理系のAkiです。
先日のノーベル賞発表のうち、物理学賞、化学賞について感想を書いたのですが、
今回は平和賞のはなし。
自然科学や文学(こちらは韓国人が受賞)の分野で日本人受賞はなく、残念だな、と思っていたのですが、ノーベル平和賞では、日本の団体である「日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)」が受賞しました。
これは、核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が2度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが評価されたのだそうです。
確かに、それは事実で、日本人が進めてきた団体の地道な活動に対して今回、ノーベル賞で顕彰されたことはとても喜ばしいことだと思います。
しかし、被団協の歴史的経緯と活動内容を見ると、自分は必ずしも、よかった、とは言えないのです。
(歴史的経緯)抜粋・・・
1954年のアメリカ合衆国によるビキニ環礁での水爆実験(ブラボー実験)を機に広がった原水爆禁止運動の中で、1956年に被爆者の全国組織として長崎で結成された。各都道府県でも被団協が結成され、核兵器の廃絶や被爆者の救済を訴える活動を続けている。日米安全保障条約の改定問題(安保問題)、ソビエト連邦の核実験再開、中華人民共和国の核実験、部分的核実験禁止条約の評価をめぐり、日本の原水爆禁止運動は3団体に分裂した(原水協=共産党系、原水禁=旧社会党系/立憲、核禁会議=連合)。被団協内部でも対立が発生し、広島県被団協も同名の2団体に分裂したが、被団協理事会は「いかなる原水禁団体にも加盟しない」と決定し、加盟していた原水協からも脱退した。
この内容からすると被団協がもっとも政治色が薄いように思えるのですが、広島県の被団協には2団体があり、 旧社会党・総評系と日本共産党系に分かれているそうです。
要するに、日本の左翼がこの運動を主導してきたのが実態。
(活動内容)
・核兵器廃絶と原爆被害への国家補償要求
・日本政府、国連、諸国政府への要請行動
・核兵器の廃棄、撤去、核兵器廃絶国際条約の締結、国際会議の開催、非核法の制定、原爆被爆者援護法の国家補償の法律への改正、被爆者対策の充実など
・被爆の実相の国内外への普及活動
・原爆被害の調査・研究、出版、展示、集会、代表派遣
・被爆者の相談・援護活動
地道な活動ですね。これを60年以上続けてこられたのは頭が下がります。
しかし、これを続けてきて世界の核兵器が減りましたか?
また、8月の原爆投下の日に合わせた平和祈念式典。
こちらは原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための式典なのだそうですが、
この式典のおかげで世界が平和になりましたか?
ノーベル賞を受賞した被団協、
活動員の高齢化もあって、継続が危ぶまれているそうです。
まったく個人的な意見で、誤解を恐れずに書きますが、
もはや被団協の活動は意味を為していない、と思います。
原爆で亡くなった多くの人たちの慰霊のための行事は大事ですから、やりつづけるべきでしょう。
しかし、世界から核兵器を無くしましょう、という「政治的」な運動は意味がない。
日本の左翼が進めてきた、あるいは得意とする「センチメンタルな運動」(具体性のない情緒に訴えるやり方)は辞めた方がいい。
そんな活動にかけるお金があるのなら、なぜ戦争が起こるのか、その戦争でなぜ核兵器が使用される可能性があるのか、戦争がおこらない条件とはなにか、とか、その因果関係を過去の事例を元に、センチメンタルではなく、科学的に解析・解明してみたらどうでしょうか。
左翼言論人(左翼老人)とか左翼政治家とかは、定量的な話ができなくて、定性的、かつ主観的で実現性にかけること(センチメンタル)ばかり言う(全部じゃないでしょうけど)。
それを延々と続けてきて、核兵器廃絶の訴えもその文脈の中にあるように思えます。
ということで、ノーベル賞に値する団体(実態的な平和貢献を行える)であるためには、左翼と、左翼的な手法とは手を切るべきかと個人的には思うのですが。
さて、どんなもんでしょうか?
要するに、日本の団体がノーベル平和賞をもらって、同じ日本人として、あまり誇らしいとは思えない。
変だな、と素朴に思ったのです。
ノーベル賞(2)(終わり)