森と一体化するように、佇むサウナ
フィンランド第二の都市、タンペレから西にしばらく車を走らせると、ハメンキュロという市がある。フィンランドでは珍しくなだらかな丘が続いていて、フィンランドの友人たちは、「ここはスウェーデンの南部みたいな景色なのよ」と話す。ここからさらに西に向かった小さな村の森の中に、私がフィンランドに行くといつも訪れるスモークサウナがある。
そのスモークサウナは、湖に面した森の中に、まるでその森の一部になったかのようにひっそりと佇んでいる。そして、このサウナの周りには古い木造の建物がいくつかあって、それらの建物もまた、森とともに年月を重ねていた。この建物に人は住んでおらず、夏の間だけ使われている。敷地内に飼われている羊も冬の間は別の場所に移されるし、スモークサウナも夏の間だけ使われている。
この丸太小屋がスモークサウナ、煙のサウナといわれるのは、その名前の通り、煙でサウナのなかをあたためるからだ。サウナストーブには煙突がついていない。石で形作られたストーブに薪を入れて火をつけ、そのストーブの上に積まれた大きな石を薪の火で直接あたためていくのだ。
丸太小屋のなかは、煙が充満する。その煙で壁や天井、サウナベンチをゆっくりとあたためていく。何度か薪を焚べながら、何時間もかけて石を温めるので、その石には薪や火のエネルギーが蓄えられていく。最初はもくもくと部屋全体に広がっていた煙は、ある時点を過ぎると、綺麗な線を描き、上方向だけに流れるようになる。スモークサウナには火事はつきものといわれるくらい、その火の管理は難しく長年の経験や知識が求められる。ここのサウナに火をつけることができるのも、近所に住むレイノさんだけで、その日の風やサウナの温度に合わせて火を操るその作業は、まるで、サウナと会話をしているかのようだ。
薪が燃え尽きるとストーブの中から灰を取り出して、石の上に水をかけ、石の中にくすぶっている煤(すす)を一気に飛ばす。サウナの壁やベンチは煤で黒くなっているけれど、もうストーブの火はついていないので、煙で喉や目が痛くなることはない。スモークサウナは、何時間もかけてあたためられた石に水をかけて蒸気をつくりながら入るサウナだ。
サウナのなかはとても暗い。ここのサウナは2階建てになっていて、サウナベンチは上の階にある。小さな窓から漏れてくる光を頼りに、階段を登った。サウナの中はスモーキーな香りがやさしく漂っていて温かく、裸の皮膚に触れる燻された木の壁の感触はとても心地がいい。サウナベンチに座りながら一階にあるストーブに水をかけると、ゴォォォというものすごい音とともに、重厚な蒸気が立ち上って身体を包む。この蒸気は、スモークサウナでしか味わえないものだ。何時間も炎で熱せられた石でしか生み出せない濃厚な蒸気が体の奥から温めてくれる。暗闇のなかで、ただ、蒸気の生まれる音に耳を澄まして、熱い蒸気がやってくるのを待つ。
十分に汗をかくと、サウナの前にある湖に向かった。サウナのなかでは暗くて見えなかったけれど、みんなの鼻の頭や背中が煤で黒くなっていた。煙は出ていないのに、身体中が燻されたような気持ちになる。紅葉が始まって秋が深まっていくと湖の水の温度は一気に冷たくなるけれど、木々の葉がまだ緑の頃の湖は、水の冷たさを気にすることなく、いつまでも泳ぐことができる。フィンランドでは屋内にあるサウナのほとんどには水風呂やプールは付いていない。そのため、サウナの後のクールダウンは外気浴が中心なので、湖で泳げる夏の湖畔のサウナは特別なもの。誰もがためらうことなく湖で泳ぐ。
人が誕生する場所もサウナだった
スモークサウナに入るときに欠かせないもののひとつに、白樺の枝葉を束ねたウィスクがある。ジュニパーなどの木も使うけれど、一番使われるのは白樺で、夏至の頃に採った枝葉を乾燥させて、一年中使う。フィンランドの白樺のウィスクはとても美しく、人それぞれの熟練された束ね方がある。ここのスモークサウナを管理しているレイノさんが束ねたウィスクも、切り込みが入って綺麗に揃えられた枝が木のツルで束ねてあって、全体の葉の形も整っている。ウィスクはしばらく水に浸して、水をつけたままで身体を叩く。温かい蒸気に触れた白樺の葉は、フレッシュなときよりもさらに青々しい香りを出して、サウナの中に広がる。
また、泥をつける特別なサウナを楽しむことも。この泥は、森の湿地帯の地中近くで花や草木が自然に朽ちて発酵したもので、血行を促進する効果がある。普段のサウナでは真っ黒な泥がサウナにつくことを気にしてパックとして顔につけるだけのことが多いけれど、スモークサウナなら気にならない。
昔から、スモークサウナの中ではさまざまな治療が行われ、出産が行われるのもサウナの中だった。そして、穀物を乾燥させ、ビールを作るなど多目的な場所でもあった。サウナの中は温かく、寒さから身を守ってくれるばかりではなく、雑菌が繁殖しない清潔な場所でもあって、神聖な場所だったのだ。フィンランドの西部と東部では、スモークサウナの形が違う。このスモークサウナのように、西部ではスウェーデンや西ヨーロッパの影響を受けて多目的で使われる大きいサウナが多く、東部ではロシアの影響で小さなサウナが多い。
何度かサウナと湖で泳ぐことを繰り返して、身体を洗った。森の中にあるスモークサウナの中には水道も電気もないので、水は湖や井戸から運んできて、ストーブの近くでお湯を作る。このサウナでは、1階のストーブの隣に身体を洗うスペースもある。それから、もう一度だけ2階のサウナに戻って、ストーブの上の石に水をかけた。
「これは、サウナに感謝するための蒸気だよ」
そう誰かが言った。サウナのなかには小人が住んでいて、最後の蒸気はその小人にあげるものなのだと。
サウナの後は、みんなでお粥を食べた。この木造の古い建物の中は、スモークサウナに入っているような居心地の良さがあり、サウナに入る前とその後のすべての時間がつながっていることを感じさせてくれる。ゆっくりと森を歩いて、葉が擦れる音や鳥の鳴き声を聞き、森の香りを楽しみながら、少しずつ森と、自然とつながっていく。スモークサウナは自然そのもので、水や火、風といった、自然のエレメントに触れることでもあるのだ。
長年、フィンランドの人びとの生活に欠かせないものだったスモークサウナは、18世紀の後半にストーブに煙突がつき、1930年代には現在もよく使われている連続型の薪ストーブの登場をみた。それから、今の現代人に最も馴染み深い電気ストーブへと、都市型の生活に合わせて改良されていった。現在、フィンランドにある約300万のサウナのうち、スモークサウナの割合は1%程度らしい。しかしながら、自然とのつながりを大切にするフィンランドサウナの原点として、スモークサウナが特別な存在であることに変わりはない。
PHOTOGRAPHY & TEXT: MIKI TOKAIRIN