片付けられない「私」と向き合う

四月一日

連日の寒さに、先週まで天気に恵まれたことに心底感謝した。
旅行中は晴天だった。その後の帰省中も暖かい日が続いた。

とにかく寒い。

大して服は持っていない。整理ダンス一つとハンガーラック一つで、夏物と冬物をしまうのに事足りている。衣替えという作業はない。

引き出しを開ければ、その日の気温に合わせてすぐに服を取り出せるはずだが、あれやこれや寒さ対策を考えた挙句、それらが出しっぱなしになる。上着を選び直したら、ハンガーラックに戻さない。コインランドリーから戻った洗濯物も、ひっくり返して必要なものを取り出したらそのままである。

瞬く間にスペースのない自室の床は、衣類で埋もれてしまう。

配送品の段ボールも、何にたいしてか分からないが、ちょうど良いサイズに思えて取って置く。畳まずに一旦自室に入れる。

ますます散らかってゆく。

 

油断すると、ダメだと自覚した。
片付けられるようになってはいるが、基本的にはやはり、”片付けられない”のだ。

いつもなら翌日に持ち越さずに部屋を整えるのだが、風呂にも入らず睡眠を優先する。
これでは堕落した生活の始まりである。

 

一番早く家を出る夫を見送ったら、玄関のドアとたたきを拭く。
これは習慣になっている。しかし、あやうく今日は忘れるところだった。いや朝は忘れていた。

夫が家を出たあと、半時間ほどして息子が起きてくる。その間に急いで風呂に入った。朝から外出予定がある。風呂から上がったら、今日の服を考え、支度をする。慌ただしく時間が流れ、玄関の拭き掃除をすっかり忘れていた。

 

夕方、自宅に戻ると手洗いうがいをする前に、雑巾を絞り玄関のドア前に立つ。
朝忘れていたことを思い出して安堵する。堕落しそうだったが、食い止められたような気がした。

先日玄関の片付けが終わった。次は、玄関の右手にある自室である。
まずは床に散乱した衣類からだ。それらを整えたら、本当の”片付け”をする。

しばらく家を空けていたので、片付けが止まっている。
明日からやる。必ずやる。嘘ではない。

 

ミッション完了

ふと窓に視線を向けると、海が広がっていた。
そうだ、この路線は海沿いを走る。それにしてもこんなにも海が近かったんだと、しばらくの間眺めていた。
仕事帰りの通勤客に紛れて、西へと向かっていた。

 

テキストでの返信に期待は皆無だ。唯一ショートメールは既読のみするという。
電話が確実だが、億劫なのが正直なところだ。近くのホテルに着いたこと、明日は予定どおり訪問することを、父にメッセージで知らせた。

 

ここへ来るまで、叔母のところで世話になっていた。叔母と母にも、ホテルに到着したことと礼をラインに載せた。こちらは、どちらもすぐにスタンプ付きで返信が来た。

叔母の家に滞在中は、叔母と母と三人で過ごした。姉妹は顔がより一層似てきた。妹の質問に姉は回答らしき言葉を発していたが、全く質問には答えていなかった。しばしばその光景を目たが、姉である母と同様、私もそうかも知れないなと思う節があった。それにしても母と叔母、姉妹はよくしゃべる。

 

 

宿泊者で予約が一杯のはずが、朝食に向かうと、そこは閑散としていた。

早い時間に隣の部屋から、かすかにアラーム音が聞こえてきた。今朝、テレビをつけて気付いたのだが、この部屋の時計は二十分も進んでいた。寝坊対策だろうか。ここを利用する者は朝が早いのかもしれない。

 

連日家を空けていた母は疲れているだろうから、同居人の居ない最後の日ぐらいはゆっくりしてもらいたい。それ故、帰省の最終日は父のところから直接自宅へ戻る予定にしていた。しかし、母は新幹線の駅まで見送るという。

 

父の困っていることを解決するのに、思った以上に時間がかかってしまった。こっそり新幹線の乗車時間を二回もずらしたが、残念ながら母と会う時間が取れなかった。

ネットで解決できる手続きは全て終わらせた。電話口では本人かと聞かれるので、父に代われるよう横に座る。いくつかは郵送で送ってもらう手配をし、どのタイミングで何をするか、全てメモを残してきた。

最後に父は、聞いてもいないのに貴重品の在処を私に伝えた。つい先日、母の貴重品の在処も改めて聞かされている。

 

次回の帰省の時期は決まっていない。何かのついでに、実家回りをするとも決めていない。三箇所の帰省先は、関西とひとくくりにしても、その間は100km以上離れている。

私が帰ると決めれば帰るだけだ。

 

非日常の続き

取り込んだ洗濯物を畳むと、途端にくしゃみが出た。
テレビで流れる天気予報のあとの花粉情報は、今では毎年恒例の見慣れた画面だ。最近、桜の開花予報のアナウンスも加わった。また自宅近くの土手は賑やかになるのだなと予想した。

 

上着が邪魔になってきた。
グーグルマップでは一本道だと確認している。方向音痴の私でも迷わない。坂を上るとは聞いていたが、どこまでも続く坂道に目的地が姿を見せない。途中、夫が通っていた小学校の名が刻まれた看板を見つけた。
慣れない自転車に立ち漕ぎができず、小さなタイヤを回転させながら進んでいく。
最寄りの郵便局へ行くのに一苦労だ。

 

旅行後も、まだ非日常が続いている。
のんびりとした時間が流れていた。しかし実際ここで生活すると、不便さを感じざるを得ないだろう。

 

煩わしさからの解放には一人が楽だ。新しく住まいを構えるならなおのこと、荷物だって持ち込まないし片付けだって楽になる。
今の私なら快適さを選ぶだろうが、それはそれでつまらないと感じるだろうとも想像する。誰かと話したり、食事を共にすることは、やはり活力になるのだ。

その反面、同居人が居ることで窮屈な生活を強いられる者もいる。
条件が同じでも、必ずしも良いとも限らない。

いろんな環境が存在する。今の気持ちで動くだけ。出来ることをするだけ。

 

自宅に戻ったら、日常に戻る。
片付けの続きをする。そして、マスクと眼鏡を装着して、遥子ちゃんと土手に出る。
きっと満開の桜が迎えてくれるだろう。

 

春の花

あっ!と思い、慌てて一番近くにある時間を確認できるもの、携帯電話を見つけ画面をタッチした。
23:59の文字を確認した途端、0:00になった。歯磨きの途中で、誕生日を迎えた。朝が早いというのに、家族も皆起きていてワサワサしていた。

 

 

ミモザの開花が、一か月遅れています」

一面を黄色い花で覆い尽くす丘の所々には、木が植わっていた。その木をよく見ると、小さな小さな蕾が付いている。本来なら、菜の花と共にミモザの花も加わって、より一層黄色い丘になるようだ。

そう説明を受けたあと、”ほら、この前、樹希ちゃんからもらった黄色い花だよ”と、子供たちに説明する。もうすぐ誕生日だからと、彼女からもらったミモザは、愛くるしい小さな小さな花をいっぱい咲かせていた。

 

寝不足のまま迎えた朝、空港へ向かった。
前日までのバタバタが嘘のように、旅が始まると非日常を満喫する。

温泉に浸かったり、海を眺めたり、菜の花の丘を登ったり。

 

ただ歯磨きの途中で迎えた誕生日の始まりは、旅に紛れて自分と向き合えていない。
五十二歳になった私について、帰ったらゆっくり考えよう。

 

こちらもまた

ようやく”入口”を突破した。
一刻も早く脱出したいという思いが強くなった。

その理由が、まとわりついた片付けからの解放だけではないと気付いた。

 

入口から、つまりは玄関から片を付けていく。
順に陣地を広げていくようなイメージが湧く。玄関の片付けを終え、達成感を得た。

そんな気持ちと裏腹に、別のところでひねくれた気持ちが表に現れようとする。水滴が一滴でも落ちてきたなら、バランスを崩してしまいそうだ。

帰省を控え、改めて母に電話をした。到着時間の知らせと、帰りは父のところへ寄ってから自宅に戻る、と伝えた。母はなんで?と疑問を投げかけた。わざわざ行かなくてもというが、私の勝手である。

両親が離婚した日がいつなのかはっきりしないのは、事後報告だったからだ。
長く別居していたこともあって驚きはしなかった。すでに実家を出ていた私は、夫の転勤で離れたところに住んでいた。それもあって、その経緯を身近で見ていないし、その話が耳にも入って来なかった。

 

「あなた達には関係ないけど、、私しかいないでしょう?」

ついイラっとしてしまい、そんな言葉を言ってしまった。普段、母に対してそんな口調で話したりはしない。母はもちろん、私と同じ立場であるはずの宇稀子も、関わりたくないのは知っている。不穏なことが降りかかることを恐れ、心配してのことではないかと理解はする。

 

母のところを実家と呼ぶ。どこかで実家の居心地の良さを求めているのだ。宇稀子との一件があってからは、もうそれが叶わない。いろんな背景をひっくるめての不満が、あの一言に凝縮されている。
しかし、母の家は私が生まれ育った場所でもないのだ。思い描くことへの押し付けである。

 

一滴の水滴でバランスを崩さぬよう、”私”でいるために芯をしっかりと持っていたいと感じた。”私”の意思を”私”が聞く。

”片付け”に囚われてばかりいられない。環境を変えて、”私”は変わりたい。
一滴の影響を受けない”私”の土台作りのために、一刻も早くここから脱出する。

 

親と子

「仕事を引退しようと思ってる」

タイミングが良いというか、悪いというか。喉元まで出かかった言葉を一旦飲み込んだ。

 

固定電話に掛かってくる電話には基本出ない。留守番電話に吹き込まれるメッセージを確認してから、必要に応じて受話器を取る。

夕食時に掛かってきた電話に耳を傾けていると、相手はフルネームを口にした。向こうがメッセージを言い終わる前に、慌てて電話に出た。

こちらも滅多に電話はしないが、あちらからはもっと稀である。彼はいつも携帯電話から固定電話へ掛けてくる。

 

ただの報告だ。私に伝えておこう、それだけのことだ。
仕事を引退することに驚きはしない。父は八十一歳である。

常に”商売になること”を考えているようで、野望のある彼に生涯現役という言葉は相応しくも感じたが、今の仕事を続けるには体力に限界が来たようだ。

ゆっくりしてくれればいい。

これからのことを語る父から、頼りにされたわけでもない。それでも会話の途中で、年金額を問い、家賃の確認をする。

 

”ちょうど帰るから、お父さんのところにも寄るよ”

言うのを辞めた。そう気軽に会話ができないことも、一旦自分の気持ちを確かめないといけないことも、なんて面倒くさいのだろう。

家族旅行の帰りに、一人残って母のところへ寄ることにしていた。それを知る由もない父が、このタイミングで電話を掛けてきた。

頼み事をされたわけではない。”今の時代”の困りごとを聞いただけだ。問い合わせをするのに、チャットの自動応答では解決できず、オペレーターに繋がる手段がないから諦めたと言う。

 

一旦答えを保留にせずとも、もう電話の途中で父のところに行くことは想像していた。
結局、会いに行く。後日電話を掛け直し、その旨伝えた。

今回は息子や娘も同行しないので、孫に会うという目的もない。一人で会いにいくのは初めてだった。

 

まだ入口

玄関の本棚もまた、今まで何度も片付けている。
しかし少し整える程度では済まず、まだ時間が掛かっている。

この本棚には、本が六分の一を占めていて、他は本以外である。
概ね仲間同士が収まっているが、後からやってきたモノが、仲間のところへ行かず隣の番地へ紛れ込む。もしくは、そもそも仲間ではないモノがとりあえず置かれている。
当時整理した書類を見直すと、時間が経過し、もう保管する必要がないモノがあったりする。それらを処分し量は減らせてはいるが、ぎゅうぎゅうに詰まった本棚がちょうどになったぐらいで、収納に余裕が出たわけではない。

そう乱していないと思われた本棚さえ、知らぬうちにこのような状態になり、片付けが必要になる。

 

 

日常に発生する、食器を洗う、洗濯物をしまう、ごみを捨てるなどの片付けはしている。ならば、それ以外の”片付け”は一旦辞めても影響ない。実際には、昨年の後半はあまり片付けをしていない。しかし、一時的にそうしたとしても、脳の隅には、”片付け”が気になっている。

 

”あきらめるな”と聞こえてくる。
そうだ、”片付け”を脳の隅から無くすためには、あきらめない。

やはり、納得するには自身のやり方で”片を付ける”しかない。