老父の介護に追われて、何もせぬままに11月が終わってしまった。
運動不足なのか、10月の甲州街道歩き旅からほんのひと月で3㎏増。
これがなかなか減らないのだ。
糖尿を抱える身にとって、体重が増えるのは良くない…と分かっていても、食事量は減らせないし…。
来週の血液検査がちょっと怖いです。
さて、11月の読書は再読を含めて22冊。
読書量が増えた分、運動不足になってしまったのもうなづける。
このバランスのコントロール、なかなかうまくいきませんね。
※本文とは関係ありません
11月の読書メーター読んだ本の数:22
読んだページ数:5616
ナイス数:1145
ホームレス女子大生川を下る―inミシシッピ川の
感想タイトルを見てあなどっていたが、これは一級の冒険記だ。
「アウトドアは、お金を出して苦労を買う変態的な遊び」と言い切り、野宿を重ねて3000㎞をカヤックで漕ぎ下る。
クライミングや冬山、アコンカグアに登る実績をもった素地がなせたチャレンジである。
立ち寄る先々で貧富格差や人種差別といったアメリカ社会の現実に直面し、自らの立ち位置を見つめていく旅は貴重な経験。
将来の仕事を見つけたことを含めて、旅での見聞は生きてく上での強い意志と精神的な成長を促したようだ。
文章力もあり、キャンプ料理の数々にはヨダレが込み上げた。
読了日:11月30日 著者:
佐藤 ジョアナ玲子地獄の田舎暮らし (ポプラ新書 し 9-1)の
感想中途半端な内容にあんぐりしながらも辛抱強く最後まで読んだ。
そもそも著書が指す田舎のイメージが掴めない。田舎にははっきりとした定義もないので人によって捉え方がそれぞれ違う。
政令都市に住んでる人でも郊外に行くほど生活の利便性が落ちるので、田舎だと感じることもあるだろう。
ロケーションが違う集落と別荘地を同列に並べて田舎論議をするのもよく分からなかったが、それ以上に田舎暮らしの良さをまったく拾わず、コケ落とすことに躍起になっていることが鼻につく。
挙句、最後は都会に戻ろう…とは、支離滅裂。久しぶりに駄本に当たった。
読了日:11月28日 著者:
柴田 剛生きるために登ってきた――山と写真の半生記の
感想三部作『大いなる山、大いなる谷』『果てしなき山稜』『黒部へ』を読んだのは20年以上も前。今読み返しても色褪せない。
大井川、黒部川の全沢の単独遡行、厳冬期の知床連山、日高山脈縦走など、ストイックなソロクライマーとしての活動はおそらくこの先も破られることがない前人未到の記録である。
本書は三部作の内容と重複する箇所も多くあるが、後半の写真家として夢を追う章に入ると、挫折を越えた自信と躍動感に満ちた人生観が語られていく。
家族や多くの人々との出会いも彩を添え、次のステップに向かって力強く輝く人生が見て取れた。
読了日:11月27日 著者:
志水 哲也ノマド: 漂流する高齢労働者たちの
感想先進国の中でも最大の所得格差をもつアメリカ。その不平等なしわ寄せが無力な高齢者にきている。
車上生活をしながらノマドとなった低賃金のワーキャンパーとして彷徨する高齢者が、珍しくもない現象として認知されている社会は病んでいるとしか言いようがない。
救いは同じ境遇の仲間とつながったコミュニティの存在だが、これとてキャンプがなくなれば散っていくその場限りの関係で、孤独からの解放と精神的な支えにはなるが、貧困を救済するための支援の一助にはならない。
映画『ノマドランド』でも印象に残っているが、「ホームレスではなくハウスレス」という言葉には、そこ(底)まで落ちないという強いプライドも見て取れた。
アメリカの広大な土地を巨大なキャンピングカーで旅する高齢者の一群は、何も知らずに傍から見れば実にワイルドで羨ましくもあるが、肉体が朽ちるまでその生活を続けることの怖さは筆舌に尽くしがたい。
規模は小さいが近年になって社会問題化してきた、道の駅で車上生活をする老後破綻した高齢者が増えている日本も、同じ道を歩んでいるように思う。
読了日:11月26日 著者:
ジェシカ・ブルーダー京都を歩けば「仁丹」にあたる 町名看板の迷宮案内の
感想京都仁丹樂會のブログをチェックしているので、内容的には新鮮さはないが、著者を始め仁丹町名看板に関わる人々の熱い思いがひしひしと伝わってきた。
直近の調査では木製と琺瑯製合わせて523枚の現存となっているが、1995年には1200枚が確認されている。
家屋の取り壊しやリフォーム等で年々減少していくのは残念だが、これは京都市が誇る文化遺産でもある。
民間、行政を含めて保存活動が更に推進されることを望みたい。
ちなみに琺瑯看板マニアの小生は、2005年から撮影を始め、現在までに741枚をカメラに収めて打ち止めとした。
読了日:11月24日 著者:
樺山聡,京都仁丹樂會西成で生きる~この街に生きる14人の素顔の
感想コロナ禍の釜ヶ崎の現状と今後に興味をもって手に取った。
内容は釜ヶ崎に生きる人々の証言をもとに多岐にわたるが、コロナ禍により世の中が変化しても釜ヶ崎が放つアンダーグラウンドの本質は変わっていないように思えた。
証言者からは「釜ヶ崎は良い町だ」という言葉が何度も語られるが、それは浄化された町のイメージとは程遠く、労働者からピンハネする手配師や覚醒剤の売人、泥棒市の不法売買、飛田新地の存在は以前のままだ。
その一方で加速した生活保護者の高齢化に対応した福祉サービスや炊き出しも充実の中で継続されている。
時代は変われど、ここ釜ヶ崎は「人が最後に流れ着く街」として不変だということを改めて再認識した。
私は新世界や飛田新地などこの町が放つ雰囲気が好きで、20年ほど前から関西方面に旅行すると、わざわざ釜ヶ崎のドヤを選んでよく泊まった。
一泊800円くらいから2500円程度の驚くほどの安さ。しかし数年前に南京虫の被害に遭ってから、さすがに懲りたのか今は釜ヶ崎からは遠のいている。
当時、釜ヶ崎で目にしたのは本書でも取り上げられた教会の炊き出しに並ぶ労働者や、三角公園に続く路上での泥棒市、白昼堂々と新今宮駅近くの高架下で布団にくるまって眠る人。
少なからずカルチャーショックを受けたが、何度も目にするとマヒするのか、当たり前の風景として受け止めてしまう自分がいた。
これから釜ヶ崎はどう変わっていくのだろうか。釜ヶ崎を追い続ける著者の次作が楽しみだ。※(注)「あいりん」「西成」ではなく、「釜ヶ崎」の呼称を使いました。
読了日:11月24日 著者:
花田 庚彦夜這いの民俗学の
感想収録された逸話は大正期から戦前のものが多いので、古典的要素は大。夜這いの風習による怨恨が事件の引き金の一つとなった、津山三十人殺し事件のあらましを反芻しながら読んだが、夜這いはムラ社会では年中行事の一つとして、実にシステマチックに管理運営されていたことに驚いた。
そこには宗教的な背景のもと、貞操観念は抜きにして、性に大らかな土着信仰が見て取れるし、倫理観を欠いた猥雑さはあまり感じない。
陰陽物が神社や寺に奉納される風習も無縁ではないように思う。
柳田國男の民俗学をこっぴどくこけおどしているのは個人的には痛快。
読了日:11月23日 著者:
赤松 啓介昭和ブギウギ: 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲 (NHK出版新書 703)の
感想朝ドラを観ているので、笠置シズ子と服部良一が出会った背景を含め、気になるこれからの展開が掴めて良かった。
稀有な才能を持った二人の出会いが大阪道頓堀から生まれ、戦前、戦後を代表する楽曲を量産したことは偶然ではなく必然であったようだ。
本作を読みながら笠置の代表曲である「ラッパと娘」「東京ブギウギ」「買物ブギ」をYouTubeで観たが、どれも圧巻のパフォーマンス。
物心ついた頃、タレントとして出ていた笠置をリアルタイムで見ていたが、大阪出身の母とダブってしまい、いつも親近感を抱いていたことを思い出した。
読了日:11月23日 著者:
輪島 裕介焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史の
感想焼き芋とドーナツは日米の産業革命期を生きた女性たちの胃袋を満たした食べ物。本書の内容では比喩でしかない。
高井としを、津田梅子、相馬黒光、伊藤野枝、ルイーザ・オールコット、エレン・リチャーズなど女性解放運動の旗手となったファーストペンギンたちを取り上げているが、彼女たちに共通しているのは、食べ物や賃金、長時間労働、教育といった目に見える身近な女性差別から、不条理に対する疑問や憤懣を当たり前の要求にして風穴を開けたことにある。
黎明期の日本では、労働環境の改善を進め、女工を人間として扱った大原孫三郎のような先進的な思想をもった資本家の存在もあったが、それはほんの一握りであり、多くが食事も満足に取れない劣悪な環境下にあったという。
100年前と現代を比較して女性の地位が進化したのだろうか。
ウーマンリブの時代に盛んに使われたシスターフッドは死語ではない。
他国に比べてもフェミニズムへの抵抗が大きく、ジェンダーギャップが露骨に存在する日本にとって、シスターフッドの認識と実践はますます必要になってくると思う。
時間のズレはあるにしろ、日米が辿っている女性解放への道は同じものであると改めて考えさせられた内容であった。
読了日:11月20日 著者:
湯澤 規子芝浦屠場千夜一夜の
感想【再読】読みが浅かったのか、どうにも気になって再度手に取った。
屠場を語るに切り離すことができない差別問題に対して本書での取り上げ方についてである。
どこまで書くのか?書けるのか?そこには関係者との駆け引きもあっただろし、著者の悩みや熟考も半端ではなかったと思う。
著者が筆を執るまでの四半世紀に差別意識がどれほど変化したのか、今、語ることができるのはここまでが精一杯ではなかっただろうか。
赤裸々に描かなくても問題がもつ業の深さを十分に伝えてくれたと思う。
読了日:11月20日 著者:
山脇史子秘境駅で途方に暮れたの
感想そもそもこの人からは鉄道愛を感じない。粗野な言葉の圧力も節々から臭う。
しかし、鉄ヲタではないから逆にマニアックすぎるきらいもなく、見たままのルポになっていることには好感が持てた。
秘境駅の予備知識もないまま勢いで突入して行くなかで、少しは思い入れが深まっていったのか、駅を訪問する一部マニアのマナーの悪さやダイヤの問題も訴えている。
半年をかけて北海道から九州へ南下していく旅で、どういった基準で目的の路線や駅を選んでいるのか分からないが、手をつけた以上一過性で終わることなく、続編もぜひ期待したい。
読了日:11月19日 著者:
カベルナリア吉田さよなら、野口健の
感想現在の環境活動、社会貢献活動のトップリーダーとして活躍する野口健に手放しで拍手を送る一方で、登山家と名乗っていた野口に対して苦々しく思っていた自分がいた。
山登りに明け暮れていた1990年代、8000メートル峰の全てが単独無酸素で登られた時代に、七大陸の最高峰に最年少で登った野口を知った。
より困難な高みを目指すアルピニズムを標榜するクライマーたちは、自分もそうだが売名行為とも思えるその時代遅れの記録について冷ややかな目で見ていた。
所詮一般ルートからの登頂などカネがあれば誰でもできるという、貧乏人の妬みだったかもしれない。
本書を読むと野口はクライマーとして実力の無さを早い段階で気づき、方向転換したことが伺える。
国内において清掃登山は盛んに行われているが、ことエベレストのような地球規模での実施は野口ならではの発想であり、それを強引に実現していくスピードもまた天性のものであるようだ。
著者の小林が精神を病んでまでも、アクの強い野口に磁石に引き寄せられる砂鉄のように捕らわれてしまうのは、二人が惹かれあう似た者同士だからなのか、それとも悪縁であろうか。
本書は野口を隠れ蓑にした、著者の成長物語のようでもあった。
読了日:11月17日 著者:
小林 元喜芝浦屠場千夜一夜の
感想タイトルからして単なる食肉業界のルポではないと察しがつく。
著者が屠場に通いだしてから四半世紀もの間温めてきた作品だけあって、その間に父と娘の関係、ライターとしての成長、社会をしっかりと見つめる目が熟成されていくのが見て取れた。
野菜や魚ではなく、豚や牛に関わることでなぜ差別されなければならないのか…差別される側に立った気づきや苦悩が突き刺さる。
瀕死のカマキリの腹を突き破って勢いよく出てきた寄生虫のハリガネムシは、著者を縛りつけていた迷いからの解放を暗示するのだろうか。
生々しい内容のなかにも清々しさが光った。
読了日:11月16日 著者:
山脇史子B:鉛筆と私の500日の
感想これは手元に置きたい一冊。図書館で借りたことを後悔している。
コロナ禍で自宅にこもる500日間に毎日一枚づつ書き続けた鉛筆画とエッセイが綴られているが、そのクオリティの高さはさすが。
鉛筆は日本製のトンボ鉛筆Bをこよなく愛し、使い勝手を絶賛。宮崎駿や葛飾北斎の画も収録されており、同じ日本人として嬉しい。
1日目に描かれ、何度も登場する「決然とした青年」の画は、パンデミックの苦しい日々から解放に向かう変化を表現しており、500日目の最後の一枚は清々しく、著者自身を投影した心理状態を同時に表しているようにも思えた。
読了日:11月15日 著者:
エドワード・ケアリー思い出すこと (新潮クレスト・ブックス)の
感想詩人としても非凡な才能を魅せた作品。
『ネリーナ』のノートに書かれた詩の草稿は勘ぐることもなくラヒリ自身の創作であるが、イタリア語で綴られるローマでの暮らしを描く詩は自伝的要素に溢れており、著者の人となりが垣間見えた。
散文、韻文、叙情、リズム感を意識したものなど表現方法も一定ではなく、様々なスタイルへのチャレンジと詩作へのこだわりが見てとれる。
「ざっと目を通す」という短い詩には「一ページも飛ばさず読むべき 六百ページ以上もある長たらしくて恐ろしく散漫な小説で発見した言葉」(P89)とあり、ユーモアを感じた。
読了日:11月15日 著者:
ジュンパ・ラヒリ思い立ったら隠居 ――週休5日の快適生活 (ちくま文庫)の
感想隠居の定義はいろいろあるようだが、「世辞を捨てて閑居すること」。早期退職して四年が経つ自分にとって、これが一番当てはまっている。
ついでに言うと私の理想とする隠居生活は、衣食住カネに困らず、対人関係や社会の面倒なことに振り回されず、ストレスをためることなく好きなことで健やかに過ごす生活。
もちろん仕事などしない。本書を途中まで読んで思ったのは、週休5日間の生活をどう作り上げ、維持するのかという著者の健気な努力。
そこにはストイックな節約生活も見え隠れするので、自然体とは言い難い。これはちょっと隠居とは違うんじゃないかと。
しかし、最後まで読むと「頑張らないで生きる」という個人の価値観を大切にする著者の一本気な生き方に気づき、フェードアウトやひきこもりとも違う、何だか楽し気な隠居生活が見えてきたので、爽快な読後感を得ることができた。
読了日:11月14日 著者:
大原 扁理デミーンの自殺者たち: 独ソ戦末期にドイツ北部の町で起きた悲劇の
感想歴史に埋もれていた事実を掘り起こした労作。
数百人規模の集団自殺がなぜ起きたのか、その答えは簡単ではない。
出口のない密室空間になったデミーンの町に留め置かれ絶望した住民と恐怖から弛緩した赤軍兵士。
そこにあったのはプロパガンダに煽られ暴力を正当化した兵士と、侵略されることで破壊と強姦の恐怖を刷り込まれた婦女子や老人たちの関係に、勢いよく絶望自殺へと傾いていく負のスパイラル。
暴力に向かうメカニズムに迫ることは、同時に最終手段の自殺という選択肢を植え付けたナチスの愚かな闇の一端を知ることでもあるようだ。
読了日:11月12日 著者:
エマニュエル・ドロア団地で暮らそう!の
感想小説らしからぬ、団地愛に溢れたルポルタージュ。
すでに昭和は遠い昔になってしまったが、読み進めるうちに万感の思い出がよみがえってくるのを感じた。
これは団地で育ち、団地の日常を経験した人でないと分からないと思う。
私は生まれて間もない昭和34年を皮切りに、三ヵ所の団地に合わせて20年以上住んだ経験がある。木造の借家住まいから当時はモダンだった新築の団地の抽選に当たった両親は大喜びをしたそうだ。
しかし、私たち子供が成長するにつれ、家族5人で風呂なしの2Kはあまりにも狭く、入居して15年も経つとエレベータもないヨーカン型の公営団地は貧困家庭の象徴のようにも揶揄された。
本書にあるように団地生活は盆踊りや映画会などのイベントも多くあり、子供たちにとっては楽しい日々だったが、私たち一家の願いはなんとしてもここから出たい、そればかりだった。
今、昭和30年代にできた団地暮らしがにわかに脚光を浴びているが、その不便さは本書に書かれている通り。主人公の若者のような興味本位や憧れだけでは、到底太刀打ちできないだろう。
読了日:11月09日 著者:
長野 まゆみ加害者家族 (幻冬舎新書 す 4-2)の
感想加害者家族に降りかかる様々な苦しみが、想像に難くないこをまずもって実感。
ネットを始めとするSNSを使った陰湿な誹謗中傷の“匿名攻撃”は今の時代を象徴するが、それ以前にも差別や家屋への浸入、破損、落書きといった“姿なき攻撃”が存在しており、カタチは変われどその陰湿性に大差はない。
メディアの横暴も含め、然るにそうした人々が存在している世の中に問題がありそうだが、単に国民性や民度の低さとは片づけられそうもない。
被害者家族の二次被害と加害者家族をどう護っていくのか、国や行政を交えた表裏一体の対応が急務である。
読了日:11月07日 著者:
鈴木 伸元列島縦断&本土四極踏破 63歳からの歩き旅 自宅と繋がるGPS4000㎞の軌跡の
感想63才から15年かけて日本列島縦断と四極踏破を達成した記録である。
著者は海外登山を何度も経験した山屋で、植村直己に刺激された垂直から水平への歩く旅の実行は、山の延長線上にあってすんなりと始まったようだ。
私も徒歩での日本縦断を達成したが、山から歩き旅に入ったいきさつは同様である。
長く歩く旅を続けていると「なんでこんなことをしているのだろう」という自問自答が絶えず脳裏をよぎる。
更に雑念に支配され、それを乗り越えると無の境地に達し、気づいたときには40㎞を歩いている。視野に広がる歩き目線での風景も魅力である。
スタート時の著者の旅は列島縦断をすることが目的ではなく、ゴールへの貪欲さは薄いが、歩数を延ばし続けるうちに列島縦断を達成したという印象だ。
GPSを駆使した歩行記録を数値として巻末にまとめているのは元理科教師らしさが出ており、1ミリたりとも空白区間を作らずに、歩いた線をつなげることの強いこだわりが見てとれた。
読了日:11月04日 著者:
松木 崇絶望老人の
感想実家に帰省し、90才を迎えた老父と過ごすなかで本書を読んだ。
認知が進み「歳は取りたくない」と何度も繰り返す父の独り言を聞きながら老いることの意味を考えたが、タイトルにある絶望まではないにしろ、明るい未来を想像できない現実はぬぐえない。
本書には様々な事情を抱えた老人たちが出てくるが、著者がいう「途方もなく長くなった老いて生きる日々は、それまで自分がそなえてきたものの上に成り立つ」という事実には、頑なに自己の生き方を貫く信念に共感を覚える一方で、軌道修正ができない柔軟性が失われる、老いの怖さを知る思いがした。
読了日:11月04日 著者:
新郷 由起山折哲雄の新・四国遍路 (PHP新書)の
感想独自の視点から四国遍路を論じており、内容は村上水軍や高田屋嘉兵衛、龍馬脱藩の道など多岐にわたる。
日本の巡礼は円運動になっているという解釈は大いに共感できる。
今年の春に40日間をかけて歩き遍路をしたが、時計回りに歩く順打ちは自然のままに流されていくようで心地よく、心身ともに浄化されていくのを感じた。
無心に山を歩き、海辺を歩き、雨に打たれ、暑さに焼かれ、自分が辿った道を振り返って人生の縮図を知る。まさに夢のような体験であった。
道中雑記では善根宿の坂本屋のことにも触れており、情景を思い出しては懐かしく読んだ。
読了日:11月01日 著者:
山折 哲雄読書メーターメインサイト『
琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★
↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪
このところ不調です。
ここ5日間ほど奥歯が痛く、痛み止めを飲んでも改善しないので、今日は朝から歯科医院に行ってきました。
冷たいものではなく、温かい食べ物や飲み物で痛むし、奥歯でも一番奥か二番目の歯なのかよく分かりません。
レントゲンを撮ると、少し歯周病のきらいはあるが、問題はなさそうとのこと。
とりあえず歯垢除去と歯周病の治療をして、化膿止めと痛み止めの薬をもらい様子見となりました。
もし、虫歯なら詰め物を外しての治療となるようです。
それともう一つは、一昨日のこと。
30年ぶりにスピード違反をしてしまいました(泣)。
普段よく通る道ですが、そこで取り締まりに遭遇したのも初めてです。
40キロ制限の緩い下り坂。
15キロオーバーで12000円の反則金となりました。
これで30年来のゴールド免許が吹っ飛び、口惜しさと反省でその日はしばらく寝付けませんでした。
もうジジイなんだから、もっと安全運転をしなさいということですね。
そう受け止めました。
さて、話題を変えて久しぶりの食レポを。
10月に東京日本橋から甲州街道を8日間かけて歩きましたが、お昼の時間帯にうまい具合に昼食にありつける店が少なく、コンビニのおにぎりやサンドイッチで済ましてしまうことが多かったです。
そんななか、茅野駅直結のレストラン『モン蓼科』さんで食べたのがソースカツ丼(1210円)。
ソースカツ丼は今では信州を代表するソウルフードです。
信州らしくキャベツの上にソースたれをくぐらせたとんかつのビジュアル。
これはシンプルで良いですね。
とんかつは肉厚で、思った以上に柔らかくてジューシー。
脂身も少なく美味いロース肉です。
ソースは甘くなく、辛くもなく、ちょうど良い感じでしょうか。
ご飯も多めで、空腹をしっかり満たすことができました。
この店は駅前のレストランだけあってファミレス風。
メニューも多いし、ソースカツ丼専門店ではないので、味の期待はしませんでしたが、良い意味で期待を裏切られたように思います。
欲を言えば、プライスでしょうか。
1210円は少々お高い。
ちなみに、2年前は950円。
ご時世とはいえ、ちょっと値上げし過ぎのような気もします。
※『モン蓼科』長野県茅野市ちの3502-1 ベルビア2F 木曜及び特定日休
メインサイト『
琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★
↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪