都会から自然豊かな地方に移住して、「農業を始めたい」と考えている人も多いのではないだろうか。しかし、農業を生業にするとなると、資金調達や栽培技術の習得はどうすればよいのか? 農業で食べていけるのか? いろいろと考えなければならない問題がでてくる。
茨城県常陸太田市では、「UIJターン就農奨励金」や「就農者等家賃助成金」などさまざまな支援制度を用意して、常陸太田市で新たに農業を始める人を後押ししている。
東京から常陸太田市に移住した松原勝之さん・愛さん夫妻は2023年1月にぶどう農家として独立したばかり。「自分たちのぶどうを食べて笑顔になってもらいたい」と話し、そのほぐれた表情からも充実した暮らしぶりが伝わってくる。
今回は、松原さん夫妻に移住・就農の経緯や農家としての暮らしの様子を伺うとともに、常陸太田市の就農サポート事業について紹介する。
常陸太田市の農業について
南北に長く広がる高低差のある地形の中で、米(コシヒカリ)、常陸秋そば、ぶどう(巨峰・常陸青龍)、梨、ブランド柿(星霜柿)といった多くの特産品が作られているほか、野菜や花卉(※1)、酪農や和牛等の畜産、6次産業化(※2)による乳製品の製造など、幅広い農業が営まれている。
水戸まで電車で約30分、東京までは約2時間、四季折々の自然と都市機能も楽しめる常陸太田市は、都会から移住して就農したいと考える人にとって魅力的な地域といえるだろう。
※1 花卉:切り花や鉢花、観葉植物など鑑賞用の植物。
※2 6次産業化:栽培した作物を使って加工品を製造し、販売すること。
農業を生業にしたい。
常陸太田に移住して新規就農を叶えた松原さん夫妻
「茨城ぶどう園パープル」を営む松原勝之さんは千葉県市原市出身。専門学校卒業後、公務員となり、東京都中央卸売市場で市場の管理運営に携わっていた。そこで多くの生産者と接しているうちに自然と農業に興味を抱くようになったという。
転機が訪れたのは2020年のこと。旅行先の長野県で食べたぶどうの、今までに味わったことのない濃厚な甘み、芳香な香りに衝撃を受けた。
「この日をきっかけに、自分も誰かに感動を届けられるぶどうの作り手になりたいという思いが強くなっていきました」(勝之さん)
同じ職場で働いていた妻の愛さんも、ぶどう農家の道へ進むことに賛成してくれた。
就農に向けた一歩。
地域おこし協力隊として常陸太田市へ移住
「それからは、仕事終わりや休日に就農や移住について調べ倒す毎日でした」と勝之さん。そのなかで目に留まったのが常陸太田市地域おこし協力隊の募集記事だった。地域の特産品であるぶどうまたは梨農家として独立就農を目指す人を募っていたのだ。
「主要産地では新規就農者も多い。そうでない地域の方が移住者でも勝負できるチャンスがあるのではないだろうか」。そう仮説を立てた松原さん夫妻は、事業計画書を作成し、茨城県新規就農相談センターの相談会や常陸太田市役所に足を運んで就農支援担当者と面談することに。
「『大丈夫、常陸太田ならやっていけるよ』という就農支援担当者の言葉が背中を押してくれましたね」と振り返る愛さん。こうして2021年4月、勝之さんは地域おこし協力隊に着任し、愛さんとともに常陸太田市に移住した。
先輩農家から農業経営を学び、独立就農
常陸太田市は茨城県内一のぶどうの産地。現在、53軒の観光ぶどう園がある。勝之さんは地域おこし協力隊として2年間、地域の先進ぶどう農家で研修を受けた。基本的なぶどう栽培技術のほか、年間を通した農作業の効率化、経営ノウハウ、販売管理などさまざまなことを学んだという。
「研修が始まってから2カ月くらいは体力が追いつかず大変でしたが、だんだん長時間動けるようになりました。繁忙期は朝早くから作業を始めて、気づけば夜なんてこともありましたね。でも、研修先や卸先で出会うお客さんの笑顔が力になりました」(勝之さん)
2022年12月末に地域おこし協力隊を退任し、2023年1月1日に「茨城ぶどう園パープル」を開業。「ぶどうを通じて世の中に信用と笑顔をもたらす」をスローガンに掲げ、現在市内2カ所に圃場を構え、巨峰・常陸青龍・シャインマスカット・富士の輝きなど約20種類のぶどう栽培に取り組んでいる。
人のあたたかさにあふれる常陸太田の暮らし
松原さん夫妻が暮らす家は、住宅や田畑、ぶどう農園が連なる高台の一角にある。庭からは、空・緑・常陸太田のまちなみを一望できる。「ここは研修先のぶどう農家さんから紹介してもらった家なんです」と勝之さん。大工だったという前の家主の繊細な仕事ぶりが欄間や神棚、広縁に垣間見える。
東京での生活と比べて不便はないかと尋ねると、家から車で約5分の距離に大型ショッピングモールがあり、飲食店やホームセンター、銀行など生活に必要なものは大概揃っている。農作業に必要な資材や道具も、生活用品もサッと買いに行けて便利とのこと。
「都心のようにゴチャゴチャしていなくて居心地がいい。自然もあるし、ここを選んでよかったです」(勝之さん)
コロナ禍で移住を決断し、常陸太田で暮らして2年。松原さん夫妻は地域に溶け込めているのだろうか。
「あたたかく受け入れてもらえたという実感があります。ハウスで作業していると、ちょこちょこ農家のおじさんたちがやって来て『困ってることはないか?』『ハウスの温度気をつけろよ』なんて声をかけてくれるんですよ。近所の人から採れたての野菜をもらうことも多くて助かっています」とほほ笑みながら感謝をにじませる愛さん。地元住民との良好な関係性が見てとれる。ぶどう以外の作物を栽培する農家とのつながりも増え、ハウスの修繕などでは互いに助け合うこともあるという。
新規就農希望者が利用できる手厚い支援制度
松原さん夫妻は、勝之さんの地域おこし協力隊を経由して就農に至っているが、国や常陸太田市では一般的な移住・新規就農を希望する人に向けた支援制度を整えている。どのようなものが存在するのか見ていこう。
新規就農者育成総合対策経営開始資金
次世代を担う農業者となることを目指す50歳未満の認定新規就農者に対して、就農直後の経営確立を支援する資金を最長3年間、年間最大150万円(夫婦で就農した場合は225万円)交付する。就農者等家賃助成金(常陸太田市独自制度)
市外から常陸太田市に移住して就農認定(認定農業者、認定新規就農者)を受けた方、または市内の農家で研修を行う方を対象に1世帯当たり2万円/月(家賃が2万円に満たない場合はその額)を最長24カ月支給する。UIJターン就農奨励金(常陸太田市独自制度)
市外から転入し、就農認定(認定農業者、認定新規就農者)を受けた方に1人あたり20万円の奨励金を交付(交付決定後と6カ月経過後に10万円ずつ交付)。中古農機具購入事業費補助金(常陸太田市独自制度)
就農時の初期投資の軽減を目的に、中古農機具購入費用の一部を補助。補助額は事業費の1/2以内(千円未満切り捨て、上限は50万円)。軽貨物車両購入事業費補助金(常陸太田市独自制度)
就農時の初期投資の軽減を目的に、軽トラック等の軽貨物車両購入費用の一部を補助。補助額は事業費の1/2以内(千円未満切り捨て、上限は50万円)。
このほか、就農後も茨城県内の農業関係教育機関で知識や技術の習得ができる研修制度など、就農者向けの支援が充実。松原さん夫妻は今後、新規就農者育成総合対策経営開始資金を申請する予定だ。また、中古農機具購入事業費補助金も活用して、病害虫や雑草などを防いだり、取り除いたりする防除機など必要なものを揃えていくつもりだと話す。
ぶどうを配合した化粧品開発に挑戦。常陸太田で見つけた新たな夢
今年の夏から「道の駅」
「目標は6次産業化を実現すること。ぶどう栽培やぶどう狩りといった観光農園としての位置づけにとどまらず、これまで常陸太田で誰もやっていないことに挑戦して、ぶどうに新たな付加価値を与えていきたいと考えています。実は今、ぶどうの樹液を配合した化粧品の開発を目指して成分の分析を進めていて、準備ができ次第テスト販売などをしていく予定です。最終的には雇用も生んでいきたいです」と勝之さん。
「『ぶどうは常陸太田の特産品だから、頑張ってね』と声をかけてもらうこともあって、励みになります」(愛さん)
常陸太田に移住してゼロから農業を始めて経験を積み、先輩農家や地域の人のあたたかさに支えられながら農業経営者としての人生を力強く歩み始めた松原さん夫妻。最後に、常陸太田への移住や就農を検討している方へ向けてアドバイスを語ってもらった。
「就農を目的に移住を考えている方は、『なんとなく農業がやりたい』というよりは、育てたい作物の目星をつけてから市の就農支援担当者や移住支援担当者などに相談することをおすすめします。より的確で具体的なアドバイスがもらえるはずです。私たちは地域おこし協力隊が就農のきっかけでしたが、新規就農という形であれば、国や自治体が設けている支援制度がいろいろあるので十分に活用しましょう。私たちの農園のぶどう販売はこれからですが、食べた人に喜びや感動を与えたいと思って夫婦で切磋琢磨しながら作っています。みなさんも一緒に、常陸太田の農業を盛り上げませんか」
文/高木真矢子 写真/佐藤美香
常陸太田市では市内で農業を始めようとする方に対し、就農相談を随時受け付けています。お気軽にご相談ください。
常陸太田市 農政課 農業振興係
住所:茨城県常陸太田市金井町3690
TEL:0294-72-3111(内線:615)
相談内容:就農相談、青年等就農計画の申請窓口、各種補助金等の情報提供