から駅を守っていた巨大な
北防波堤ドームがあります。
今や稚内のシンボルであり、観光の目玉になっています。
このあたりの海岸の地形が
大きな船が停泊できる港を作るのに適していたことと、
埋め立てに向いた性質の石が周辺に豊富にあったことで、宗谷岬周辺からこちらに町の中心が移ったそうです。
終戦後、樺太との往来はなくなり、かつての賑わいは失われました。しかし、
オホーツク海と
日本海の両方の海へ行けることで
漁業が盛んになり、今では
ホタテ、ホッケ、タコの水揚げ量は国内1位ということです。そして1年中
強風が吹くことから、
魚介類の干し物が稚内の名物になっています。
今回の
ブラタモリは
稚内の中心が移ったことと
強風を中心にした番組の構成でしたが、次に行く折に参考にします。ただとにかく遠いのでいつになるやら‥
なお次回の
ブラタモリは
利尻島です。
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