貴重な現存12天守のうちのひとつで北陸では唯一の現存天守です。
屋根瓦は珍しい石瓦です。これは寒さが厳しく雪の多い北陸では焼いた瓦だとすぐに割れてしまうからではないかと言われています。
現存天守だけあって訪れる人の利便を無視した急勾配の階段です。補助として縄が付けられていました。こうなると階段ではなく「はしご」ですね。
天守入口へと上る階段もほかに類を見ないほどの急な階段です。
最上階には廻り縁があります。危険なので出ることはできません。
建造年代について天守の外観が古いタイプであることから柴田勝家の甥・勝豊が建造したという1576年建造説が有力で、現存天守の中でも最古の天守と呼ばれています。いや正確には先日までは呼ばれていました・・
というのも地元教育委員会の調査でこのたび部材の柱などが江戸期寛永年間(1624~44年)のものであることが判明したのです。その結果、50年ほど新しくなってしまいました。
もし丸岡城が1620年以降の建造なら最古の天守ではなく、1590年代の松本城のほか、1601年の犬山城、1606年の彦根城よりも新しいということになります。
このニュースが流れたのが3月27日で、私が丸岡城を訪れた日でした。訪れたのは朝一番でしたのでニュースを知ったのは城をあとにした数時間後です。最古の天守を訪れた日に最古の座から陥落しました・・
丸岡城前の建物には「現存する日本最古の天守閣 丸岡城を国宝にしよう」という幕が掲げてありましたが外されたのでしょうか‥
このように丸岡城を国宝にという動きがあり、指定に向けて建造年代を明確にするために調査したのでしょうね。
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